コミュニケーションの取り方がうまくなく、勉強に集中できないのも発達障害の特徴だ(写真は中村竜介さん<仮名>提供)

独特なこだわりを持っていたりコミュニケーションに問題があったりするASD(自閉症スペクトラム/アスペルガー症候群)、多動で落ち着きのないADHD(注意欠陥・多動性障害)、知的な遅れがないのに読み書きや計算が困難なLD(学習障害)、これらを発達障害と呼ぶ。
今までは単なる「ちょっと変わった人」と思われてきた発達障害だが、前頭葉からの指令がうまくいかない、脳の特性であることが少しずつ認知され始めた。子どもの頃に親が気づいて病院を受診させるケースもあるが、最近では大人になって発達障害であることに気づく人も多い。
そんな発達障害のリアルに迫る本連載。第9回はASDとADHDの混合型の中村竜介さん(仮名・21歳)を追った。

中村さんは九州の某県在住。取材時は理学療法士を目指すリハビリ系専門学校の3年生で、約2週間後に国家試験、翌月には卒業式をひかえていた。今回、中村さんは第5回で登場した金井塚さんの記事(26歳「発達障害」と一途に向き合う彼の生き方=2018年1月29日配信)を読み、「自分も取材を受けたい」と筆者にTwitterのDMを送ってきてくれた。

地方在住のためLINE電話で取材を実施。取材を受けることは学校にも相談済みで、国家試験への影響や、学校側へ迷惑がかかるのを防ぐため、3月8日の卒業式以降に掲載してほしいとのことだった。

野球部で部員や顧問とコミュニケーションのトラブルに

中村さんは7歳の頃にASDと診断されていたため、小学校から高校時代まで、発達障害の子ども向けの支援施設に通っていた。ただ、親からは「あんたは普通の人ができることができない部分があるから、あそこで訓練しているんだよ」と言われており、発達障害だから通っているとは言われていなかったという。


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悪意はないのに言ってしまった言葉で相手を怒らせてしまうことが多く、コミュニケーションの取り方に問題があると、特に高校時代から強く感じ始めた。

小中高と野球少年だった中村さん。高校のときの野球部でも、先輩や顧問とのコミュニケーションの取り方が難しく、トラブルにつながることが多かった。

「野球部の部員が授業中に何か問題を起こすと、部の顧問にその話がいき、顧問から注意を受けることがあったんです。でも、他の部員は先輩から『お前、しっかりしろよ〜』と笑いながら冗談まじりに注意されるのに、僕のときだけ同じポジションの先輩から本気でブチ切れられたんです。他の部員のときと同じような問題だったとは思うのですが……」(中村さん)

人とのコミュニケーションの取り方に悩みながらも、中村さんは高校を卒業。リハビリの専門学校へ進学した。自分が発達障害だと知ったのは専門学校1年生のときだった。

「専門への進学を機にひとり暮らしをしていたのですが、実習先の病院が実家の近くだったので、実習期間の1週間だけ実家に帰って実習に通っていたんです。でも、実習で『なんで普通ならできるのにそんなこともできないの?』と言われたり、何気なく言った言葉だったのに『患者さんに対してそういう言い方はよくない』と怒られてばかり。パーソナルスペースも注意されました。

失敗ばかりの実習期間を終えて、ひとり暮らしの部屋まで親が車で送ってくれている車内で、親から自分はASDであることを告げられました。それから1週間くらいはイライラしていて、テンションも下がりっぱなしでした。実習後は実習で得た学びをレジュメにまとめて発表をしなければならなかったのですが、そういうことすらどうでもよくなってしまいました。正直なところ、今まで発達障害だと教えてくれなかった親を恨んでしまいました」(中村さん)

中村さんの周りの友達は、アルバイトなどを通してコミュニケーション能力を身に付けているように見えた。中村さんは1日で終わる日雇い派遣バイトのみで、長期間のバイトをしたことがなかった。

そこで、コミュニケーション力の向上を目指して、発達障害の子ども向けの支援施設でボランティアを始めた。子どもの親と施設の先生が話している間、子どもたちと遊ぶ仕事だった。同じボランティアのメンバーからは「だいぶコミュニケーションが取れるようになったね」と言われ、自分でも成長を実感していた。

発達障害であることを告白し実習内容を配慮してもらう

3年生になると3週間の実習があった。このとき、中村さんは担任にASDであることを告白した。すると、「実習先の病院にASDということを伝えて実習内容を配慮してもらおうか」という話になった。しかし、そんな配慮をしてもらったのに実習の結果は散々だった。

「高校までずっと野球をやっていたので、本当はプロ野球選手になりたかったんです。でも、ケガで野球を続けられなくなり、親も納得する仕事だったので理学療法士を目指すための専門学校に進学しました。実習先に配慮してもらっても結果が悪ければ、学校をやめようとすら思っていました。

それを親に伝えたところ『学校をやめるなら実家に戻ってこい』と言われました。実習先に配慮をしてもらったのにもかかわらずうまくいかなかった。その結果にムキになってしまい『自分だって本気でやればできるんだ』と、再び理学療法士への道を進むことにしたんです」(中村さん)

また、それが終わると今度は10週間の実習が2回あった。今回も事前にASDであることを実習先に伝えた。今度こそ変わろうと意気込んで臨んだ。しかも、この実習先の病院の先生の息子もたまたまASDを抱えていたため障害への理解があり、中村さんにとっては一番学びやすい実習先となった。そして、2回目の10週間の実習のとき、中村さんは実習をリタイアしてしまう。

「2回目の実習の先生は、課題が多くてかなり厳しかったんです。僕が勉強できないせいもあるのですが、先生を怒らせてしまうこともあって……。それで、そこの実習はリタイアしてしまいました。学校側からは『実習地の変更という手もある』と言われました。

僕はもう、やる気がなくなっていたのですが、友達や親から『学校側がチャンスをくれているならとりあえずやってみよう』と言われ、実習地を変更。みんなより2週間遅れて実習から戻ってきました。実習の成績も悪かったです」(中村さん)

薬を飲むと集中でき、試験の結果がアップ

中村さんは理学療法士になる気がなくなってしまっていた。「卒業しても理学療法士にならないのに、今自分はここで何をしているんだろう、学校や実習先にこんなに助けて優しくしてもらったのに、こんな結果になってしまった」と思い悩む日々だった。しかし、実家に帰らず今の地域に住み続けたいという思いと、学校の友達と離れたくないという思いがあり、学校をやめなかった。

悩んでいるうちに、中村さんは抑うつ状態に陥ってしまった。親の勧めもあり昨年12月に精神科を受診。そこで、ASDだけでなくADHDも併発している可能性が高いことが判明した。

「僕は、うまく言葉をまとめて伝えられない部分があります。これは、ADHDの症状の『ポップコーン現象』と言うのですが、頭の中でポップコーンが弾けるように、様々な考えが浮かんでいくんです。これが、テスト中や野球の試合中に出てくるとなかなか集中できません。

たとえば、野球の試合でピッチャーをやっているとき、投げる瞬間、『バッターが友達に似ているなぁ』と気づくと、思考がそればかりになってしまう。試験の際も、実習を思い出さないと解けない問題があるので、実習を思い出そうとすると、そこから実習中に起こった別のことをイメージしてしまい、解くのに時間がかかってしまいます」(中村さん)

中村さんはつい先日、ADHDの薬であるコンサータを処方され、飲み始めたばかりだ。これを飲んで症状が改善されるなら試してみようと少量からの処方となった。ちょうどその日、国家試験に向けた模擬試験を控えていたため飲んでみると、通常は昼間くる眠気がこなかった。また、試験結果も普段は5割程度しか取れないが、国家試験の合格ラインである6割を取れた。

しかしこのとき、まだ中村さんは進路について悩んでいた。スクールカウンセラーからも「正直、君は理学療法士の仕事は向いていないと思う」と言われた。でも、理学療法士が向いていないと言われたことで、ホッとした気持ちが大きかった。

理学療法士への道をあきらめ、タレントを目指す

理学療法士へのやる気が低下している中、中村さんは芸能活動をしてみたいという夢が芽生え始めた。昔からジャニーズやAKBなどのアイドルに興味があったからだ。そして、芸能事務所のオーディションを受け、無事合格。本部は東京にある事務所だが、九州にも支店があるので、地元のローカル番組やイベントの司会などをこなすタレントになりたいと思っていた。

オーディションでは中村さんのキャラクター性が大いに評価され、チーフディレクターからは「21歳という年齢を考えると賭けだ。やりたいなら今すぐレッスンの合間に営業を経験させ、そこからテレビに出す」と言われた。しかし、「芸能の道を目指すかどうかは国家試験の結果次第だ」と、取材時に中村さんは語っていた。

「ポップコーン現象は物事に集中できないというマイナス面がありますが、良い意味で考えると発想力があるということなのかなと思っています。チーフディレクターからこのキャラクター性を認めていただいたことがとてもうれしかったです。今までは社会から良い意味で捉えてもらえていなかったので」(中村さん)

取材から2週間ほど経った頃、突然中村さんからLINE電話がかかってきた。筆者はちょうど新宿駅で電車から降りたところだったので、片耳を塞いでガヤガヤとした人の声や電車の発車ベルなどを遮断して中村さんの声を拾う。電話の内容は、国家試験に落ちてしまったという報告だった。そして、芸能の道に進むことにしたという。また、今までお世話になった先生や友達、親に感謝のメッセージを伝えたいと中村さん。

「同じ学校の友達は、これから働くうえで、発達障害で悩んでいる方と接する機会もあるかもしれません。発達障害の方とうまく接するために特徴をしっかり捉えてほしいです。同僚に発達障害の方がいた場合、対人関係などで失敗しても悪く捉えないでください。障害の特徴と、個人の長所と短所といった性格をわけて考えてほしいです。

僕は自分の夢のために理学療法士をあきらめ、別の道に進みます。発達障害であることはこれからの人生で不利に働くことがあるかもしれませんが、生まれ持ったものなので耐えていくしかありません。道は違いますが、友達や周りの方々に感謝してこれから自分の夢に向かって頑張っていきたいです。そして、発達障害の僕をここまで育ててくれた親にも感謝しています」

筆者はたまに芸能人の取材をするものの、芸能界に特別詳しいわけではないので、彼がタレントに向いているのかどうかわからない。しかし、みずから発達障害を告白している栗原類さんをはじめ、独特なキャラクター性を活かしてタレントとして成功している人もいる。中村さんは今後、タレントとして活躍できるのだろうか。目指すのがローカルタレントということで、関東の番組で見かけることはないかとは思うが、陰ながら応援したい。