吉野山のシロヤマザクラ(写真=時事通信フォト)

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日本屈指の桜の名所として名高い奈良県の吉野山。例年4月には深刻な交通渋滞に悩まされていた。だが10年ほど前、旅行会社の主導で駐車場の整備などが行われたところ、3時間の渋滞はわずか10分ほどに改善した。どうすれば観光地の交通渋滞は解消するのか。神戸大学大学院の栗木契教授が分析する――。

■なぜ日本の観光地は渋滞ばかりなのか

世界の観光マーケティングは、ピンポイントのコンテンツの競争から、すべて時間の価値を高める総合プロデュースの競争に移行している。そこでは利用者に働きかけることで交通混雑の緩和を図る「交通需要マネジメント」の重要性が高まっている。日本での成功事例はきわめて少ないが、桜の名所として全国的にも名高い奈良県の吉野山で、顕著な成功例がある。

私は大阪の会社で働いた経験がある。この時期、昼食時は桜の話題でもちきりだった。関西は桜の名所が多い。だが休日になると深刻な交通渋滞が発生することも耳にしていた。

この休日の交通問題は、関西の桜の名所に固有の問題ではない。日本の観光地の多くは、道路の幅が狭く、行政が管理するエリアは狭い。そして利害関係者が多岐にわたる。こうした悪条件が渋滞を招き、観光の質を悪化させる。

■本格導入にいたった事例は2%程度

政府が無策だったわけではない。交通需要マネジメントの社会実験は各所で行われきた。しかし国土交通省国土技術政策研究所によれば、本格導入にいたった事例は2%程度。導入しても定着するとはかぎらないわけで、成功事例はきわめて少ない。

例外はある。長野の上高地は、数少ない成功事例のひとつである。しかし上高地は国立公園の一部であり、定住者はなく、観光事業者も限定的な季節営業しか行っていない。典型的な日本の観光地とは前提条件が異なる。

そのなかで、10年ほど前にはじまった吉野山の交通需要マネジメントは注目に値する。以下では、昨夏、神戸大学に提出された柏木千春氏(流通科学大学教授)の博士論文をもとに、その経緯と成り立ちを振り返っていく。

■収容能力を超える来訪者は、観光の質を悪化させる

観光とは、その地域を日常生活圏としない人たちを対象とした事業である。したがって、交通対策は、観光マーケティングの必須の要素となる。

たとえば、ハワイのような離島の観光地を思い浮かべてほしい。その振興にあたっては、地域外から就航する航空機の便数が増えないことには、状況を大きく変えることは難しい。

さらに、ある一時期に集中して大量の訪問客の流入が生じる観光地においては、域内や周辺の道路で交通渋滞が深刻化しやすい。来客数の増加は望ましいことととはいえ、収容能力を超える来訪者は、観光の質を悪化させる。

延々と渋滞が続き、6時間も7時間もクルマに閉じ込められ、ようやくたどりついても昼食の予約時間には間に合わず、せかされながら食事をかき込む。景勝地を訪れたはずなのだが、目にするのは人混みばかり。のんびりとショッピングどころではない――。これでは訪問客の満足度は低下する。そしてその先に、持続的な観光産業の発展を見通すことは難しい。

さらにいえば、過度の交通渋滞の影響は、地域の住民の通勤、通学、通院、買い物などのための移動、あるいは緊急車両の通行などにもおよぶ。排ガスなどによる観光資源へのダメージも無視できない。

■地域の総合プロデュースという難問

しかし日本の多くの観光地では、交通需要マネジメントは放置されていたり、あるいは手をつけてはいても、実質的には機能していなかったりする。

なぜなら、そこには地域の総合プロデュースという難問が出現するからである。第1に大地主が少ない日本の地域事情のなかでは、多くの利害関係者に向き合わなければならない。地域全体としての観光客流入量の適切さだけではなく、個々の観光事業者や住民におよぼす個別の影響にも目を向けなければ、地域の総意をつかむことはできない。

第2に観光客流入量の最適化は、ただでは実現しない。一定のコスト負担が必要である。交通対策の実質化には、課金の仕組、そしてその負担と分配をめぐる利害関係者の調整が欠かせない。

■国道169号では20キロ以上の交通渋滞が常態化

奈良県の中央部に位置する吉野町。吉野山を擁する吉野町吉野山区は、紀伊半島の山間地の小さな町である。主力産業は製材業と観光業。人口は今では500人ほどになっている。ここに観桜期の1カ月ほど、30万〜40万人の観光客が集中して訪れる。その多くはマイカーや観光バスだ。

以前は観桜期の休日になると、国道169号線で20キロ以上の深刻な交通渋滞が常態だった。吉野山に向かう観光客は、いつになったら目的地に着くかがわからないまま、延々と車中に閉じ込められ、付近の住民は、休日の車での外出をあきらめていた。連なる車の排ガスが山の桜に与えるダメージも心配されていた。

観光客のためにも、住民のためにも、そして山の桜のためにも、交通需要対策が求められていた。

■「パーク&ライド」だけでは解消しなかった

吉野山における交通需要マネジメントは、2005年までの第1期、2006年からの第2期、2012年以降の第3期という3つの時期にわけられる。そして交通渋滞が劇的に改善したのは、第2期においてである。

第1期の吉野山の交通需要マネジメントでは、ピーク時の山内の自動車乗り入れ規制と、山外に設けた観光駐車場からのシャトルバス運行、いわゆる「パーク&ライド」だった。費用は観光駐車場の料金でまかなっていたが、赤字続きであり、交通渋滞もさほど解消しなかった。

第2期を主導したのは、吉野山の交通問題に気づいた旅行会社のJTBである。第1期の問題点を調査によって把握し、対策が練られた。

大きな問題は、休日になると、狭い道に観光バスが殺到することだった。そこで、駐車場容量を拡大するととともに、大阪方面と名古屋方面からの車を引き込む観光駐車場を別々に設け、その先の交差点での混乱を避けるようにした。警備員配置の数と範囲も拡大し、駐車場の満車状況に応じてシャトルバスの運行状況を切り替えるなど、刻々と変わる状況を把握しながら一元的に指示する統括責任者を置くようになった。

あわせて観光バスについては駐車場利用を予約制にしたうえで、ピーク時には駐車料金に「協力金」を上乗せすることで、需要の分散化をうながした。この協力金はマイカーにも課すことにし、観光駐車場以外の民間駐車場においても同様の対応を依頼した。

■赤字になった場合にはJTBが全額を負担する

しかし、この第2期の実行計画は、即座に受け入れられたわけではない。

利害関係者の数は多く、立場によって問題の受け止め方は異なる。日本の観光地に共通する問題は、吉野山においても変わりはなかった。

「赤字は本当に解消するか」
「観光客は減少しないか」
「地域の事業者や住民の便益の確保と分配の公平性は保たれるか」

地元への説明会では、こうした懸念が次々と指摘された。事態を動かしたのは、JTBの画期的な提案である。それは、業務委託契約を「固定報酬型」から「成功報酬型」に変えるというものだった。つまり新しい交通需要マネジメントが赤字になった場合には、JTBが費用の全額を負担する。そして黒字で成功した場合は、あらかじめ定められた配分でJTBが収益を獲得するというモデルだった。

それだけではない。JTBは地元にていねいに向き合い、通行車両の規制については、住民と宿泊者についての許可証を発行したり、民間駐車場については、その満車を優先し、その後に観光駐車場への誘導を行う対応を整えた。また、不十分だった道路沿いの交通案内標示については、その設置の徹底をはかり、広報については、全国の旅行会社やマスコミへの情報提供を行ったりするなどの対策を進めていった。

■3時間の渋滞区間が10分で通過可能に

こうして導入された交通需要マネジメントにより、吉野山の観桜期の交通渋滞は劇的に改善した。渋滞のピーク時には3時間ほど要していた区間を、いまでは10分ほどで通過できるようになった。また地元の人たちは、休日でも自家用車で外出できるようになった。

交通需要マネジメントは黒字となり、その利益は、吉野山の桜の植樹、トイレのリフォーム、歩行者道路の修繕、清掃スタッフの配置などにあてられた。

続く第3期には、第2期の交通需要マネジメントの骨格を引き継ぎながら、業務委託先の変更が行われた。JTBではない別の旅行会社に変更され、報酬制度の見直しと、運営の簡素化が進められた。その結果を振り返ると、交通渋滞の大きな悪化は起きていないが、収支は再び赤字化している。

■「すり合わせ型のマネジメント」が重要

柏木氏が示すように、吉野山の交通需要マネジメントは、現時点では試行錯誤の途上にあり、完成形に達したわけではない。しかし2006年以降の交通渋滞の大きな改善は注目に値する。これは先に述べたように、日本の観光地の交通需要マネジメントにあっては希有の事例である。

われわれは、そこから何を学ぶことができるか。

吉野山にJTBが持ち込んだのは、観光地において顧客がすごすトータルな時間の価値を高める取り組みである。しかもJTBはこのホスピタリティの改善を、赤字だった交通需要マネジメントを黒字に転換しながら実現している。

さらに注目したいのは、そこでJTBが、赤字対策、通行証の発行、民間駐車場への配慮など、地元の不安や実情と向き合い、各種の利害関係者とのすり合わせを、粘り強く進めていたことである。JTBが一方的に主導したのでもなければ、地元の要望を単純にたし合わせたのでもない。全体の効果をにらみながら、個々の調整と対策がねられていった。このすり合わせから生まれたマネジメントに派手さはないが、成功確率の低い事案での偉業あることを考えると、そこで生まれた新結合をイノベーションと呼んでも差し支えはないだろう。

観光地にかぎらない。日本の企業や地域がイノベーションを実現していくためには、この多くの利害関係者と向き合うなかから編み出される、すり合わせ型のマネジメントが重要となるはずである。

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栗木 契(くりき・けい)
神戸大学大学院経営学研究科 教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。

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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契 写真=時事通信フォト)