彼女が現状を打破するために踏み出した一歩は、まさしく冒険と呼ぶにふさわしい


「肩書き」とは何だろうか。

 いや、肩書きの意味くらいは理解しているつもりだ。課長から始まって、部長、取締役ときて、最終的には会長まで上りつめた島耕作の前につく、人事的な役職のこと。フリーで活躍する人が、うさん臭く思われないように自ら名乗る、煙に巻くようなカタカナ英語など。それらを総称して肩書きという。それくらいは分かる。

 いま、何だろうかと疑問に思っているのは、本質的な部分における「肩書き」だ。

 肩書きについて考える時、ぱっと頭のなかに思い浮かぶのは「立場が人をつくる」「名は体を表す」といった慣用句。だが、どちらも肩書きの周辺にある言葉であり、肩書きを得てから用いられる語句である。いや、後者にいたっては、この場合における適切な使い方であるとは必ずしも言えない。

 組織の役割における肩書きについて、そんなに真剣にではないけれど考えた結果として言えることは、ビジネスにおいてしばしば周囲の人は肩書きによって「その人」をある程度判断しており、肩書きにその人を当てはめがちなのではないかということである。

 人それぞれ自分のなかに漠然と存在する「課長」という肩書きへの印象であるとか、これまでの経験の蓄積によるイメージとしての「エグゼクティブ・プロデューサー」などの肩書き。それらを、このたびビジネス上でお付き合いすることとなった当人を目の前にして、過去に同様の肩書きをもつ「誰か」と重ね合わせて、自分の内に基準をこさえる。そうしておいてから、実際にやり取りを重ねるなかで相手の能力を測り、自分のなかにある基準値から足し引きするといったことを、無意識におこなってはいないだろうか。

 忘れてはならないのは、向こうも自分を肩書きによって判断して、同じようなことをやっているという事実だ。ふとした瞬間に、外面に表れるそれを相手から嗅ぎ取って、もしくは部下からの「肩書きがあるのだからやって当然」という「逆パワハラ」によって、肩書きに自らを寄せていってしまう。それらに縛られて、肩書き上の立場を無理して演じてしまう。その結果、実際の自分との乖離によってストレスを募らせる。ビジネスにおける肩書きについて考えると、そこら中にあふれている「あるある」ではないだろうか。

 出世の副産物。分かりやすい「記号」である「肩書き」とは、面倒くさいことこのうえない。ということで今回は、そんな「肩書き」の本質を深く考察するため、世の中から貼られるレッテルに疑問を投げかける本を2冊紹介したい。

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怒りをきっかけに自信が生まれる

『臆病な詩人、街へ出る。』(文月悠光著、立東舎)

 まず紹介したいのは、唯一無二の肩書きを背負ってしまった女性に関する本だ。

 ある時から彼女について回ることとなったのは、「JK詩人」という肩書きである。ジェイケー、つまりは女子高生。女子高生でありながら詩人でもある。これまでに存在しなかった肩書きを、著者である文月悠光は周囲から与えられた。

(文月悠光著、立東舎)


「詩の世界の芥川賞」とも言われる中原中也賞を最年少の18歳で受賞し、いちやく脚光を浴びた彼女は、作品ほどの成熟を現実社会では発揮できずにいた。周囲の過剰な期待に反発しつつも、時にはJK詩人の肩書きにこだわったりしながら活動し、流されるままに時は過ぎて彼女は24歳となった。

 JK詩人というわりに「JK=常識に欠ける」ことを自認する彼女が、肩書きから脱却するために体当たりでさまざまな物事にチャレンジし、その日々を面白おかしく書いたエッセイ集、それが本書だ。

 編集者との打ち合わせで、「面白おかしく」体当たりすることを決める前半部分。初めての初詣で、初めての八百屋などの、ほのぼのエピソードに癒される。しかし、ある回を境にして様相は一変し、その言説は熱を帯び始める。きっかけとなったのは、大学の講義にゲストとして招かれた著者が、招かれた教授から「娼婦の質問」を学生の前で投げかけられる場面だ。

「詩人と娼婦は似た部分があると思うんだ。もしかしたらふづきさんも詩を書いていなかったら、風俗嬢になっていたんじゃないか。ふづきさんは娼婦についてどう思う?」(98ページ)

 世間と向き合った時、どちらかというと守りに入りがちだった著者が、この質問を受けて飾りや建前を捨てて、怒る。その場は空気を乱さないことを優先して、お茶を濁して回答した自分への後悔をにじませつつ、本書においてはこれでもかと反論を書き立てている。

 自分の「肩書き」を人質に取られ、理不尽な質問を浴びせかけられ、心中穏やかではないだろうが、怒りにまかせてすべてをぶちまけて書くというわけでない。彼女は理不尽に対して真剣に、論理的に怒る。

 そもそも、この質問の前提条件の根拠のなさ、教授個人の主観の酷さには、呆れはててしまい言葉がない。個人的には、ぜひともこのバカな質問をした大学教授という立派な「肩書き」を持つ方の、実名を晒して欲しかった。このような暴論を、学生の前で平然と「ぶつけ」てくる(本文の表現より引用)教授が、教鞭を執り、偏見と差別的な考え方とを、まだ脳みそが柔らかく、いかようにも変化してしまう学生に対して植えつけ、自らのコピーを量産する教授を、採用している大学名とともに。

 このエピソード以降、自信なさげだったJK詩人の背筋は伸び、さらには主張する言葉は声高となって、語る内容は濃く深くなる。肩書きに殺されない生き方のコツのようなものを掴んだのだろう。

 自分のなかに存在する「色眼鏡」に意識が向き、襟を正したくなる1冊であるので、ぜひお読みいただきたい。

窮屈な肩書きを逃れ冒険へ

『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(花田菜々子著、河出書房新社)

 本書もまた、肩書きの窮屈さから逃れたいと願った女性の物語だ。発売は、本記事公開より少し後の4月中旬予定だが、ご容赦願いたい。

 自らを奮い立たせて、果敢に未知のことに挑戦しようとした記録が、その細かな心情とともに綴られている。悩みまくる書店員・花田菜々子による私小説。彼女の肩書きとは、とある書店の店長であり、家庭においては妻である。それらの責務によって狭められた日常に耐えられなくなったある時、彼女は街のど真ん中へ「冒険」の旅に出た。

(花田菜々子著、河出書房新社)


 彼女が現状を打破するために踏み出した一歩は、まさしく冒険と呼ぶにふさわしい。地球上の謎が解明されまくって、謎を求めるあまりに宇宙にまで飛び出してしまった、我々人類。冒険とは一部の特殊で物好きな「冒険野郎」のものであり、日常に暮らす我々は、もはや冒険そのものを失ってしまった・・・その考えが当たり前に思える今日この頃。しかし、日常と冒険の間の壁は、至極簡単に取り払われてしまうのだということを、この本は教えてくれる。

 誰かが踏破した未開の地の情報を鵜呑みにするのも人生なら、自分で確かめに行くのもまた人生。ただし、真実とされているものを自分で確かめるためには勇気が必要不可欠であり、勇気を振り絞って手に入れようとする過程には、ほぼ例外なく痛みが待ち受けている。だから「情報」として与えられた、未開の地よりもたらされたそれらを信じることで、私たちは無自覚に、自己保身しているともいえる。冒険の対極にある行為は、与えられた情報を妄信することである。

 ここまで講釈を垂れておいてなんだが、作者である花田菜々子の実体験が投影されていると思われる主人公は、積極的に冒険をしようと考えていたわけではないだろう。

 この本の序盤で、彼女は旦那と別れ、それぞれに暮らす選択をし、プライベートで深く傷つきながら、仕事に生きがいを求めようとする。だが、一時は業界の革命とも称された花田の会社は、かつての勢いを失っており、かつ店長の肩書きのもと、やらなければならない仕事に追われてしまって、自分が本当にやりたいことができないというジレンマが記されている。

 仕事もプライベートも、どちらの「肩書き」もうまくいかない日々のなかで、彼女は「何者でもないまっさらな自分」を求めて、ある出会い系サイトに救いを求める。傍から見るとそのさまはある意味、自ら傷つきに行くことと紙一重であるように思われる。

斬新なアイデアを武器に成長する主人公

 しかし、自分がいま確かに生きているという実感を得るために、確かめざるを得ない事柄はきっと、個人個人によって違う。日常によって鈍麻してしまった感覚。自分という存在の輪郭を確かめるためには、痛みによってあちらとこちらの境界線を確認することが彼女には必要だったのだろう。

「あやうそうだけど、大丈夫か……?」

 花田の心情をなぞる読者の心配は、もののみごとに序盤で的中することになる。

 サイト内で知り合った相手と、実際に30分間会って話すことを目的としたXという出会い系サイトにおいて彼女は、日常の肩書きが邪魔してしまって、やりたくてもできなくなっていた「人に本をすすめる」という行為を始める。右も左も分からずに、とりあえず冒険をしながら経験を積もうと、ある男性と会う約束をする花田だったが・・・。

 案の定、出会いからものの数十分で、性的な欲望を徐々に開放してゆく何人かの男たちに、彼女が打ちのめされるさまが描写される。女性側の「その気がない」目線で読むと、それらの男性たちは滑稽で、痛々しく、哀れで、毒々しい。男性である自分の心当たりを棚上げして、さかりのついたオスの行動にげんなりしてしまう。

 しかしXは、よく事件のきっかけとして報じられる、世間一般にイメージする「出会い系サイト」とは異なり、ビジネスの人脈づくりに軸足をおくことをコンセプトとしたものであって、冒険における危険察知能力を身につけた花田は、出会った人に1冊の本をすすめるという斬新なアイデアを武器に、徐々にサイト内での人気を獲得してゆく。それらの成長過程が本書の読みどころだ。

 私が物語のなかでもっとも心に残ったのは、著者が中盤で出会い、漠然と好意を寄せる遠藤さんという男性の胸の内が終盤で明かされる場面だ。遠藤さんが何を考えているのかよく分からなくて思い悩む著者。その心中が紐解かれるやり取りは、読み手から男性側の視点に戻って、思わず快哉を叫んだ。最終的に花田がたどり着いた場所とともに、ぜひ読んで確かめていただきたい。

 落語の名跡を襲名して自分の代で大きくするように、肩書きを受け入れて、もがきながらも成長する者。一方で、その肩書きを窮屈に感じ、冒険によって新しい肩書きを、自分の居場所とともに手に入れようとする者。

 彼女たちの生き方を参考に、一度自分の肩書きに対する周囲からのイメージと、自分のなかとのズレを確かめてみてはいかがだろうか。周囲に目を向けた結果として、ズレを修正するもよし、肩書きを捨てる決断をするもよし。役割から解き放たれた、本当の自分を意識してみて欲しい。

(松本大介著、筑摩書房)


 決められたレールの先だけをみつめて一直線に走るような、島耕作的な生き方がすべてではないのだから。

※JBpressからのお知らせ

 本記事の著者、松本大介さんが執筆した書籍『本屋という「物語」を終わらせるわけにはいかない』(筑摩書房)が発売されました(2018年3月25日発行)。松本さんが活躍する書店「さわや書店」ってどんな本屋さんなのか、毎回味のある文章を繰り出す松本さんってどういう人なのか。興味ある方はぜひ本書でお確かめください!

筆者:松本 大介(さわや書店)