金井塚悠生さん(26歳)。高校2年生のときにASDと診断された

独特なこだわりを持っていたりコミュニケーションに問題があったりするASD(自閉症スペクトラム障害/アスペルガー症候群)、多動で落ち着きのないADHD(注意欠陥・多動性障害)、知的な遅れがないのに読み書きや計算が困難なLD(学習障害)、これらを発達障害と呼ぶ。
今までは単なる「ちょっと変わった人」と思われてきた発達障害だが、前頭葉からの司令がうまくいかない、脳の特性であることが少しずつ認知され始めた。子どもの頃に親が気づいて病院を受診させるケースもあるが、最近では大人になって発達障害であることに気づく人も多い。
発達障害により生きづらさを抱えている人のリアルに迫る本連載の第5回目は、ASDの金井塚悠生さん(26歳)。現在、大阪府に在住し、発達障害などの障害を抱える子どもの支援施設で働いている。当事者としてどのような目で発達障害の子どもたちを見つめているのか。また、本人はこれまでどのように生きてきたのか。LINE電話で取材を行った。

二次障害がひどく、高校を中退

金井塚さんがASDの診断を受けたのは高校2年生のとき。1対1のコミュニケーションだとうまくいくが、対大勢の会話となると自分がどのような役割で動いていいのかがわからなくなる。

「小さい頃は社交的な傾向が強かったのですが、思い込みが激しくて突っ走ってしまい、自分の気に入らないお友達は排除しようというガキ大将的な面もありました。母親は臨床心理士だったので、僕の凹凸(できることとできないことの差があること)に気づいていたようです。


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小3の頃は、少し仲間外れのようなものにあってしまいました。でも、もともとプライドが高いので、クラスの中で認められようと勉強と運動を頑張ったら、サッカーがうまくなったんです。それで、『サッカーもできるし、なんかおもしろいヤツ』みたいな立ち位置になって、うまく適応していたように思います。

でも、そのまま公立中学校に通うと、僕にとっては不利になりそうな内申点を含めた高校受験をすることになるのを母が心配し、中高一貫の中学受験を勧めてきました。僕はあまり受験にピンときていなかったものの、受験勉強を始めるとぐんぐん成績が上がり、大阪でトップの私立進学校に入学しました」(金井塚さん)


金井塚さんの部屋。「常に興味のあるものが移り変わっていく様が表れている」とは本人談。note(https://note.mu/cherryphoenix)で情報発信している(撮影:延原 優樹)

中学でも引き続き、勉強と運動に打ち込んだ。そのおかげで、成績は常に上位、入部したテニス部でも試合で活躍し、良い成績をおさめられた。いじられキャラではあったが、楽しく過ごせていたという。

しかし、高校に入ると睡眠リズムの乱れ、自律神経失調症、音が異様に気になって部屋の窓を二重サッシにするまでの聴覚過敏、過敏性腸症候群といった、金井塚さんのようなASDの人の一部に特有とされる二次障害の症状に悩まされ、不登校気味に。これらの二次障害が日常生活に大きな支障をきたし、そのまま高校を中退せざるを得なくなった。

大学受験や就活も「独りよがり」に

とにかく、こちらに話すすきを与えないほど、マシンガンのように話し続ける金井塚さん。あちこちから新しい話題が降ってきて話が散乱状態なので、正直なところ、この記事をまとめるのにもかなり悩んだほどだった。金井塚さん自身にその自覚はあるのだろうか。

「情報量が多く、一方的にしゃべってしまうというのはあります。対面で相手の反応を見ながらしゃべったり、相手の気持ちを察したりするのも苦手です。でも、いちばん困っているのはさっきも言ったように、二次障害のほうですね。これが勉強にも支障をきたしました」(金井塚さん)

大学は関西の中堅私立校へ進学。しかし、その受験勉強は苦労の連続だった。

「ADHDではないと思うのですが、ちょっとした多動傾向のようなものがあるんです。受験勉強中に1つの教科をずっと勉強するのが無理だし、同じ参考書を何度も解くということもできないんです。だから、いろんな参考書をひたすら買いまくるという……。それこそ落ちる人の典型的なパターンですよね(笑)。しかも、自分が興味のある分野は深みにハマっていくんです。好奇心は旺盛なので、試験には出ないようなある特定のマニアックなジャンルにばかりどんどん手を出していって……」(金井塚さん)

大学時代はキャンパスライフを謳歌できた。環境が適応すると過活動になる面があり、毎日が楽しくてたまらなかった。また、この時期に障害者手帳も取得。発達障害で手帳を取得するには大量の書類と複雑な手続きが必要だと聞いたことがあるが、金井塚さんの場合は臨床心理士である母親に知識があったため、スムーズに取得できたという。

そして、就職活動の時期に突入。今までの勢いのままインターンの面接に挑んだところ、出鼻をくじかれてしまった。

「大学で募集をしていたインターンの面接は、企業の方と大学の先生が面接官でした。僕は大学時代、かなり積極的に企業の人と活動していたんです。今思うと勘違いなんですが、自分はわりと仕事ができるほうだと思っていました。意気揚々と自分の経歴や長所を『あれもできます』『これもできます』『こんなすごいことをやっています』っていうのを全部詰め込んだ濃い密度のエントリーシートを持って面接に挑んだところ、面接官からの第一声が『君、独りよがりの傾向があるよね』でした。

インターンの仕事内容自体はもっとマイルドで、地道な事務仕事などを依頼されると思うのですが、『そういうのもできますか?』という質問をされ、もちろん表向きには『できます』と答えました。でも、『コイツ、きっとそういう仕事には興味を持たないだろうな』と面接官は思ったのだと今になってわかります。もちろん、この面接には落ちました』(金井塚さん)

就活も成功したとは思っていない

就活も、大学受験のときと同じで自分の中では成功したとは思っていないという金井塚さん。最初のインターンの失敗から学んだおかげで、その後はだんだんとインターンに通るようにはなったが、その後は希望の就職先の内定を取ることよりも、OB訪問をしたりインターンに行ったりと、就活自体が楽しくなってしまい、目標がぼんやりとしてきてしまった。希望としてはマスコミや出版社、広告代理店に行きたかったが、最終的には大手出版取次と大手教育系、ベンチャーの内定が出た。

「もともと教育には興味があったので、内定をもらった教育系の大手企業に入社しようかなと思っていました。でも、営業職で地方に出張があるということを聞いたらとても怖くなってしまって……。転勤もあるので、ずっと関西に住んでいたいという気持ちも高まってしまいました。

それで一度、内定者の集まりの際に人事の方に『実は発達障害と診断されているんです』とカミングアウトしたんです。自分としてはそれで、障害者雇用として別の部署に異動できるような配慮があるのかなと期待していた部分があります。でも、会社側としては普通の枠で内定を出しているので、営業職のままでいてほしかったようです。今思うと、とても良い言葉をかけてもらったと思うのですが、当時の僕はプレッシャーに押しつぶされてしまい、内定を辞退してしまいました」(金井塚さん)

結局、大手出版取次へ入社。ここでは物流の部署へ配属されたが、これは金井塚さんにとっていちばん苦手なジャンルの仕事だった。

「行動力はあるので、毎日新しいことを学んだり人に会ったりするのは好きです。一方で、毎日同じところに行って机に座って同じ業務を繰り返す……というのは非常に苦手なんです。ここでの仕事は、物流センターに届けられる商品を見て不良品がないか探したり、ラベルを張ったりと、地道で複雑な工程を繰り返して管理する作業です」(金井塚さん)

「その工程がどうしても覚えられなくて、ミスばかりしていました。あまりにもミスが目立つので上司に『実はこういう障害があって……』と相談をすると、人事部にかけあってくれ、全然違う企画系の部署に異動させてもらえました。やはり、自分が興味を持てない対象のものをエクセルなどで数値化して管理するのはすごく苦手です」(金井塚さん)

独特な体のバイオリズムと付き合いながら働く

また、金井塚さんは二次障害の1つとして独特なバイオリズムがあり、夏場や冬場は生産性が2割ほど落ちる。過眠体質でもあり、睡眠は1日10時間必要だ。金井塚さんが当初志望していたマスコミや広告代理店は激務で睡眠が十分に取れないという話をよく聞く。金井塚さんのやりたいことと体のコンディションは対極状態にあったのだ。

筆者も睡眠時間は8時間ないと頭が回らず、イライラして食欲も落ちてしまう節がある。そんなとき、周りの人は短時間睡眠でも力を発揮できているのに自分は甘えているのではないかと自分を責める。金井塚さんにもそのような葛藤はあるのだろうか。

「それはすごくありますね。発達障害の人って、過活動な面があるのでどっと疲れたり、変なところで刺激を受けて疲れちゃったりすることが多いと、ある本で読みました。特に受験のときなんかは、周りの人が自分より頑張って勉強しているのに、自分は少し勉強しただけで疲れてしまうし、そこから回復するのにも時間がかかる。言葉を選ばずに言うと、『不良品』というか。受験生という観点だけでみると、恐ろしく効率が悪いので、やっぱり自分はダメ人間なんだと、すごくつらかったです」(金井塚さん)

現在、金井塚さんは転職し、独特な体のバイオリズムがうまく適応できる職場で働いている。冒頭でも述べた通り、発達障害などの障害を抱える子どもの支援施設だ。「放課後等デイサービス」といって、発達障害を抱える小1〜高3までの子どもが通うことができる。

シフトは基本、昼の12時から夜21時まで。症状の1つとして朝起きるのが難しいという点を気にしなくていい働き方だ。発達障害の子ども向けの学習支援とはあまり耳にしたことがない人もいるだろう。具体的にどのような施設なのだろうか。

「大きく分けると、学習支援とソーシャルスキルトレーニングを実施しています。学習支援だと、たとえば通常の学校で漢字は、何度も書き取りをして覚えさせます。でも、発達障害の子どもだと何度も書き取りをするのが苦痛で耐えられない子もいる。

だから、目で見て覚えるのが得意な子には漢字の意味を表しているようなイラストが描かれた教材を使ったり、表意文字のような漢字は成り立ちから基礎的に話していったり。視覚的な部分を使って覚えるために部首などが色分けしてある教材もあります。1人ひとり、学び方のアセスメントをとりながらコーディネートしていく支援といった感じです。」(金井塚さん)

「ソーシャルスキルトレーニングは、一言で言うと、社会で自律して生きていくために必要な能力を学ぶ学習です。その最も重要で中心的なスキルとして、コミュニケーションスキルがあり、そのコミュニケーションスキルを学ぶ手段として、ケーススタディやロールプレイングゲームがあります。

たとえば、『●●ちゃんは■■君にこう言いました。●●ちゃんはなぜ■■君にこんなことを言ったのか、考えましょう』というような、本音と建前みたいなテーマでロールプレイングゲームの実践があります。

でも、学習支援にしろソーシャルスキルトレーニングにしろ、指導員によって教え方は全然違います。僕はもともと、クリエイティブなことをやりたいと思っていたので、この子はこういう教え方をしたら喜ぶだろうなぁと想像しながら教材を準備して、それまで全然興味を持っていなかった子どもが急に目の色を変えて楽しそうにしていると、すごくやりがいを感じます」(金井塚さん)

当事者として発達障害の子どもを見ている金井塚さんは、自分の子どもの頃と重ねてしまうこともあるという。そして、この子の特性は少し改善したほうが将来生きやすくなる、でもこの子のこの部分は残しておいても他でカバーできるかも、と未来的な視点で子どもを見守っている。

個性として片付けるだけでは不十分

今回、金井塚さんは自らこの取材を受けたいとTwitterでダイレクトメッセージを送ってきた。最近はタレントなどの著名人が発達障害をカミングアウトし、発達障害がアイデンティティーとなって成功する人がいることが一般的だと思っている人がいることにモヤモヤを抱いているとも語る。

「発達障害を凹凸として捉えることはアリだと思うんです。今まで発達障害の人って『ちょっと変わった人』みたいな感じで特別な診断は受けずに生活をしていた人が多かった。でも、今は診断を受ける人が増えていて、世の中に発達障害という言葉が広まっています。

一方で、顕在化されつくしたことにより再び顕在化しているようにも思います。みずから発達障害を告白しているSEKAI NO OWARIのfukaseさんみたいに、発達障害を持っていながら、その個性ですごく成功した人もいる。

ただ、自分を含めて特別な才能を持っている人のほうが少ないのではないかと思っています。自分自身もそうでしたが、文系で特に資格も持たずに大卒で就活をする際、いちばん求められるのはコミュニケーション能力や集団への適応性、バランスよくマルチタスクをこなすことです。

でも、発達障害を抱えていると、ここにうまく適応するのは相当難しいと実感しました。だから、社会全体の認識としては、個性で片付けるのではなく、抱えている深刻な課題を把握して、社会に適応できる環境を作るべきだと思います」

目まぐるしく変わりゆく話題に頭がクラクラするような取材だった。発達障害でつらいのは二次障害をはじめ、枚挙にいとまがないが、何よりもつらいのは「孤独」だと金井塚さんは語る。

周りが楽しそうにしていても、自分には何がおもしろいのかがわからない。自分の好きなことややりたいことを一生懸命語っても、相手に響かない。そのようなズレは発達障害の人にしかわからない。この孤独を埋める方法はあるのか。それを探すのも今後の課題になりそうだ。