死因がはっきりしない「異状死」とされる死者は年間17万人もいます(写真:den-sen / PIXTA)

死人に口なし――。

死人はどうして死に至ったかを語ることはできない。しかし、遺体を解剖して医科学的知見を活用すればその代弁は可能となることも多い。現実には、我が国では警察が扱う遺体の解剖率は全国平均で12%しかなく、地域格差も大きい。

「法医学」という言葉を聞いたことがあるだろうか。それは犯罪捜査や裁判における法の適用に際して必要とされる医学的事項を研究する医学のことだ。その役割を担う医師が法医解剖医だ。犯罪を捜査するうえで必要な医学的知見を得るために行う解剖を指す「司法解剖」という言葉を聞いたことのある方も多いだろう。

異状死のほとんどで遺体解剖せず死因を判断

日本では年間約17万人が異状死として警察へ通報される。異状死は警察の検視官により検視され、犯罪の疑いがあれば司法解剖される。その役割を担うのが大学の法医学教室等だ。

ここで解剖などを担う法医解剖医は全国で200人にも満たない。殺人や事故死などの刑事責任を追及するための重要な社会的任務を負っているが、公的予算は不十分で、法医学教室の職場環境、待遇は劣悪だ。医学生が法医学の道を選ぼうとしても、開業医と比べても収入が低く、就職口が少ないので法医解剖医が増えないという悪循環が起きている。

日本では、警察の依頼で司法解剖を行う法医学教室等の総数は80にすぎず、1カ所だけのところが35県、そのうち解剖医が1名のみのところが13県にも及ぶ。したがって、定年退職や異動などで法医解剖医がゼロとなり、県警が隣接県の法医学教室に解剖を依頼しなければならないという状況も起きているという。

そもそも、犯罪の疑い、すなわち、事件性を判断してから解剖するということ自体問題がある。検視官(その役割を担う検察官や警官)が医師(委託を受けた一般の勤務医など)の判断(検案)を基に検視を行い、それを判断する。解剖の前に事件の可能性の有無が判定されるわけだ。しかし、解剖して初めて正確な死因が判明することもある。

事実、過去の有名なケースとして2007年に起きた相撲の時津風部屋における傷害致死事件がある。当時17歳だった力士が稽古中に急死し、最初に搬送された病院で急性心不全と診断された。

愛知県警は司法解剖を行わず、事件性なしと判断した。遺体を受け取った新潟に住む両親が不審に思い、新潟県警に相談し、遺族の強い希望で新潟大学の法医学教室で解剖が行われた。その結果、病死ではなく、激しい暴行によって死亡したことが明らかになった。

このような例は氷山の一角だとの専門家の指摘もある。日本では犯罪によって殺された被害者が病死として葬られている事例が数多くあるかもしれないのだ。それは犯人が逮捕されることなく社会で生活していることも意味し、新たな犯罪を起こす可能性もある。

司法解剖」以外にも複数の解剖がある

さらに日本では「行政解剖」という制度もある。

司法解剖」に対して、「行政解剖」は事件性が認められなくても死因を究明する必要がある場合に行われる。ところが行政解剖を行う主体となる「監察医」の制度があるのは東京23区、大阪市・名古屋市・神戸市の4地域だけだ。実質的に機能しているのは、東京23区と大阪市、神戸市だけと言われ、そのうち常勤解剖医を配置し、組織も比較的しっかりしているのは23区を対象とする東京都監察医務院だけだ。興味深いのはいずれも都府県の組織なのに中心部の東京23区や政令市地域内だけを対象としていることだ。

これは1947年に公衆衛生を目的として人口上位の7都市だけを対象にした経緯があるからだ。その後、京都市、福岡市、横浜市で廃止された。その他の自治体では、司法解剖と、遺族の承諾の下で遺族や自治体等が費用を負担する「承諾解剖」があるだけで、地域によって死因の究明体制に大きな格差があるのだ。

納税者の立場からも監察医の偏在はおかしい。たとえば、死因が事故死か病死かで個人が契約している保険の保険金額が変わることも多い。監察医のいる地域では事故死であることが明らかになる場合でも、いない地域では病死などで片付けられる場合もある。

こうした問題は折に触れて指摘され、立法府も対応はしてきた。2012年に死因究明等推進法(2年間の時限立法)、死因・身元調査法が議員立法で成立した。死因究明等推進法は死因究明の施策を進めていくことを国の責務と明文化した。死因・身元調査法は死因の究明を警察署長の義務と定め、司法解剖以外の解剖の道を広げた。この動きは大きな前進とされたが、肝心の解剖を行う組織を整備するための予算や人材は依然として足りないのが現状で、政府の対応に失望する声も大きい。

その結果、現在でも、監察医制度のある地域では約20%の死因不明の遺体が解剖されるが、それ以外の日本国内の約9000万人が暮らす地域の解剖率はわずか7%だ。これは他の先進国と比べても、かなり異常な状況だ。たとえば、スウェーデンでは異状死の約9割が、また英国では約半数が解剖されているという。

人を殺す罪といえば殺人罪だが、業務上過失致死のような過失による死亡事件もある。欠陥品による死亡事故などに解剖が活用されれば刑事責任追及とともに原因究明のきっかけともなり、新たな被害の防止につながる。1985年から2005年にかけて発生したパロマ工業製のガス湯沸かし器による一酸化炭素(CO)中毒事故では死者は21人に上った。

同社の経営体質や、事故を放置した経済産業省の責任が厳しく問われた事件だが、警察のずさんな検視捜査が被害を拡大したことも指摘されている。

死体が解剖されないことで犯罪を見逃していないか

千葉大学大学院法医学教室の岩瀬博太郎教授は、「司法解剖では最小限の労力で犯罪死だけを見いだそうとしており、検視だけで事件性がないと判断された死体は司法解剖されず、自治体や遺族に死因究明の責任を転嫁した結果、ほとんどの死体は解剖されないこととなり、それが犯罪を見逃す結果となっている」と言う(同教授に対する筆者のインタビューによる)。

さらに、死因究明等推進法、死因・身元調査法による新体制への評価も手厳しい。岩瀬教授によれば、「解剖が複数種類あって、費用負担もバラバラであることから、各省庁、自治体が責任を回避しあっている現状」と言う。「先進国で見られる法医学研究所のような実務機関を作り、解剖や検査をする人と設備を増やさなければ、新しい解剖制度を作っても絵にかいた餅」ということだ。

日本法医学会は、調査法の立法の際に、法医学研究所設置法を作ることを要望してきたが、結果的に実効性に乏しい推進法の制定でごまかされてしまったというのが実情のようだ。

検視や解剖は人間が受ける最後の医療とも言われる。現在の制度はそれが十分ではなく、また地域格差を生んでいるということだ。死者の無念を晴らそうとしない社会は生きる者をも大事にしない社会だ。