今回は「学生鞄」の蘊蓄100章です(写真:Kazpon / PIXTA)

モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。
蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫。モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマは「学生鞄(カバン)」。あっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし。引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。
この連載の一覧はこちら

01. 「学生鞄」とは、日本の学生が通学時に学用品などを持ち運ぶための鞄のこと

02. 「スクールバッグ(スクバ)」「学バン」「制バン」などと呼称されることもある

03. 日本では古来、ものを携行する際に「鎧びつ」や「葛籠(つづら)」「柳行李」「胴乱」などが使用された

04. なかでも胴乱は薬品や印章、火縄銃の火薬などを携行するための小型の四角い物入れで多くは革製であった

05. 明治時代に入ると、この胴乱をもとに革具職人や馬具師、文庫職人などが「鞄」の製作をスタートする

06. それまで日本に鞄の概念はなく、外国人が修理に持ち込んだものをマネしたことがきっかけといわれている

07. 一方1872年、明治政府は日本初の近代学校制度に関する基本法令となる「学制」を発布する

08. 政府はフランスの学制にならい、日本全国を8つの大学区に分け、その下に中学区、小学区を設置

09. さらに各学区に大学校・中学校・小学校を設け、身分に関係なく通学を奨励し〈国民皆学〉を目指した

学生鞄の誕生

10. この学制発布によって、子どもたちは登下校時に学用品を携行する必要が生じ学生鞄が誕生することになる


11. 1877年に開校し、官立の模範小学校となった学習院初等科では馬車や人力車で登校する生徒が主流だった

12. 彼らの学用品は従者が担っていたが、1885年〈教育の場での平等〉の理念から学習院は馬車・人力車を禁止

13. 生徒自身が学用品を持ち運ぶための通学鞄として「背嚢(はいのう)」が導入される

14. 背嚢は幕末に洋式軍隊制度を導入した際、将兵の携行物を収納するためにオランダからもたらされたもの

15. 明治に入って建軍された帝国陸軍においても使用され、当時はリュックサックのような形状をしていた

16. オランダ語ではこの背嚢を「ランセル」と呼び、それが訛って日本では「ランドセル」と呼ばれるようになる

17. 1887年、当時皇太子であった嘉仁親王(のちの大正天皇)が学習院初等科に入学

18. 総理大臣伊藤博文はその入学祝い品として帝国陸軍将校の背嚢に倣った革製・箱型の特製鞄を献上した

19. これが現在のランドセルの原型といわれ、ゆえにいまでも「学習院型ランドセル」と呼称されている

20. 1890年、学習院は生徒心得のなかで背嚢を「黒革」にすることを規定

21. 通学服の洋装化に伴い、都市部の男児を中心に学習院型の革製ランドセルの使用が広まっていく

22. しかしこれはごく少数の恵まれた子息子女で、地方では学用品を「風呂敷」に包み通学する姿が一般的だった

23. 1894〜95年に起きた日清戦争で軍用として考案されたのが「雑嚢(ざつのう)」と呼ばれる肩掛け鞄だ

24. 雑ものを入れて斜め掛けにする布製鞄で、1905年に日露戦争が終結するとその高揚気分から学生間に流行

25. この頃から国内でも学生鞄の製作が広まるが、多くは雑嚢をもとにした帆布や麻製の肩掛けタイプだった

26. 当時のデザインはかぶせ部分のコーナーに丸みがあるのが特長で、雑嚢の流行は大正時代に入っても続いた

27. そのうち女児向けの雑嚢や四角いフォルムの雑嚢などデザインに変化が現れる

28. 昭和に入り、中学校の通学用鞄として主に用いられた「白鞄」「ズック鞄」はこの雑嚢をベースにしている

一本手の「手提げ鞄」が主流に

29. そして昭和になって登場したのが、学生向けに革製で作られた「手提げ鞄(学生鞄)」である

30. そのベースとなったのは書類入れとしてビジネス用に考案された「抱鞄(かかえかばん)」

31. もとは抱えて持つことからこの名がついたが、大正時代末期からこれに「手」をつけた「手提げ式」が登場

32. 手提げ鞄には「一本手」と「二本手」があり、一本手の代表ともいえるのが学生向け手提げ鞄だった

33. 1930年代半ばに東京の大手デパートが女子学生向けに学生用手提げ鞄を販売。男子学生や会社員にも浸透していく

34. しかし1941年に太平洋戦争に突入すると国内は戦時統制経済となり学生鞄にもその統制が及ぶことになる

35. 学生鞄という品目に対し、国によって規格が決められ、寸法、工作条件など細かい項目が付されて採点・審査

36. その得点をもとに1〜10級までランク付けされ、各等級に応じた価格が指定された

37. 1944年にはさらに統制が厳しくなり、生産・販売においても割り当てを受けなければならなくなった

38. 自由に原材料を仕入れることができず多くの学生鞄製造者が苦労するなか統制は戦後の1949年まで続いた

39. 1950年代半ばになると原材料も入手しやすくなったことで、天然皮革の抱鞄が多く製造されるようになる

40. 一本手の手提げ鞄が学生鞄として主流になり、戦後の急速な経済発展とともに一気に全国に広まっていった

41. 同時に学習用具の多量化、宿題の増加にともなって収納運搬具としてのランドセルが小学生の必需品となる

42. 当時は男子中学生の帆布製肩掛け鞄をのぞき、ランドセルも学生鞄も天然皮革がメインであった

43. しかし1965年、世界に先駆け倉敷レーヨン(現クラレ)が人工皮革「クラリーノ」の販売を開始する

44. 人工皮革のベースは三次元構造の不繊布で構成され、連続微細多孔という特殊ポリマーを使用

45. 人工とはいえ天然皮革と同じような構造を生み出すことで、外見・風合いともに天然皮革に近似している

46. 折れ曲げにも強く透気性・透湿性にすぐれ、なにより天然皮革より軽量なことから学生鞄市場で人気が爆発

47. 1970年代後半には天然皮革に代わり人工皮革の学生鞄が主流を占めるようになっていく

48. 一本手の学生鞄は持ち手や錠前などが金属で補強されており、ベロ革が前面の左右2カ所にあるのが特長


教科書やノートが収納しやすい(写真:terumin K / PIXTA)

49. 内部はポケットをはじめいくつものスペースに分かれ、教科書やノートが収納しやすいよう配慮されていた

50. 男女を問わず黒色が一般的だったが、濃紺色や茶色も利用され、学校によって校章入りの指定鞄もあった

51. 鞄の大きさやマチの太さ、錠前の形などの細部はメーカーによって異なる

鞄を改造する学生たち

52. 1970〜80年代にかけて高校生を中心に意図的に「マチを細く改造」した一本手の学生鞄が流行した

53. この流行は地域差はあるものの男女を問わず、マチの太い鞄は「ブタ鞄」「ブタバッグ」として嫌悪された

54. 学生鞄の改造は、飲酒、喫煙、制服アレンジと同様に管理教育全盛期における反抗の一種ともいわれている

55. 学生たちは鞄を薄くし学用品を持ち歩かないことで、勉強や進学など世俗的な価値規範から距離を置いた

56. 当時、学生鞄の改造方法として最もポピュラーだったのが、鞄に湯をかけて革を柔らかくし重石で潰す方法

57. 布団の下に鞄を敷いて寝押ししたり、マチ部分を安全ピンで留める、間仕切りを取り払うなど多様にあった

58. マチに入っている「芯」と呼ばれる金属を工具で取り払い、さらに薄くする方法もある

59. 芯を抜いた上でマチ部分を切り取り、そこを糸で縫い留めたり、接着剤で貼り付けて広がらないようにした

60. 当時の学生たちの改造は「持ち手」にも及んだ。取っ手部分を取り外しベルトやチェーンを用いて長くする

61. さらに持ち手部分には派手なカラーのビニールテープを巻き付け、そのテープの色にも意味があった

62. この色に対する解釈は地域や学校によって異なるが、「赤色」は〈ケンカ上等〉や〈番長〉を意味していた

63. その一端を垣間見る1981年に発売された横浜銀蠅の代表曲『ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)』

64. 歌詞のなかに赤テープ同士でタイマン(=1対1のケンカ)をはろうというフレーズが登場する

65. 不良っぽさを示す改造のみならずステッカーやカッティングシートを貼ったり、落書きする方法もあった

66. また学生鞄の持ち方にもさまざまなローカルルールがあり、肘に下げたり、脇に挟む者も少なくなかった

67. 結果、両手が自由になり、制服のズボンやスカートのポケットに手を入れるスタイルがカッコいいとされた

ナイロン製ボストンバッグが増える

68. しかし昭和が終わり、1990年代に入ると全国の私立・公立学校で制服の見直しが行われる

69. 詰襟の学ランやセーラー服が廃止され、ブレザー&ネクタイスタイルが定着すると学生鞄にも変化が現れる

70. 従来の帆布製肩掛け鞄や革の学生鞄に代わり、ナイロン製のボストンバッグ型鞄を指定する学校が増加


ナイロン製のボストンバッグ型鞄(写真:Graphs / PIXTA)

71. なかには通学鞄を完全自由化する学校もあり、他校の校章が入ったナイロンバッグが流行したこともあった

72. また制服のファッション化にともない、自由の女神をロゴに配した「イーストボーイ」のバッグも大流行

73. これらのナイロン製ボストンバッグは「スクールバッグ」と呼ばれるが、近年では「3way型」も登場

74. リュック、トート、ショルダーバッグとしても使用できるデザインで「ニュースクールバッグ」とも呼ばれる

75. 運動部に所属する学生の間ではスポーツメーカーが製造するエナメル仕様ショルダーバッグも人気が高い

76. 中・高校生の学生鞄はいまや制服とともに生まれ変わるアイテムとなったが、小学生のランドセル人気は不動

77. しかし近年、少子化の影響で各メーカーはデザインや素材、色にこだわった多様な製品を開発している

78. デザインは主に3タイプあり、ひとつは上ぶたが鞄の下まで覆う従来の「学習院型ランドセル」

79. また、上ぶたが通常の半分程度しかないもの、横型デザインのものなど変形ランドセルも登場している

80. そのカジュアルさから変形ランドセルも人気を集めたが、近年はスタンダードな学習院型に回帰している

81. 1970年代には6000円程度だったランドセルだが、現在では10万円を越える超高級ランドセルも珍しくない

82. 値段を決める一番の要素は「素材」にあり、人工皮革、豚革、牛革、コードバン(馬革)で価格帯が異なる

83. なかでも超高級ランドセルに使用されるのは〈革の宝石〉とも謳われるコードバンが多い

84. 天然皮革のランドセルは重量感はあるが、高級感、丈夫さ、傷つきにくさで人工皮革に優るといわれる

85. しかし軽さや手入れの簡単さでは人工皮革にかなわず、製造されているランドセルの7割は人工皮革である

86. ランドセルは孫のために祖父母が購入するケースも増えているが、近年人気の価格帯は3万〜4万円代である

87. 小学校入学〜卒業まで使用するのが基本とされ、市販品のランドセルには6年間保証がついているものが多い

88. ランドセル製作の大部分は手仕事で行われ、一体に用いられる部品は金具も含めると100個以上となる

89. 肩紐だけでも表材、裏材、ウレタンの型抜き、穴あけ、ミシン掛け、手縫いなど10工程以上が必要とされる

90. ランドセル側面にあるフックは1950年代に体操着袋など児童の持ち物が増えたことで発案された

牛一頭でランドセル5〜6体分

91. 革の面積はデジ(1デジ=10cm×10cm)という単位で表現するがランドセルは表革だけで70〜75デジを使用

92. それに加え、背中、肩ベルトなどのソフト牛革が約30デジ必要で、牛一頭でランドセル5〜6体分となる

93. かつて男児は「黒」、女児は「赤」が主流だったが、ランドセルのカラーバリエーションは年々増加している


ランドセル(写真:mako / PIXTA)

94. 実は鞄業界では1960年代からカラーランドセルが存在していたが、売れ始めたのは2000年代以降だった

95. イオンの「はなまるランドセル24」は24色の多色展開に加え、好きな色を合わせてカスタマイズも可能

96. 手作りランドセルで人気の萬勇鞄の「オラージュシリーズ」では「ゴールド」と「シルバー」が注目を集める

97. 女児にはピンクや赤系が人気だが、刺しゅうやスワロフスキー入りなど装飾性の高いものが増えている

98. 職人の手作りにこだわる工房系メーカーの多くは予約生産のため入学前年の5〜6月から予約を開始する

99. 2011年度からの学習指導要領改訂により教育現場で配布されるプリント類がB5から「A4」に移行した

100. そのため現在ではA4クリアファイルを曲げずに入れられるランドセルの需要が高まっている

(文:寺田 薫/モノ・マガジン2018年5月2日特集号より転載)

参考文献・HP/「東京手しごと名品図鑑」(JTBパブリッシング)「こどものもの現代子ども道具カタログ」(雲母書房)「雑学子どもにウケるたのしい日本」(新構社)、?日本かばん協会、イオン、小山鞄製、鞄工房山本、セイバン、中村鞄製作所、番勇鞄、武藤鞄製作所ほか関連HP