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 インターネット上を中心に「ブラック校則」が話題になったことが記憶に新しい。きっかけは昨年10月、大阪府立高校3年生の女子生徒が、生まれつきの茶髪にもかかわらず学校側に黒髪に染めるよう強要され、訴訟に発展した問題だ。

 この黒髪の強要以外にも、「ポニーテール禁止」「下着は白」「日焼け止め禁止」などのさまざまな“トンデモ校則”を定めた学校が存在する。こうした時代遅れと思える校則が批判を浴び、見直しを求める声が強まっているのだ。

 その一方、「教育には校則が必要不可欠」という意見があるのも事実だ。島根県の開星高校で野球部を創設して初代監督を務め、現在は教育評論家として活動する野々村直通氏に、校則の重要性について話を聞いた。

●校則は社会に出るためのマナーを習得する訓練

 校則とは、一言でいうと学校内の決まりや規則のことだ。文部科学省は「児童生徒が健全な学校生活を営み、より良く成長・発達していくため、各学校の責任と判断の下にそれぞれ定められる一定の決まり」と定義している。

 さらに、校則の中身や運用については、生徒、保護者、地域、時代の変化などを踏まえて見直しを進めることが大切だと、その教育的意義を強調している。

 では、こうした考え方はもはや時代遅れなのだろうか。ネット上などでは、ブラック校則が問題になるにつれて「校則自体、もう必要ないのでは……」といった声が広がっている。しかし、野々村氏はこうした見方に「校則をなくすべきという意見には賛成できません」と反論する。

「私も、ブラック校則に関してはとんでもないものだと思います。しかし、だからといって校則をなくすというのは短絡的すぎる。校則とは、生徒に『学校という集団組織の一員としての自覚を持つ』ことを促す規則です。服装や髪型をはじめ、決められた時間を守るなど、校則とは社会に出るために必要な最低限のマナーを習得する訓練ともいえるものなのです」(野々村氏)

 つまり、学校内の決まりをしっかり守ることにより、「社会人としての礼儀や身だしなみを学ぶ効果が期待できる」というのが野々村氏の考えだ。

●問題児だらけの野球部が6年目で甲子園に初出場

 前述したように、野々村氏は開星高校で野球部監督を務めた経歴を持つ。同部は創部6年目の1993年に夏の甲子園に初出場を果たしているが、当初は入部してくる生徒の大半が服装や生活態度が乱れた問題児ばかりで、創部から3年間は野球どころではなかったという。

「教育者のなかには、『心がしっかりしていれば、服装の乱れなんてどうでもいい』と語る人もいます。でも、それは理想論であり、あまりに現実離れした主張です。私は実際の教育現場で、外見が乱れ、素行も悪くなっていく生徒を数多く目にしてきました。だからこそ、野球部の生徒に対し、特に服装を正すよう根気強く指導し、人格を磨き上げたのです」(同)

 創部から6年で甲子園初出場という快挙を成し遂げることができたのは、生徒に校則というルールを守らせたことで規律が生まれ、チームとして機能した面が大きいという。

 加えて野々村氏は、校則には「不自由な経験を積むことで、初めて自由のありがたさが理解できる」というメリットもあると指摘する。

「子どもたちが社会性や協調性を身につけるためには、たとえ強制的であっても、服装・髪型・登校時間などの規則をしっかりと守らせることが、大人である教師の仕事です。一部の教育者には、『子どもにも人権があり、やりたいことを自由にやらせてもいいのではないか』と主張する人もいますが、それはまったくの間違いです。この誤った指導が、結果的に自分勝手でわがままな子どもたちを増やしてしまった原因ではないでしょうか」(同)

●むしろ軍隊のような集団的規律こそ必要?

 ところが、世論は今、髪型や服装を定めた校則を「まるで軍隊だ」とやり玉に挙げ、厳しい校則をすべて「ブラック校則」であるかのように批判する。

 そこで前提となっているのは、「軍隊のような集団的規律=悪いこと」という思い込みだ。野々村氏は、そうした風潮に真っ向から異を唱える。

「今の学校教育に足りないのは、むしろ軍隊のような集団的規律です。確かに、時代とともに規則も変わるもの。たとえば、ポケベルが登場したときは学校内への持ち込みは禁止でしたが、現在はスマートフォンの学校内への持ち込みも当たり前で、『正しく使えばOK』という指導方針になっています。こうした時代の流れは仕方ありません。しかし、本来は、学校にいる期間は校則という最低限の義務を果たし、集団生活を営むことが何より重要なのです」(同)

 そもそも、権利というのは教育を行う前から無条件に与えるべきものではないという。

 子どもたちがやりたがることを野放図にやらせるのではなく、まず大人がルールを示してそれを守らせる。その上で、そこに矛盾があれば教師と生徒の間で話し合う。その繰り返しが「今の教育にはない」と野々村氏は語る。

 度が過ぎた「ブラック校則」には問題があり、当然なくさなければならないだろう。しかし、校則すべてが必要ないわけではない。子どもたちの将来を考えれば、「校則を守ること」は決して無駄ではないのだ。
(文=福田晃広/清談社)