2017年、古巣の埼玉西武ライオンズの監督に就任した辻発彦監督(撮影:風間仁一郎)

12球団で唯一、開幕6連勝と好スタートを切った埼玉西武ライオンズ。4月6日の対オリックス・バファローズ戦も先発菊池雄星投手の好投もあり、5ー1で勝利した。開幕6連勝は1991年以来27年ぶり、先発投手6人全員に勝ち星がつく球団史上初の快挙も成し遂げた。
昨シーズンはパ・リーグ2位となり、今シーズンは10年ぶりの日本一を目指している。監督就任2年目となる辻発彦監督(「辻」は1点しんにょう、以下同)に「勝つためのチーム作り」を聞いた。

オープン戦終了直後の練習日、埼玉県所沢市にある本拠地・メットライフドーム近くの狭山山不動寺で必勝祈願を済ませた埼玉西武ライオンズの選手たちは、きたる開幕日(3月30日)に向けて最終調整を行っていた。

監督である辻はノックバットを片手にその様子を見守っていたが、そのバットを選手への指導に使うことはほとんどない。そばにいる選手に声を掛けては、親しげに白い歯を見せている。


開幕直前の練習日、笑顔を見せていた辻監督(中央)(撮影:風間仁一郎)

「技術的なことを教えることもありますよ。だけど、それよりも茶茶を入れる感じかな(笑)。もちろん、選手のタイプによって接し方も変えていますけどね。僕は昔から性格的に、『何事も楽しくないと』っていう考えがあるから。

当然、試合に入ったらそれどころではないけれど、やっぱり普段からいい雰囲気を作っておくことって大事なんですよ。特に勝負の世界はね。1つのプレーでベンチがわぁっと盛り上がれば、劣勢でも『まだいける』っていう気持ちになれるものだから」

正直まだ、コーチという感覚は抜けない

1999年に現役を引退後、ヤクルトスワローズ(当時)で2年、横浜ベイスターズ(当時)で3年、中日ドラゴンズで8年間の指導経験を積んだ。二軍監督を務めた時期もあったが、多くの時間をコーチとして過ごし、選手たちと直に向き合ってきた。

「昨年から監督をさせてもらっていますけど、正直まだコーチっていう感覚が抜けないですよ。理想の監督像って、自分でもよくわかりません。ただ、監督とコーチの役割がまったく違うことは、今までの経験からも理解しています。監督がすべて口を出してしまったらコーチは踏み込めなくなるし、指導者として成長することができなくなる。

だから、基本的に僕は選手のことを見ているだけです。もちろん、最終的な決定権や責任は監督にあるわけだけど、コーチには『監督がこう言ってるからこうだ』っていうふうになってもらいたくない。イエスマンにならずに、『僕はこう思います』とどんどん言ってほしいです」

とはいうものの、選手やコーチとして長年ユニフォームを着て現場に立ち続けた性(さが)か、練習中や試合中につい声が出てしまうことも珍しくはないそうだ。「ただ見ているだけ」というのは、口で言うほどシンプルなものではないらしい。

「守備練習でカーンとフライが上がって、それが外野手と内野手の間に落ちるときなんかに、『ショート!』とかって自然と声が出ちゃいますよ。僕は現役時代に内野手だったから、もう条件反射みたいなものでしょうね。監督らしく黙って腕を組んで見ていることがなかなかできなくて。試合中も、もしベンチに隠しマイクがあったら、ずーっと僕の声が入ってるんじゃないかな(笑)」

強さの条件は、組織の中での競争

1983年のドラフト2位で西武ライオンズに入団。当時の監督は、弱小と言われていたチームを就任1年目(1982年)で優勝に導いた広岡達朗氏だった。今とは違い、選手が監督と気軽に口を利くこともできなかった時代。辻自身も、「広岡さんに褒めてもらったことは一度もなかったし、声を掛けられるだけで緊張感があった」と当時を振り返る。その厳しい指導の下で、辻はプロ2年目の1985年に初めてリーグ優勝を経験した。

1986年に森祇晶監督が後を引き継ぐと、チームの雰囲気は少しずつ変わっていく。辻自身が新人から中堅に差し掛かるタイミングだったこともあり、「大人扱いしてもらった」という印象が残っているそうだ。

「森さんが監督になってから、首脳陣の敷居は低くなりましたね。上から押さえつけられる感じはなくて、選手の主体性を常に尊重してくれたと思います。選手会長だった僕に『何か選手の間で問題はないか』と森さんがわざわざ聞きに来てくれることもありましたけど、僕は『自分たちで解決できますから大丈夫です』といつも答えていました。当時は、石毛(宏典)さんや僕などが中心となって、選手自らミーティングを開いて若手を鼓舞するようなこともしていました。大人の集団でしたね」


辻 発彦(つじ はつひこ)/埼玉西武ライオンズ監督。1958年生まれ。1984年西武ライオンズに入団。1999年の現役引退後、3球団でのコーチを経て2017年から現職(撮影:風間仁一郎)

森監督時代の1986年から1994年までの間に、リーグ優勝8回、日本一6回を経験した。その間に辻は二塁手のレギュラーとして活躍し、1986年と1988年からの3年間は全試合出場。

ベストナインに5回選出され、ゴールデングラブ賞を8回受賞し、1993年には首位打者に輝いた。3番打者・秋山幸二と4番打者・清原和博による“AK砲”といった派手な話題ばかりが取り沙汰されたが、辻も確実な守備力と走力でチームの黄金時代を支えた。

「あの頃の西武の強さの理由は、選手の力、総合力がほかのチームと比べてもずば抜けていたことじゃないですかね。

まず、我々野手から見ても、『俺たちが1点とればあいつらが抑えてくれる、大丈夫』と思えるピッチャーがそろっていた。ピッチャー陣も、『このくらい頑張っておけば、あとはあいつらが打ってくれる』と思っていたはずです。年齢的なバランスもよかったし、走る人、長打を打つ人と、選手のバランスもとれていた。面白いチームでしたよ」

1987年、読売巨人軍との日本シリーズでは、まさに1点をとりに行く野球で日本一になった。1990年の日本シリーズで再び巨人と対峙するが、リベンジに燃える彼らを4勝0敗で撃沈させた。当時、テレビの全国中継がなかったパ・リーグ球団には、「打倒セ・リーグ」「打倒巨人」という執念があったと言われており、これらの日本一達成もその気迫が生んだものかと思われたが――。

「もちろん、巨人を倒してこそという気持ちは誰しもが持っていたと思いますよ。でも、当時の西武の強さの理由はそれではなかったような気がします。僕は西武に入って試合に出られるようになって、レギュラーになっても安心したことは一度もなかった。毎年のように次から次へとすごい選手が入ってくるわけですよ。

当時の西武は、チームの中での競争がとにかくすごかった。その競争が激しければ激しいほどチームは強くなるのです。ほかのチームとの勝ち負け云々よりも、まず試合に出るのが大変、レギュラーをとるのが大変。それが、強いチームの条件だと思いますよ」

現役時代には多くの勝利を経験した辻だが、コーチとしては負けの辛さも味わっている。横浜ベイスターズ(当時)でコーチを務めた際は最下位が続き、中日ドラゴンズでも3年連続Bクラス(シーズン順位の下位)だったことがある。常勝軍団となかなか勝てないチーム。現役時代とコーチ時代の経験から、その差も見えてくる。


Bクラスで低迷したライオンズに欠けていたことを語る辻監督(撮影:風間仁一郎)

「やはり戦力でしょう。まったく同じ戦力でよーいドンで始めるなら監督の手腕によるものだけど、実際は手腕なんて二の次。

森さんは西武の監督時代、1回から送りバントをさせて1点をとりにいく野球をしていましたけど、それは先ほど言ったように1点を守り抜けるピッチャー陣がいたから。

あれだけ西武を日本一に導いた森さんでも、横浜では勝てなかった。だから、まずは戦力なんです。ただ、客観的に見ていて、『この戦力でよくAクラスに入ったな』って思うケースもあるし、『いい戦力があるのになぜ勝てないんだろう、もっと変わるんじゃないか』っていうケースもある。2016年までの西武が、まさに後者でしたね」

我慢の起用が組織を変える

2014年から3年連続Bクラスだった西武。当時中日のコーチだった辻は交流戦で西武ナインをその目で見て、「技術のある人材がこれだけいて、なぜ勝てないのだろう」と思ったそうだ。2017年に監督に就任した際、チームを立て直すための課題として失策数101(2016年シーズン)の話があがった。

「一概にエラーをしたから勝てなかったとは言えないと思っていたんですが、よく調べてみると、打ち取ったのに暴投してゲッツーにできなかったり、バント処理の送球が暴投になったりと、エラーの内容が悪かった。だから、守備に対する意識を高めることから始めなくては、と。まず、二遊間は最も大事なところなのに、あれだけショートがころころ変わっていたらエラーも増えますよね。

二遊間だけではないですけど、どこに投げれば次のプレーにつながるか、どんなトスをすれば相手が捕りやすいか……結局、守備って味方に対する思いやりなんですよ。特に二遊間は相手の気持ちを思い合うことが大事。そういう関係性を築くには、ある程度レギュラーとして固定できる人材が必要なんです」

昨年は源田壮亮が加わり、二遊間が固定できたことがチームの飛躍に大きくつながった。源田は入団前から期待されていた守備だけでなく、バッティングでもシーズン155安打、打率2割7分の成績を残し、新人王に輝いた。


選手たちのバッティング練習を1人見つめる辻監督(撮影:風間仁一郎)

「この先のチームのことを考えたら、とにかくショートを固定しないといけないわけだから、打撃に関しては目をつぶって我慢して使おうと腹を括っていました。

2割5分くらい打ってくれて、ルーキーだから100試合くらい出てくれればいいかなぁ、くらいに構えていましたね。でも、実はキャンプで見たときにバッティングもよくなるんじゃないかと感じていたんですよ。引っ張れるから、そういう方向性で行ければいいなと」

昨年に関しては、「タイミングがよかった」と辻は繰り返す。3年連続でBクラスのチームが、仮にまたBクラスになったとしても、そこまで大きなバッシングは受けない。ただ、AクラスからBクラスに降格したら批判の的になる。だからこそ、結果にこだわらず我慢して選手を使えるのは今しかないと思ったのだ。すべては、チームを変えるためだ。

「源田ともう一人、どんな結果でも我慢して使わなきゃと思ったのは外崎修汰です。ほかの外野手が不調で、多少ミスがあっても目をつぶろうと思い切って彼を起用しました。思いのほか守備は順応してくれましたけど、打撃は低迷。でも、あの走塁技術は大きな戦力になると思って我慢して使い続けました」

その結果、外崎は135試合に出場。2016年シーズンにはわずか9本だった安打が、昨シーズンは113本まで伸びた。侍ジャパンのメンバーにも招集され、昨年11月のアジアプロ野球チャンピオンシップではMVPを獲得。監督の我慢が、1人の選手を大きく成長させた。

「とにかくチームを変えなくてはいけない。チームの意識を変えなくてはいけない。3年間ずっと負けていると、開幕で負け越しただけで『今年もダメか』、先取点をとられただけで『今日もダメか』と思ってしまう。負け慣れだけはしてはいけない。最後に逆転してやるんだという気持ちを持ち続けないといけない。昨シーズンの2位という結果からも、選手にはそういう思いが芽生えていると感じます」

1点にこだわる姿勢が、確実な強さにつながる

今シーズン、松井稼頭央が選手兼任テクニカルコーチとして15年ぶりにチームに戻ってきた。辻とは現役時代に2年だけチームメイトだったが、ともにプレーする機会はなかった。

「栗山(巧)や中村(剛也)などのベテランがいて、中堅がいて、若手がいて、すでにある程度バランスがとれていたチームに超ベテランの稼頭央が加わった。メジャーリーグや日本の他球団も経験していますから、ほかの選手にとっていろんな話ができる頼もしい存在でしょう。ただ、コーチである前に選手であることは、いちばんに考えてやらないといけないと思っています。彼を必要とするときは必ずありますから」


バッティング練習に取り組んでいた松井稼頭央(撮影:風間仁一郎)

松井稼頭央の加入という心強いニュースがあった一方で、強力な戦力だった牧田和久がメジャーリーグに、野上亮磨も巨人に移籍した。ピッチャー陣に対する不安も叫ばれている。

「たしかに、投手力にしんどい部分があるとも言われていますけど、昨年の外崎のように代わりの選手が活躍する可能性もありますから。とにかく選手たちには、昨シーズンあそこまでやれたことに自信を持ってほしい。そして、我々はあくまでチャレンジャーなのだから、上を引きずり下ろすんだという強い気持ちを持ってほしい。

ピッチャーには、1点とられるのは仕方ない、では次の1点をどう抑えるか。バッターには、1点とったらさらに次の1点をどうとるか。とにかく1点にこだわり、最後まであきらめない野球をすること。それしかありません」

強さを取り戻すために必要なのは、かつての黄金時代のような1点を守り抜く野球、1点をとりにいく野球。当時のようなチーム内での熾烈なポジション争いも再現したいところだ。

「今の若い子は…とは言いたくないし、言わないようにしていますよ。でも、やっぱり昔とは違う。僕らの頃はもっとギラギラしていて、自分が補欠で同じポジションの人が怪我をしたら、『しめしめ、チャンスだ』って思ったりしていたんだけどね(笑)。


本拠地メットライフドームのバックネット裏スタンド上段に設置されたトラックマン(撮影:風間仁一郎)

今では、同じポジションの選手が仲良くメシを食ったり、遊びに行ったりしていますよね。すごいなぁって思いますよ。でも、それがダメだということはないんです。仲良くしていたって、心の中で負けないという強い気持ちがあればいいわけだから」

時代の移ろいとともに、選手たちの雰囲気も、指導方法も変わっていく。

ライオンズは昨秋、球団内に「IT戦略室」を立ち上げ、トラックマン(高性能弾道測定器)を導入し、微細なデータを競技に活かす態勢を整えた。

選手の感覚を大切にしたい

「必要な選手は活用すればいい。選手によると思います。僕は現役生活の晩年にヤクルトに移籍して野村克也さんの下でID野球を勉強させてもらいましたが、すでに打撃技術が自分の中で確立されていた段階だったから合わなかった。

データは確かに参考になるけど、『それでも外れることがある』というのが僕は選手として嫌で、だったら自分が長年培ってきた経験値や感性を大事にしたかったのです。ただ、技術が未熟な選手はデータに頼ることが必要なこともあるでしょう」

トレーニングについても、辻は同じ見解を示す。現役時代、オフの間にウエイトトレーニングを実施したところ、キャンプで効率よく調整できた経験があった。しかし、取り入れるかどうかは選手次第だ。無理強いはせず、選手それぞれの「合う」「合わない」という感覚を尊重したいという。


本拠地・メットライフドーム。今シーズン、埼玉西武ライオンズはどこまで成績を伸ばせるか(撮影:風間仁一郎)

「選手たちには、なんでもかんでも教えてもらえると思わずに、自分からいろんな選手をどんどん見て学んでほしいですよ。いろんなタイプの選手がいる中で、どうやってレギュラーとしてメシを食っていくか。それは各選手が納得する方法を見つけて自分で作り上げていくしかない。

この人すごいな、どこが違うんだろう? 守備はどうやっているんだろう? そう思ったら、とにかく観察する。データも役に立つかもしれないけど、見る力って本当に必要です。あとはそれを自分で試して、納得できたら取り入れる。その繰り返しですよ」

選手たちには、「僕が西武ファンだったら、今のチームは絶対面白いと思う」と、指揮官である辻が誰よりも希望を抱いている。

「ファンのみなさんがこれだけ集まってくれるのは、きっと今のチームに魅力を感じてくれているからだと思います。プロとして勝ち負けはもちろん大事。でも、ファンに『いい試合だったね』と言われることはもっと大事。長いシーズンには当然負けもあるわけですからね。とにかく、1点を諦めずに戦う姿を、選手たちがいかに見せられるか。選手には、そこだけにはこだわれと伝えています」

(文中敬称略)