国土交通省は「自動車メーカーが無資格者に新車検査をさせていた」ことの再発防止策を発表した。その中で「型式証明」を取り消すこともできるようで、事実上、不正が発覚すると出荷停止にできることになった。監査も事前通告なしで行うこととするようだが、これまでの事実上「メーカーとの馴れ合い」は、なかったことになった。

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 スバル、ニッサンが新車検査を無資格者にやらせ、特にニッサンは事件発覚後も、ごまかし続けたことを重く見たようだ。確かに国の法律を無視する姿勢では、事は「安全」を保てないと見るべきだが、新車検査の必要性について、国土交通省がメーカーや国民の意見を聞かない姿勢はどうであろうか?

 この背景には「検査は悪」との「品質管理」のメーカー側の基礎的知識があり、一方で、車検制度などのメーカーと国土交通省、両側の利権がある。品質を保持するのに「検査は悪」とする考えは、一般には受け入れがたいことだろう。これを理解するには品質を保つやり方を知らなければならない。

「品質とは安全な設計品質通りに造る(設計が正しくなされることを含める)」ことを指すのだが、ある幅をもって設計狙いの寸法に収める技術を知る必要がある。(新幹線台車不良は設計が正しかったかどうか危ぶまれる。また昔の三菱自動車の死亡事故は設計の不正になる)

 まず「設計寸法」には「公差」を設ける。出来上がる製品の狙い寸法を、全く狂いなく作ることはできない。ある程度のばらつきが出る。それを抑えなければならない範囲を設計で決めておくのだ。そのため「モデルベース開発」などで使うシミュレーションでは、数式であらわされた狙い寸法での試験なので、どれほど繰り返しても、製造におけるばらつきを管理することはできない。それは「製造技術、生産技術の膨大なシステム」を起動する意味となる。

 製造現場での品質管理で最もやってはいけない作業は「一つずつ検査する」ことだ。検査して決められた公差の範囲を逸脱したら、修正したり、不良品として廃棄するのだろうか?この部分がテスラのイーロン・マスクCEOが分かっていなかった点だ。つまり検査して修正などしていてはコストが膨大になり、事業として採算がとりにくいのだ。

 品質管理の基礎の基礎として「作り方で品質を保つ」のだ。作り方を工夫して「不良が出ないようにする」のだ。つまり「作り方がよくできていれば不良は出ない」のが基本で、1台ごとの完成検査は、本来やってはならないことなのだ。現実には、テスラのように完成検査で修正が多いと倒産の危険があると考えるべきなのだ。つまり完成検査は形骸化することが必要なのだ。

 国土交通省は車種ごとの「型式証明」を出している。これは、「車種が同じならば、同じ作り方をしているので、不良にはならない」との前提の概念なのだ。しかし、現実には「同じ作り方」をすることが「技術的に不可能」と言ってよいが、どこまでも不良ゼロを目指して「作り方を同じにする」努力が続けられなければならない。このいつまで続くとも分からない矛盾の中で、「新車検査制度」は運用されていくことになる。

 IoTが生産現場に入っていくことは明確だ。いずれ生産各工程で検査が自動化されていくだろう。するとより厳格な設計が要求されて、いつか車両が完成するときにはすべての検査が終わっている状態が出来るだろう。それまで、この矛盾は棚上げにして、より厳格な新車検査を行うことを覚悟するしかない。この新車検査制度が「安全」にとって無意味な決まりであることが、行政や国会議員に納得できる時が来るのを期待するしかない。それまでは無駄な利権を生み、コストは国民負担となり続けるのが現実だ。