妊娠、出産、子育て 翻弄される心身とパートナー関係の行方

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「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の運営で知られる熊本市の慈恵病院は昨年来「内密出産制度」の導入を検討していたが、今月14日、各国の関係者が集まって制度について議論する本格的な国際シンポジウムが、国内で初めて開催される。

「内密出産制度」とは、子どもを育てられない母親が匿名のまま病院で出産できる制度。病院以外の場所で産む危険な「孤立出産」や、乳幼児の虐待死を防ぐという目的がある。

他方では、出産や育児の悩みを抱える母親を支えるための「子育て世代包括支援センター」が、近年各地に広がっている。妊産婦や乳幼児への公的サポートの多くは、行政の担当部署や施設が異なりがちで、支援が途切れたりする懸念があったためだ。

こうした制度整備の裏には、子育ての負担がまだ母親の方に重くのしかかっているという現状があるのは言うまでもないが、そもそも妊娠や出産自体が女性にもたらす激烈な心身の変化は、同じ当事者である男性には想像が難しい。そこで二人の関係性をどう結び直すかが、子育てにとっても大きなテーマになると思われる。

今回紹介するのは、『理想の出産』(レミ・ブザンソン監督、2012)。妊娠、出産という一大事の中で女性が遭遇するさまざまな問題を、リアルかつ丁寧に描いた異色作だ。

子どもという「他者」の登場

大学院生バルバラ(ルイーズ・ブルゴワン)は、ビデオレンタルショップに通ううち、店員ニコラと惹かれ合うようになる。DVDパッケージに書かれた映画のタイトルを見せ合って互いの心理を推し量っていく恋のプロセスは、いかにもフランス映画っぽい。

まだ学生の身分でありながら、恋愛の昂揚感まっただ中で子どもを作ることにすんなり同意するのも、フランス的なのかもしれない。日本なら「子作りの前にまず結婚を」という規範があり、その後も出産、育児のハードルをどうクリアするかで悩む人は多いだろう。

だがこのヒロインのように”無謀”でも、慎重に慎重を重ねた結果であっても、妊娠、出産、その後の子育ての現実はしばしば当事者の予測を越えていく。

二人で妊娠を喜び合ったのも束の間、バルバラは担当教授から出産前に次の論文を提出するよう求められる。哲学科である彼女の論文タイトルは「ウィトゲンシュタインの論理哲学論考における他者とは」。

ウィトゲンシュタインは言葉の限界性について思考を巡らせた哲学者であり、「他者」とはまさに、自分たちの言葉が通用する世界の外から現れる者だ。そして、バルバラが産婦人科で見せられる子宮の中のエコー映像が、暗い宇宙空間の中に浮ぶ巨大な胎児の姿として映し出される場面こそ、子どもがまったく未知の「他者」として登場することを暗示している。

妊娠初期のバルバラを見舞うのは、今まで体験したことのないような心身の揺れ動きだった。体型の変化を気にしつつも肉を頬張り、情緒は不安定で生活リズムは乱れ、ホルモンが活性化して性欲がやたらと亢進する。

そんなパートナーの変化に、ニコラは戸惑うばかり。「男は、妊婦は聖母だと思ってる」というバルバラの台詞は、両者の間に生じた厄介な溝を感じさせる。

久々に訪れた実家では、母に妊娠したことを言い出せずにいたものの、しっかり見抜かれ説教される。離婚して二人の子どもを育て上げた、何かと一家言ありそうなこのフェミニストの母の、娘を見る目は厳しい。


『理想の出産』に出演したルイーズ・ブルゴワン(左)とピオ・マルマイ(右)

そんな中、ニコラも将来のことを真剣に考え始め、手堅い会社員に転職を決意。購入したベビーカーについて、消費者テストで耐久性に問題ありとネット情報で知り返品する下りは、いかにも現代的だ。

積み重なっていくエピソードには日記の記述のように、バルバラのモノローグが随時挟み込まれる。出産を前にしてあれこれ試行錯誤する若い妊婦の姿に、「あるある」と呟く経験者は多いだろう。

「父と母」という新たな関係

ある夜、家中が水浸しになり増水していく中で溺れる夢を見た後、バルバラに陣痛が訪れる。この夢は、出産という出来事が彼女の心身にとっていかに重大な事件かを示すものだ。

出産までの病院での長い長い時間。母親教室をサボったので鎮痛用の機器の使い方がわからず、助産婦に叱られてキレるバルバラ。「会陰切開」という医師の言葉に卒倒してしまうニコラ。激しい痛みにあえぐバルバラの汗塗れの顔のアップに、「こんなこと誰も教えてくれなかった」というモノローグが被る。

このかなり壮絶な出産の場面と対照的に、深夜の病室で初めて授乳をし、しみじみと感動に浸るシーンは静かで美しい。一方で、会陰縫合の結果を多くの見習い医師に見られてうんざりしたり、退院当日にこれからの不安を助産婦に訴えて泣いたりといった、デリケートな場面も正面から描かれている。

育児生活は想像以上の忙しさで、泣き止まない赤ちゃんにバルバラの疲労は蓄積し、常時睡眠不足でパソコンに向かうも論文はなかなか進まない。仕事が多忙になったニコラともすれ違いが続く。

そしてついにある休日の朝、ゆっくり寝ていたいニコラと、冷蔵庫の修理業者を呼んだバルバラの間に、出産後初めての大げんかが勃発。ニコラは自分の母を育児の手助けとして招くが、ミルク派の彼女と母乳派のバルバラは反りが合わず、気まずい空気が漂う。

そんな中、やっとのことで久しぶりに友人たちと会うため、隣の家に子どもを預けに行ったバルバラは、そこの子沢山ぶりに圧倒される。一人でも大変なのにどうやって? 子どもがいて愛し合うことは可能なの? さまざまな問いが彼女の頭を駆け巡る。

軋みがちな関係を修復しようと、家族でバカンスにでかけるが、子どもの存在の重さを改めて突きつけられる。互いに愛情はある。しかし子どもという他者が加わることで、関係は確実に変わった。「男と女」という関係性に「父と母」という新たな関係性をどうフィットさせていったらいいのかという大問題。これは世界共通のものなのだろう。

ちょっとしたことから他人の前で激しい口論をするという展開が、複数回ある。なぜわざわざ、他人がいるところで夫婦喧嘩をしてしまうのか。その根底にあるのは、バルバラの孤独だ。

一日中子どもと家にいる閉塞感。パートナーが自分から離れていくのではないかという不安。彼女の苦しみを、新米パパのニコラは全面的に受け止める余裕がない。だからバルバラは無意識のうちに誰かに助けを求めて、他人の前で爆発してしまうのだ。

ニコラと決裂し、疲れ果てて実家に戻り、「産まなきゃ良かった」と漏らすバルバラに、母は「パパと作った最高傑作が娘たちだった」と告げる。これまで厳しかった母の言葉に、自信を失っていたバルバラは救われる。

子どもを持った場合も持たなかった場合も、パートナーとの関係性はだんだんと変化していくものだ。その変化に互いが向き合い、互いが柔軟に受け入れていくことができなければ、破綻する。若い二人が最後にやっと辿り着いた再出発の地点は、歳を重ねても忘れないでいたいものだ。

映画連載「シネマの女は最後に微笑む」
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