30歳で3回の自殺未遂を経験した林彩音さんの人生を追います(筆者撮影)

独特なこだわりを持っていたりコミュニケーションに問題があったりするASD(自閉症スペクトラム障害/アスペルガー症候群)、多動で落ち着きのないADHD(注意欠陥・多動性障害)、知的な遅れがないのに読み書きや計算が困難なLD(学習障害)、これらを発達障害と呼ぶ。
発達障害により生きづらさを抱えている人のリアルに迫る本連載。第6回は、ASDの林彩音さん(仮名・30歳・埼玉県在住)。高校3年生の頃にASDの診断がおりていたものの、なんとASDであることを知ったのは6年前。そして、二次障害のうつ病により3度の自殺未遂を経験。障害者手帳は22歳の頃取得していたものの、手帳取得のために必要な診断書は自分では確認できないようになっており、詳細な病名までは知らされていなかった。
障害者年金の手続きをする際の書類には「病名:発達障害」と書かれていた。そこで初めて病名を知って驚いたという。実は彼女、筆者の友人で同い年。毎月のように飲んでいる仲で、取材であることを忘れるほど話が弾んでしまったので、今回はフランクな対談形式でお送りする。

勉強ができることが唯一のアイデンティティだった

姫野ケイ(以下、姫野):彩音さんは福岡県生まれの福岡県育ち。彩音さんとは大人になってから出会ったから小さいときのことはよく知らないのだけど、小学生の頃はどんな子どもだったの?


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林彩音(以下、彩音):私立中の受験を控えて、ほとんど塾に缶詰めだった。多分、小学生の頃は「クラスの子より勉強ができる自分」ということでアイデンティティを保っていたのだと思う。ASDの症状でちょっと普通の子とは違っておかしい部分があったのだと思うけど、「私はみんなより勉強ができる」って思ってクラスメートを見下していた感はあったかもしれない。勉強ができれば、ちょっとくらい運動ができなくても何も言われないし。

姫野:親は彩音さんがほかの子と違うということに気づかなかったの?

彩音:おそらく、気づかなかったからどんどん症状が悪化していったんだと思う。「母親の期待に応えなきゃ」という思いが強かった。もともとは私立小学校の受験をしたんだけど落ちてしまって。本当は母親自身が行きたかった学校だったらしく、母は私に期待をしていたの。

いまだに覚えているんだけど、小学生のときに100点満点のテストを母親に見せたら光る消しゴムを買ってくれたんだ。それを買ってもらえるから毎回100点を取ろうと頑張った。でも、途中から、消しゴムを買ってもらうことよりも、うれしそうにそれを買っている母親の姿を見るのが目的になっていってしまって……。その消しゴムを使うこともなく、ただ大量にずら〜っと並べていたな。

姫野:クラスメートを見下していたということは、学校に友達はいなかったの?

彩音:うーん……。いたにはいたし、今でも地元に帰ったら会う子たちもいるけど、小学校の思い出がない。学校よりも塾の思い出ばかり。塾での友達のほうが仲はよかった。休日も朝の9時から夜までずっと塾にいたから、塾のみんなとご飯を食べるのは楽しかった。

人との距離がわからずパニックになることも

姫野:そして中学校は男女交際禁止の厳しい私立中学校に進学したんだよね。で、退学になったという話を以前聞いたことがあるけど、何が原因だったの?

彩音:学校の方針がおかしいと思って、先生たちにたてついたから(笑)。学校内で生徒が自殺してしまったんだけど、それを学校側がひた隠しにしていて許せなかった。そして、何がきっかけか忘れてしまったんだけど、中2の春くらいからリストカットを始めたの。それくらいの時期から自分を見失い始めた気がする。

本当にギリギリのところで受かった学校だったから勉強も全然ついていけてなかった。クラスも成績別に分かれていたし、小学校までは勉強ができることが唯一のアイデンティティだったのに、そこで自我が崩壊しちゃった。別に親は、その学校でトップになれとかは言わなかったけど、今までみたいに親を喜ばせられないことがつらくて。

当時、自分のブログに「学校で死にたい」とか書いていたら、先生たちが私のブログを見つけてしまって、危ない生徒みたいな存在になった。私は保健室登校をしていたのだけど、学校でリストカットをするくらい病んでた。そしたら、私みたいになったら授業を受けなくてもいいと勘違いした子たちがエセメンヘラみたいになって問題になり、「そういうのはしちゃダメですよ」と、集会が開かれるまでになってしまった。

姫野:ASDの症状として「空気が読めない」とか「人の気持ちを察することができない」とか言われることがあるけど、その症状は小中学生のときは出ていたと思う?

彩音:空気が読めないとかはあんまり感じたことはないかな。

姫野:私、彩音さんと接していて思うんだけど、初対面の人にも異様なほどフレンドリーだよね。以前、夏に一緒に居酒屋に行ったとき、店の冷房が効きすぎて寒くて、彩音さん、隣の席の見知らぬカップルに「寒いですよね」と話しかけていてびっくりした。そういうのも、症状の一種なのかな?と私は感じたことがある。

彩音:人にすごく気を使うからかな。気を使いすぎて疲れるから、友達と遊んだ翌日に学校を休むこともあった。でも、あまり自覚はないんだよね。親から「あんた、あの子と遊ぶと絶対翌日ダウンするよね」と言われて気づいた。

つねにコトを荒立てないようにというのは気にしている。基本的に人とケンカをしたくない。悪口は言った分だけ言われるんだと思って生きてきたから、友達の悪口は絶対に言わないようにした。だから、中学のときはクラスで人気があってみんなから好かれていて、生徒会長候補にも挙がったんだよ。でも、先生から却下されたんだけど。

ASDではなくうつ病と診断された

姫野:彩音さんが精神科に通い始めたのはいつ?

彩音:リストカットを始めた中2の頃、学校の勧めで行った。でも、そのときはASDではなくうつ病と診断された。

姫野:でもそのうつ病は、ASDの二次障害だったってことだよね?

彩音:そうそう。そして、中3のときに公立中に転校して高校は定時制に行った。そこで、いったんは落ち着いたんだよね。だけど高2のときに彼氏ができて、その彼氏が好きすぎて「嫌われたらどうしよう」という恐怖から友達との約束をないがしろにし始めて友人関係が崩れてしまって。私、人に嫌われたり拒絶されたりするのがいちばん怖い。それを親友だった子にされて避けられてしまい、「もうダメだ」と思って自ら親には内緒で精神科に行った。

私、高校ではスクールカースト上位の「ウェーイ!」ってやっているようなグループにいたのね。親友だった子もそのグループだったんだけど、避けられてしまったからもうそのグループにいられなくなって、またしても保健室登校になった。

ASDは人との距離がつかみにくい、極端すぎるという症状があるんだけど、私も人との関係をどうすればいいのかわからない。高校2年のとき、文化祭でファッションショーをすることになり、私がモデルに選ばれて、その顔合わせ的な最初の集まりに遅刻してしまったの。周りはそんなに気にしていなかったと思うけど、私、パニックになってしまって出席していた友達全員に「遅刻してごめんなさい」というメールを送ったの。

そうしたら親友から「ちょっとあれはどうかと思うよ。あんなに丁寧に全員に謝罪のメールを送らなくてもいい」と言われて。あんなことしなくていいと言われても、私はあのときどうしたらいいのかわからなかったし、そう言われたこと自体でも傷つけられて、じゃあどうすればよかったの?って。

姫野:重大な会議だったらそれくらい謝るべきだけど、多分もっとゆるい会議だったんだろうね。

彩音:うん。

3度目の自殺未遂で3日間昏睡状態に

彩音:そして、高3の夏休みに精神科に入院したんだ。でも、それでさらに親友から距離を置かれてしまって。彼女は夏休みに私とやりたいことがいっぱいあったんだって。でも、私は卒業が遅れるのが嫌だったから夏休みに入院することを優先してしまった。

姫野:なぜ入院したの?

彩音:高3の夏休み前に、大々的な自殺未遂をしちゃって。中2の頃にも部屋のカーテンレールで首吊りをしようとしたんだけど、苦しくてすぐにやめちゃった。高3の夏休み前の自殺未遂はオーバードース(過量服薬)。病院に搬送はされなかったけど、翌日まで意識がない状態だった。

姫野:社会人になってからも1度オーバードースしてるよね?

彩音:あのときは、専門学校に入ったら周りはみんな自分よりすごく映画を見ていて詳しくて、課題の動画制作で自分は求められていないと感じて絶望して、19歳のときに中退した。その後、20歳のとき、昼はイベント会社で働いて、私自身アニメオタクだから夜はメイド喫茶で働いていたんだけど、当時の彼氏に振られたの。失恋の傷というよりも、自分、やりたいこともないし何のために生きているのかなぁって思ったら死にたくなって自殺未遂。

彩音:このとき300錠くらい薬を飲んだんだけど、飲みながら友達に「今までありがとう」というメールを送信していて、「これはヤバイ!」って思った友達がうちまで警察の人と来てくれて、隣の部屋の人の承諾を得て入って隣からベランダを破ったら、倒れている私が見えて、警察の人が窓を割って入って救急車を呼んでくれた。

病院で胃洗浄を受けて、親も福岡からやって来た。私、3日間昏睡状態で、最悪の場合死ぬかもしれなかったんだって。そして、一人暮らしは危険だという医師の判断により福岡に帰った。実家では病院に通いつつバイトをしておカネを貯めては、好きなヴィジュアル系バンドのライブを見に東京や全国各地に行くという生活を送っていた。

姫野:それくらいの時期、たまたま彩音さんが東京に来ていたときに共通の友達を通して知り合ったんだよね。確か24歳のとき。そして、26歳のときSNSで知り合った彼氏と同棲するために家を出て彼が住んでいる埼玉へ……。親は反対しなかった?

彩音:絶縁されるレベルで反対された。おカネの工面も何もしないと言われたけど、私はそれでもよかった。離れてみて初めて親が毒親と気づいたし。実家にいると親が絶対であり、正直なところ家におカネも入れてなかったし、食べさせてもらっているという感じが強かったから。

姫野:彩音さんがASDと診断されたのは高3のときなのに、なぜ知らされなかったんだろう。

彩音:ショックを受けると思ったらしく教えてくれなかった。それまで、ずっと「自分は勉強ができるほうだ」「まさか自分は発達障害なんかじゃない」と思っていたから。24歳のとき、障害者年金の手続きをしている際「病名:発達障害」となっていて「えっ!?」って思って初めて知った。うち、弟が重度のASDで、しかもLD(学習障害)まで入っているから、そんな弟を見ていたからまさか自分も発達障害だったとは思わなかったんだよね。もっと早く知っておきたかった。

弟は小2くらいまでオムツが取れなかったし、人との距離が極端におかしい。LDで漢字を形として覚えるから書き順がめちゃくちゃ。中学の頃は太っていていじめられていたし……。でも、高校のときにダイエットして30kgくらいやせて、そしてDJに出会ってクラブで活躍するようになって一気に変わった。夜間の定時制高校に行ったらそこでもいろんな出会いがあったらしく、今は友達もたくさんいるし、昨年結婚もした。弟は本当に頑張ったと思う。こないだ母親と大ゲンカしたみたいだけど、それすら成長だと思う。ずっと母親に服従していたあの弟がって思うとね。

「なんでできないんだろう」と悩み続けるより

姫野:弟さんも相当苦しんだんだろうね。彩音さんは今、接客業をしているけど、現在ASDの症状で困ることはない? ASDで接客が苦手という人は多いと聞くけど。

彩音:私はむしろ得意。職場では接客のコンクールで賞をもらったくらいだし。逆に苦手なのはケイちゃんみたいな仕事。編集者から「ここはこうしてください」とか「ここはダメですよ」って言われるでしょ? そうすると私の場合、自分を全否定されている気持ちになって無理。自分はすべてダメなんだってパニックになっちゃう。今、いちばん困るのは、二次障害のうつの波がひどくて、仕事に行けなくなる日があることかな。

姫野:彩音さんが発達障害の当事者として伝えたいことはある?

彩音:「発達障害かな?」と心当たりがあるなら自分で解決しないで病院を受診すること。今はいろんな本が出ているし、ネットでも簡単に調べられるから、自分の中で「私、こうなんだ」って自己解決しないでほしい。私はずっと病名を隠されていて、それでつらかった。逆に、自分は病気なら病気だと受け止めたほうがいいと思う。そしたら、これができないのは病気のせいなんだってわかるから。病気だとわかっていなかったら、「普通の人ができることがなんで私はできないんだろう」って悩み続けるから。