最大瞬間風速で生きる。胸のコンプレックスを事業に変えた、嵐のような女社長

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嵐のような女性に出会った。

目黒にあるオフィスに到着した彼女――黒澤美寿希さんは、着くやいなやポーチから大量のコスメを取り出して、この取材用に超特急でメイクをはじめた。私たちが今回の取材意図を説明すれば、それを瞬時に理解して、意図に合った言葉を的確に選び抜いてくれる。聡明で、快活。私がイメージしていた「女社長」そのものだった。

胸が大きくて、いいことなんてひとつもない

「最初に立ち上げたのはグラフィックデザイン会社。1〜2年くらい経って私が直接関与しなくても自走できるような体制になったので、次は自分が本当にやりたい事業をやろうと思って、2社目を起業しました。それが、アパレルブランド『HEART CLOSET』です」

『HEART CLOSET』は、普通のアパレルブランドとはちょっとちがう。胸の大きい女性がターゲットで、胸のサイズから服を選ぶことができる。この事業の立ち上げには、彼女自身の悩みが根本にあった。

「昔から、好きな服を着たくても、自分の体に合うサイズがないのが悩みでした。太っているんじゃないか、この体が変なのではないか。 まわりにモデルみたいなスタイルの友だちが多かったのもあって、私が痩せるしかないのかと思いつめたり。でもあるときネットサーフィンをして、服が合わないのは胸のサイズが影響していることに気づいたんです」

もともと、胸が大きいことをコンプレックスに感じていたという黒澤さん。だけど私から言わせてみれば、胸が大きいなんてめちゃくちゃうらやましい。それを正直に伝えると、黒澤さんは「胸が大きくていいことなんてひとつもないですよ!」と声を大きくした。

「街を歩いていると、ジロジロ見られたり、見知らぬおじさんにセクハラ発言をされたりします。男性からモテるでしょう? と言ってもらったとしても、胸が大きいからという論点からだと『体目当てなんじゃないか』『中身を見てくれていないんじゃないか』と思うことのほうが多い。全然うれしくないし、悲しくなります」

さらに黒澤さんは、職場における胸が大きいことの悩みについても話し続けた。

「職場では、オフィスカジュアルでシャツを着なきゃいけないことも多いですよね。そういうとき、体に合うサイズのシャツがないと本当に困るんです。私の体はMサイズだけど、Mサイズの服を選んでも胸が入らないし、胸元が伸びて谷間が見えてしまう。 『その谷間、隠したほうがいいよ』とか『色目使って仕事してるの?』なんて言われても、自分ではどうにもできない」

起業する前に会社員経験もある黒澤さんの表情が、少しずつ曇っていくのがわかった。最後にぽつりと呟いたのが、「胸が大きくて困ったことがない女友だちに相談しても『そんなの悩みなんて言わないよ』と一蹴される。だから誰にも理解してもらえないのが精神的につらい」という本音。

コンプレックスを気にせず、ファッションを楽しんでほしい

日本のアパレルメーカーは、ほとんどがBカップで作られたトルソー(※)を採用している。ブラジャーはトップからアンダーまで細かく計70サイズほど分けられているのに対して、服はS・M・Lいずれも胸のサイズが考慮されずに作られているそうだ。

「Mサイズも、Lサイズも、LLサイズも胸が入らなくて、店員さんに『これ以上のご用意はありません』と言われることもよくあります。それに、ストンとしたシルエットのワンピースが着たくても、バストトップからストンと生地が落ちるのでお腹まわりが太く見えてしまう。ウエストをしぼるタイプのワンピースしか着られないんです。でも胸が入らない」

胸の大きい女性たちが、本当に好きな服を思いっきり着られるように。そんな願いを込めて『HEART CLOSET』のオンラインストアをリリースした。オリジナルの型紙と、立体裁断による生地の加工で、胸の部分にゆとりがある服が完成。胸のカップとアンダーのかけ合わせで、自分に適したサイズを選ぶことができる。販売商品にシャツやジャケットが多いのも、胸が大きいことによる「職場での悩み」を解消してあげたいから。

「ブランドを立ち上げた当初は、胸が大きい女性たちからの『こういうのを待っていました!』という声が多かったです。意外だったのが、ターゲットではない女性たちからも『どうして今までこういうものがなかったんだろうね』と言ってもらえたこと。胸が大きい悩みって、あまり人に話せないから、世の中に認知されていなかったのかもしれないですね」

アパレル経験ゼロからのスタート。それでも突き進んだ理由

とはいえ、事業をひとつ立ち上げるのは簡単ではなかった。実は黒澤さん自身、アパレル業界には一歩たりとも足を踏み入れたことがない、まったくの初心者。専門用語もわからないし、繊維など関連会社の知識もゼロ。だけど「プレッシャーはまったくなかった」と余裕の表情で話すから驚きだ。

「自分の中で『絶対にやる!』と決めていたから、迷いはなかったし、誰かに相談もしなかったです。アパレルの知識がなくても、この事業に必要そうな2人に声をかけて、一緒に調べながらやっていこう、って。わからないことは全部調べたり、人に聞いたりしながら進めました」

とてつもないバイタリティに、私は圧倒された。何か新しいことをはじめるとき、躊躇してしまう人は多いし、年齢が上がれば上がるほどそれは顕著になる。だけど彼女はプレッシャーなんて微塵も感じることなく、ただひたすらに新しい道を突き進んだ。

「私は、常に最大瞬間風速で生きていきたい。だって、明日死ぬかもしれないから。たまに祖母と電話するんですけど、その度に『やりたいことは全部やっておきたいな』と思います」

たとえるなら、嵐のような女性だ、と思った。なんとなく妥協しながらゆっくりと日々を過ごしている私比べて、彼女は最大瞬間風速で生きている。「明日死ぬかもしれない」なんて考えたこともなかった。

「もし明日死ぬなら、カルティエ行って時計買いません?(笑) これはちょっと大げさかもしれないけど、自分がやりたいと思うことに対して、いつも正直でいたいです」

もし明日死ぬなら、私は何をするだろう。この取材の帰り道、黒澤さんの言葉がずっと頭に残って「自分が本当にやりたいこと」を考えた。でも彼女みたいな壮大な夢はまだ浮かばない。私はこの体が本当に自分のものでよかったと思ったこともないし、それがどうしてか考えたこともなかった。どんなに些細でも、悩みや疑問を抱くことが「やりたいこと」を見つける第一歩なのかもしれない。

春になって、いろんなことが変わる。まずは小さな「やりたいこと」から見つけてみよう。

(取材・文:高橋ちさと、撮影:洞澤佐智子)

※トルソー:胴体部分の彫像。アパレルでは洋裁用ボディとして使用される。