閉店した「パクチーハウス東京」のオーナー・佐谷恭さん。服は緑、いたるところにパクチーを連想させる「89」の数字

写真拡大

 パクチーブームの火付け役であり、牽引役として人気を博したパクチー料理専門店「パクチーハウス東京」が、3月10日に店を閉めました。アイデア満載のメニューと独自の店づくりで、国内外のファンから熱烈支持を受けたパクチーハウス。連日満席だったのに、閉店したのはなぜなのでしょうか。お店の代表に話を聞きました。(ライター・夏目みゆ)

【画像】パクチー料理、パクパクピッグパクポークビッグパクパクパクポークとは?

世界初のパクチー料理専門店

 パクチーだけのかき揚げ「パク天」に始まり、正式名をしっかり口に出して伝えないと注文できない、「パクパクピッグパクポーク ビッグパクパクパクポーク」(その正体は、豚バラやわらか煮込み中華風ソースのパクチーのせ)。

 ミントではなくパクチーが「これでもか」と入っているモヒート「パクチーもヒートアップ!」。

 さらには、「追パク(ついパク)」と注文すると、その声の大きさで盛りが変わる、トッピング用のパクチー。

 パクチーブームのずっと前、2007年にオープンした世界初のパクチー料理専門店「パクチーハウス東京」のユニークなエピソードは、数知れません。

 ともかくこの店には、パクチー料理しかない。言い換えれば、ここに来ればパクチー料理が食べられる。しかも、どうやら一度行ったら、味はもちろん、なにやら店そのものにやみつきになってしまうらしい。噂が噂を呼び、オープン1カ月で、同店目当てに愛媛から上京するお客さんが登場したほどです。

 「この店の商圏は、半径2万キロなんです」と話すのは、パクチーハウス東京のオーナー・佐谷恭さん。地球1周が約4万キロなので、地球全体を商圏にしていることになります。事実、メキシコやイタリア、オーストラリアなど、世界各地から来店する人もいたそうです。

「場づくり」に目覚め会社を辞める

 パクチーのイメージがあるタイ料理にだって存在しない、パクチーをメインに食べる「パクチー料理」というジャンルを最初に生み出したのが、佐谷さんです。

 旅が大好きだった佐谷さん。世界を旅する中で、どの国でもパクチーを見かけるのに、当時の日本では、ほとんど出合えないことに疑問を抱き、自ら「日本パクチー狂会」を立ち上げ、会長に就任します。

 パクチー普及活動と称して、居酒屋やレストランで外食するたびに、「パクチーを出せば、あの空席はすぐに埋まる」と、その店の店長や料理長に話していたそうです。

 そんな時、佐谷さんは、あるきっかけで勤めていた会社を辞めることにしました。

 それまでも何度か転職を経ていた佐谷さんは、ここで、自分に「できること」と「したいこと」を約半年にわたり考え続けたとか。その結果、自分にできることは「飲み会の乾杯」くらいしかないことに気付いたそうです。

 その延長線上にあるのは「場づくり」だと考え、人と人をつなげたり、人の活動を応援するような場をつくりたい、と思った時に、そのアイデアが「パクチー」と結びつき、「パクチーハウス東京」の構想が生まれました。

好きすぎてパクチーだらけの店内に

 飲食店の素人が、パクチーというマニアックすぎる食材をメインとした専門店を立ち上げる。その道の専門家からは大反対を受けたそうですが、「絶対に面白い」と信じた佐谷さんは、開店に突き進み、とことんパクチーを突き詰めます。

 服はいつでも緑色。ことあるごとにパクチーを想起させる「89(パク)」を連呼。

 お店のメニューの名称や値段に「89」をつけるだけでは飽き足らず、「89」のキーワードを見つけると、ウルトラマラソンに参加してしまうほどの、入れ込みようでした。
(佐谷さんは、2014年に、89キロを走る世界最古のウルトラマラソンの第89回大会に出場して以来、さまざまな「89」由来のマラソンに参加)。

 今回の閉店にあたっても、3月10日を最終営業日と定めると、89日前に閉店を宣言しました。

成功体験には縛られない

 最終日には盛大な閉店パーティを開催。事前申込制のパーティのチケットは完売していたにもかかわらず、最後のチャンスになんとか訪れたいと押しかける人が後を絶たず、入店制限が大変だったそうです。飲食店の閉店として、異様なまでの盛り上がりを見せました。

 「お客さんも来てくれていたし、正直言って、このままお店を続けることはできました。でも、もっと面白いことができる感覚が自分の中にあって、そのためには一度すべて壊さないとダメだったんです。閉店は、僕なりのイタズラ。ここに来れば、パクチー料理が食べられるという安心感を壊す狙いです」

「無店舗展開」の意味

 これからのパクチーハウスは、「無店舗展開」だと話す佐谷さん。いったいどういうことなのでしょう。

 「『パクチー銀行』の活動として、希望者にパクチーの種を無担保で融資しています。お店のレシピもすべて公開します。だからお客さんは、パクチーハウスで体験してきたことは、もう全部、自分でできるんです」

 「お店がなくても、続いていくものがそこにはありますよね。むしろ、住所不定・夢食(むしょく)になった分、自由に広がるとおもいます」

 「僕自身が次に何をやるかは、まだ決めてません。むしろ、次を決めてから仕事を辞めたことは一度もないんです。仕事は与えられるものではないし、奪い合うものでもない。自分でつくるものです」

 「自分の成功体験にしがみつかず、あっさり捨てることが大切。しがらみや常識に縛られず、自由に動いていれば、いろんなことが変わります」

 「人って、自分で決めれば、何でもできるものです。僕は、パクチーハウスの経験を経て、豊かな世界を作るリーダー的存在になりたいと思ったし、パクチーハウスのスタッフや来てくれたお客さん一人一人が、そうなると思っています」

 佐谷さんは、一大ブームを起こしつつも、お店をあっさり手放しました。決断の背景には「成功体験に縛られない」という考えがあったのです。

「働き方改革」の前に考えること

 働き方はこうじゃないといけない、という決まりはないし、まして、仕方なく無理にイヤイヤ働くんなんてもってのほか。

 佐谷さんのキャリア論を聞いていると、働き方や生き方にブレーキをかけているのは、他でもない自分自身だということに気づかされます。

 今、あちこちで「働き方改革」が叫ばれていますが、そのためにまず必要なのは「自意識改革」「自己常識の破壊」なのではないでしょうか。

 「飲食店は店舗があるもの」という常識から解き放たれた佐谷さん。今度はパクチーブームにとどまらない、世の中を揺さぶるインパクトを与えてくれそうです。