ドイツの職業訓練は理論と実地の両面から行う。男性(22歳)は「商人」の職業訓練中だ(筆者撮影)

日本では新年度を迎え、職場に新入社員を迎えた人も多いだろう。毎年変わらぬ風景が見られる一方で、この20年ほどで就職・雇用をめぐる状況は一変した。非正規社員の増加や新入社員の過労死など、働く環境を巡る問題が噴出し、「ブラック企業」という言葉も登場。今国会は「働き方改革国会」と銘打たれ、労働時間規制を強化する法案の成立が目指されている。

こういった状況に対して、「生産性が高いうえに長期休暇がある」など、ドイツの「ホワイトな実情」が引き合いに出されることは多い。もちろんドイツにもさまざまな問題もあるが、日独の就活や人材育成を比べると、確かにその違いは大きい。一番の違いは、日本は就活や人材育成が「企業」という私的組織主体で行われているのに対し、ドイツは「社会全体」が責任を持っているのだ。この違いが社会にどう影響しているのか、今回は考えてみたい。

ニートが発生しにくい職業教育制度

ドイツと仕事という単語を並べてみると、「マイスター」という言葉を思い浮かべる人も少なくあるまい。マイスターとは、中世ヨーロッパのギルド(同業者組合)で発達した徒弟制度における「親方」のことだ。

現在も手工業などの分野にある資格だが、仕事に関して「所属する会社」よりも、職業に重きを置く「職業社会」であることを象徴する言葉だ。そんな国の「就活」は日本とかなり事情が異なる。一言でいえば教育と職業の関連性が高く、そのため日本人の感覚からいえば、かなり複雑だ。

ドイツの学校制度を見ると、小学校は4年生まで。以降の中等教育がおおよそ3種類に分かれる。大学入学資格取得が前提の「ギムナジウム」(8年)、中級クラスの技術者となることを前提とする「実科学校」(6年)、職人などの職業となることを前提とする「基幹学校」(5〜9年)などである。最近はこれらをまとめた「総合学校」もできている。

中等教育を終えた後のシステムがまた複雑なのだが、できるだけシンプルに書き進める。

大学に進学しない場合、18歳までの若者は職業学校への就学を義務付けられている。職業にもよるが、基本的に3年程度通う。この期間、同時に週のうち3〜4日間は会社などで職業訓練を受ける。職業によっては6週間ごとに学校と会社に交互に通うものもある。

いずれにせよ、学校で理論、会社で実践を学ぶという制度設計で、デュアルシステムと呼ばれている。職業訓練を終えたあとは、そのまま社員として契約する人もいれば、他社の同職種へ応募する人もいる。


職業によっては中世からの遍歴修業の伝統を残しているものもある。写真は大工の修業中の青年。伝統的な大工の服や小道具を持って回っている(筆者撮影)

大学に進学した場合も卒業後、職業訓練が必要な職業もあるが、いずれも専攻学科が限りなく「職業」に近い。

工学系出身で、「職業・エンジニア」とするのは、日本社会から見てもわかりやすいが、この感覚で、たとえば社会学を修めた者が企業に就職し、名刺には組織の肩書とともに、「社会学者」と名刺に書く人も少なくない。

それからドイツは「大学入学資格」を取得すると、原則として、いつでもどの大学へも行ける。そのため、大学に進学せずに職業学校へ進む人もいる。また職業訓練後に、大学入学資格を取得することも可能だ。

ともあれ、中等教育以降の職業教育を見ると、学校教育と職務内容の関連性が薄い日本と制度的に異なるのがわかる。加えて、ドイツでは構造上、ニートが発生しにくいともいえるだろう。

社会的責任として企業が人材育成

ドイツではこうした職業教育を経ることで、327の職業については「職業資格」が得られる(2017年現在)。そのため、たとえば秘書の求人に応募しても、秘書の職業資格がなければ、まず書類審査で落ちる。

また職業学校に通うのは、20代前後の若者がほとんどだが、新たな職業資格を取得したいと希望する人が通うこともあり、年の離れた「クラスメイト」がいることもある。あるいはドイツで多くの難民が押し寄せたが、彼らにも職業が必要となる。しかし、たとえドイツ語を習得しても、ドイツの職業資格がないことで仕事が得にくい状況になっている。こうした点に、職業社会としてのドイツの特徴が見いだせるわけだ。

さて、新人の教育にコストがかかるのはドイツも日本も同じ。企業にとって負担であるが、職業訓練生を募集する企業は多い。毎年秋から募集がはじめられるが、ラジオなどでは広告を耳にすることがよくある。職業教育を施して自社でそのまま働くとは限らないのに、積極的なのだ。

数年前、その理由について筆者が住むドイツ中南部エアランゲン市の商工会議所の当時の所長が話してくれたことがある。それは「職業教育の負担は、企業の社会貢献」だというのだ。このときの取材のテーマはCSR(企業の社会的責任)。文化や福祉などへの取り組みの話の中で出てきたのだった。

これを解きほぐすと、こういうことだろう。職業訓練の機会を提供することで雇用に値する「専門性の高い歯車」(=人材)を作ることになる。そうすれば失業者を出しにくくなり、社会保障などの給付を抑えることにもつながる。これは1960年代後半に打ち出された経済成長と完全雇用の達成ということが影響しているのだろう。今でもメルケル首相率いるCSU(ドイツキリスト教社会同盟)からは「雇用創出は社会的である」という言い方が出てくる。


「職業教育を受けることは、両親にとっての誇りになる」。商工会議所やバイエルン州による職業教育をすすめるポスター(筆者撮影)

とはいえ、企業の管理職らと話していると、職業訓練を引き受ける理由として、若いうちから自社に合う社員を育て、職業訓練を終えたあともとどまってもらいたいから、という本音も出てくる。

中には「企業は安い労働力と見なしている」とする指摘もある。それにしても、経済環境が厳しいときにも、社会的に若い人に職能をつけるという責任は果たしてきた面もあり、これは「ドイツが自慢してもいいこと」と言う人もいる。

また「一人前」になったあとも、商工会議所などが用意する職業の「継続教育」によって、職能を高め、よりグレードの高い「職業資格」を得る人も多い。これも社会全体で個人の能力を高めるという考え方と関連している。そのため自治体が企業誘致を行うときも、事業立地の優位性のひとつに「継続教育についても充実した地域社会である」というアピールをする。

「釣りができる人材」を社会全体で育成したほうがよい

ここで日本の状況を見ると、社会全体で「人材育成」を考える発想が少ないことが浮かぶ。終身雇用制が維持できた時代は、多くの会社(=私的セクター)が責任を持って人々の雇用を守り、「社内」という限られた組織の中ではあるが、キャリアもアップできた。

しかし、経済環境の悪化で、終身雇用制が保てなくなると、派遣社員というかたちで人件コストの最適化を図った。短期的に見ると企業経営の健全性を保つ手段だが、社会全般を見ると、職能を持たない若年層が増え、将来的にもキャリアアップがはかりにくい状況を作っている。これを「自己責任」とするには、問題が大きすぎる。また、こういう現状から考えると、将来の人材の先細りや、ひいては、社会そのものの疲弊というリスクも高まる。

ひるがえって、ドイツでは2015年に移民・難民が大量に押し寄せてきた。以来、混乱や問題、課題も多いが、ほどなくして、難民向けに職業訓練のプログラムをつくる企業も出てきた。そのころ、ある大手企業の管理職の1人とこの話題にふれたことがあった。「さっさと職能をつけてもらったほうが、結果的に社会全体がうまくいくという発想があると思う」という意見が出てきた。

また、教育に関する「個人の負担」に着目すると、小学校から大学まで原則無料だ。つまり、基礎教育から職業教育まで個人の負担はかなり軽い。

ところで経済的弱者への支援方法には、「空腹を満たすための食糧を提供する」方法と、「魚の釣り方を教える」方法があると言われる。後者のほうが持続可能性が高いのは明らかだ。そして、ドイツのシステムは後者に似ている。国や社会が「釣りができる人材」になるまで支援し、結果的に社会の持続可能性の高さにつながる構造だと思う。