戦慄MC BATTLE 2009.9.13 ※戦極MCBATTLE YouTubeチャンネルより

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「今の時代、SNSやYouTubeで誰でも情報を発信できる」――。

 よく聞く言葉だが、実際にトライする人は少ないし、それを継続して成功する人はもっと少ない。

『戦極MC BATTLE』主催のMC正社員は、バトル動画のYouTubeへの配信を‘09年から開始。今や総再生回数は1億回を超えた。当初、「お客さんはゼロだった」というMCバトルの大会も、今年2月に開催した『戦極MCBATTLE 第17章 本戦』(Zepp DiverCity Tokyo)では2500枚のチケットが完売している。

 MC正社員の連載『ダメリーマン成り上がり道』の第三回は、『戦極MC BATTLE』前身のイベント『戦慄MC BATTLE』の運営に参加したMC正社員が、イベントの規模を拡大していった過程を追いかける。

◆「お客さんゼロ」のMCバトル大会が2500人を集めるようになるまで

 サラリーマンをしながらラップをしていたMC正社員が、『戦慄MC BATTLE』の運営に加わったのは‘09年9月から。『戦慄MC BATTLE』は当時すでに10回弱の開催歴があるイベントだったが、「キャパ200人程度の会場でやってるのに、お客さんはほぼゼロ。MC(ラッパー)のエントリーも16人に達しない状況だった」という。

「ハコ代(会場のレンタル料)もペイできない状態ですよね。当時の主宰だったDJ会長という方が、本業の仕事で儲かってたらしく、それでなんとか運営できている状況でした。DJ会長はHIPHOPが好きでMCバトルの大会を始めたんですけど、本人はラッパーではなくダンサーだったんです。だからMCバトルの運営にも慣れていませんでした。当時はラッパーのアスベストも運営に関わっていたんですけど、『お前(MC正社員)が抜けたらオレもやめる』みたいなことを言われて。それで本格的にイベントに係るようになったんです」

◆MCバトルが「オワコン」だった時代

 今や『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)など、MCバトルが地上派でも放送される時代だが、‘09年頃は「MCバトルはオワコンだったんですよ」と振り返る。

「UMB(ULTIMATE MC BATTLE)が始まったのが‘05年で、すでに4〜5回続いていたんですけど、『これで勝っても意味なくね?』みたいな空気が広まってましたね。カルデラビスタさん(‘05年優勝)もFORKさん(‘06年優勝)も、GOCCIさん(‘07年優勝)も優勝したからといって音源のリリースに繋げられたわけではなく、‘08年に優勝した般若さんも『もうオレは出ない』と宣言していたくらいで。当時は今ほどバトルのシーンが出来上がってなかったから次のチャンスに繋げづらかったんですよ。あと、今はMCバトルに出てるコってオシャレな人が多いですけど、当時は泥臭い感じの人ばかりでした」

 そんな逆風の吹き荒れるなか、MC正社員は『戦慄MC BATTLE』を大きくしていく方法を運営内で話し合ったという。

「まず提案したのは、ちゃんと外からゲストのラッパーを呼んでバトルに参加するのはもちろん、ライブもやってもらおうということ。『戦慄MC BATTLE』で最初に呼んだゲストラッパーは回鍋肉で、次がPONYさんだったかな……。当時、基本的には『仲間を呼んで開催する』という大会が多く、ライブとセットでゲストを呼ぶ大会はあまりなかったんです。『戦慄MC BATTLE』も同じような感じで、参加するラッパーも『メンツが同じで飽きてる』『どうせ身内の大会でしょ?』と言っている人が多かったですね」

 長く続いている大会でも、参加者が同じであればマンネリ化が進み、参加者のモチベーションは下がるだろう。そこでMC正社員は外部からの血を入れたわけだ。

「それまではネットの掲示板やmixi、Twitterで参加者を募集していましたが、街中のサイファーやクラブにも顔を出して、『今度イベントやるんだけど出ない?』と直接勧誘しました。『出るよ』と言ってくれたら、『じゃあ名前と所属、年齢、出身を教えて。これで登録しておくね』とその場で出場を確約させるようにしたんです。そうやってエントリーについては64人集まるようになりました」

◆「面白い」と言いながら、誰もやらなかった動画配信

 しかし、エントリー数が増える一方で、参加者の大会へのモチベーションはまだまだ低かった。「スキルアップや練習のために出てきたけど、次はもういいかな」という人も多かったという。

「次のモチベーションをこっちが考えないといけないと思って、YouTubeにバトルの動画を配信しはじめたんです。これはずーーーっと『やったら面白いよね』とみんな口にはしてたんですけど、誰も実際にはやらなかったんですよ。みんなホント口だけで(笑)」

 アイデアは思いついた人が凄いのではなく、実行した人が凄い……とよく言うが、後身の大会『戦極MC BATTLE』が2500人の観客を集める規模になったのも、こうした仕掛けを実現したからだろう。

「大会初期の映像は撮影もぜんぶ自分でやっていましたね。最初は出場しているMCから借りたデジカメで撮っていたんですけど、2回目も頼んだら貸すのを嫌がられて(笑)。それで2万円くらいのカメラを買ってきました。安いから全然充電も持たなくて。予備の電池パックを4つ買って、充電を繰り返しながら撮影していたのを覚えてます」

 アップした動画は、すぐに再生数が伸びたわけではなかったが、着実に反響は広まっていったという。

「動画を観た出場者の周辺で『あのバトルはヤバかったね』みたいな話がされるようになってきて。当時はYouTubeに動画をアップする大会はなかったから、エントリーするMCにとっては『出場すると動画を公開してもらえるのか』という喜びはあったと思います。それからはエントリーするMCも増えていきましたね」

◆フライヤーのデザインも動画の編集も自腹

 また、以前の『戦極MC BATTLE』では、イベントのフライヤーもなかったという。そこでもMC正社員は「じゃあオレが作るわ」と名乗りを挙げた。

「最初はイベント運営に関わっても、5000円しかもらえなくて(笑)。途中から2万円になりましたけど、動画の編集やフライヤーのデザインはお金を払って人に頼んでいたので、自腹を切ってる金額のほうが多かったですね」

 当時、印刷会社で営業の仕事をしていたMC正社員は、フライヤーのデザインを社内のデザイナーに頼み、「上司に見つかってメチャクチャ怒られた」そうだ。

「『仕事を発注してるんだから別にいいじゃないっすか』とゴリ押ししてましたね(笑)。動画の編集も『動画、編集、埼玉』とかで検索して、近くで頼める人を探しました。UMBの動画を見せて『こんな雰囲気の映像にしたいんです』と。あと、大会の優勝者に賞金も出したいと思って、埼玉の服屋に『スポンサーになってほしい』と飛び込みで営業したりもしてましたね」

 足も使うし、自腹も切る。仕事がサボりがちになっていた是非はさておき、MCバトルの運営に大変な労力を割いていたわけだが、「当時は『自腹を切ってる』って感覚もなかったし、今より全然楽しかった」と振り返る。

「30半ばを過ぎても全然売れなくて、今もガラガラの会場でライブをしているラッパーは山ほどいますけど、そいつらの『オレはこれがヒップホップだと思うから!』みたいな姿勢と同じ感覚ですよ。守るものもなく、プレッシャーもなくて、ただ『バトルを盛り上げたい』ってことしか考えていませんでした」

 当日、つつがなくイベントを成立させるだけでなく、事前の告知や事後のプロモーションにも力を入れる。単に出場してもらうだけでなく、次回へのモチベーションを維持してもらう……。イベントを継続するためのサイクルがゆっくりと回り始めた。

<構成/古澤誠一郎>

【MC正社員】戦極MCBATTLE主催。自らもラッパーとしてバトルに参戦していたが、運営を中心に活動するようになり、現在のフリースタイルブームの土台を築く