「アイドルの作られ方」が激変した根本理由
アイドルがこの30年ほどでどう変わったのか、振り返ってみたい(写真: OrangeMoon / PIXTA)
マスメディアが数々のアイドルを生み出した昭和の時代が終わり、平成となって30年。その間にはメディアの構造も、アイドルのあり方も大きく変わった。そして平成の時代もまた終わろうとしている今、アイドル/タレント研究の第一人者に、アイドルという概念の変容について詳細に分析してもらった。
「アイドル冬の時代」は本当だったのか?
「昭和」や「平成」という元号自体に世の中を変える力はない。だが不思議なことに、昭和から平成への移行は、さまざまな社会の変化と重なっていた。それは、アイドルについても例外ではない。いや、アイドルほどその変化が顕著だったものも少ないだろう。元号が変わることも決定したいま、アイドルがこの30年ほどでどう変わったのか、振り返ってみたい。
昭和のアイドルは、一心同体と言ってもいいほどテレビと密接な関係にあった。
当記事は『GALAC』5月号(4月6日発売)からの転載です(上の雑誌表紙画像をクリックするとブックウォーカーのページにジャンプします)
1970年代の「花の中3トリオ」(森昌子、桜田淳子、山口百恵)、ピンク・レディー、キャンディーズ、新御三家(野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ)、80年代前半の松田聖子、そして小泉今日子や中森明菜らの「花の82年組」、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)といったアイドルは、「スター誕生!」(日本テレビ)、「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)、「ザ・ベストテン」(TBSテレビ)などの音楽番組の存在抜きに人気を獲得することは難しかっただろう。
ところが80年代の後半になると、状況は一変する。昭和から平成の変わり目に「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」が相次いで終了。それとともに、アイドル歌手のメディア露出は目に見えて減ることとなった。
「アイドル冬の時代」。ここから90年代後半にモーニング娘。が登場するまでの間をそう呼ぶことがある。ただしそれは、テレビ中心の昭和のアイドル、しかも女性アイドル歌手を暗黙の基準にしている。実際は、その間何も動きがなかったわけではない。今から見れば、むしろそれは男女問わずアイドルが新たな自分たちの活動スタイルを模索し、その結果活躍の場を広げた時代であった。その意味では、「アイドル冬の時代」というフレーズを鵜呑みにすることはできない。
では、平成の初めに何があったのか? 前述の音楽番組終了のあおりをまともに受けたのが、SMAPであった。すぐ上の先輩で爆発的ブームを巻き起こした光GENJIがぎりぎり昭和に間に合ったのに対し、SMAPのCDデビューは91(平成3)年。つまり、主要な音楽番組がすでに終了した後だった。
光GENJIがその名の通り「光源氏」を連想させる王子様的アイドルだったように、昭和アイドルは虚構のなかで輝く存在だった。遡れば山口百恵、松田聖子や中森明菜もそうだった。彼らや彼女たちは、楽曲という「作品」のなかで自分の役柄を演じることをアイデンティティにしていた。そんなアイドル歌手にとって、音楽番組の終了は虚構の世界を演じる場そのものの喪失をも意味していた。
代わって平成アイドルにとって重要になったもの、それはドキュメンタリー性であった。SMAPの新しさのひとつは、アイドルがドキュメンタリー性を担った点にあった。
確かに歌、芝居、コントで演じる彼らの魅力も大きかった。だが、木村拓哉がトーク番組で恋愛や性についてアイドルらしからぬ率直さで発言するなど、SMAPのメンバーは「素」の部分を出すことをためらわなかった。従来のジャニーズのイメージを覆すその姿は、世間に新鮮な印象を与えた。
そのスタンスは、グループとしても一貫していた。メンバーの脱退や不祥事、東日本大震災発生に際し「SMAP×SMAP」(フジテレビ)の生放送で真情を吐露する姿もまた、ドキュメンタリー性を色濃く帯びたものであった。
モーニング娘。が継承したもの/革新したもの
ドキュメンタリー性は、「アイドル冬の時代」を終わらせたとされるモーニング娘。にとっても不可欠な要素だった。
オーディション番組「ASAYAN」(テレビ東京)の出身という点では、彼女たちは昭和の「スター誕生!」出身アイドルと同じである。ただ、モーニング娘。の初期メンバーはオーディションに落選した人たちだった。彼女たちがインディーズから出発してCDを5万枚手売りする様子は、同番組内でも放送された。すなわち、「メジャーデビューへの道」がドキュメンタリーとして伝えられたのである。
またそれ以後のモーニング娘。にも、頻繁なメンバーの増減というかたちでドキュメンタリー要素は受け継がれた。モーニング娘。では、グループの人数は固定されず、メンバーの卒業・脱退と加入がその時々の事情に応じて繰り返されることになった。
確かに80年代後半に大ブームを起こした昭和のおニャン子クラブでも、しばしばメンバーが入れ替わった。だが、“遊び”を強調した「クラブ活動」のコンセプトが物語るように、そこにドキュメンタリー要素は希薄だった。
それに対しモーニング娘。では、ドキュメンタリー要素がはるかに強い。新メンバー加入などのたびにグループ内には緊張感が生まれる。例えば、当時13歳だった後藤真希が加入と同時にいきなりセンターに抜擢され、その最初のシングル曲『LOVEマシーン』(99年)が大ヒットを記録する。その一連の過程には、メンバーの気持ちが揺れ動くドキュメンタリー的な見応えがあった。また、あまり目立たないメンバーだった保田圭が「うたばん」(TBSテレビ)での“いじり”によって人気を得ていった過程にも同様の面白さがあった。
要するにモーニング娘。は、昭和アイドルと同じくテレビと密接な関係を保ちつつ、そこに平成アイドルならではのドキュメンタリー性を加味したアイドルグループと言えるだろう。
AKB48とファンが紡ぐ物語
2000年代後半にブレイクしたAKB48になると、ドキュメンタリー性はいっそう前面に出るようになる。そしてそれと並んで、物語性もまた劣らず重要なものになった。
端的な例は、毎年恒例の「AKB48選抜総選挙」である。シングル曲の選抜メンバーを決めるこのイベントは、誰が1位でセンターになるか、どんな新顔が入るかなど、さまざまな見どころがある。それは、グループとは別にメンバー各人が過去1年の活動を通じて紡いできた物語の集大成的意味合いを持つ。
その際、各メンバーによる順位決定時のスピーチが、クライマックスとなる。11年に1位になった前田敦子が発した「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」という言葉は、前田敦子というひとりのアイドルとAKB48というグループの物語が並行して存在していたことを図らずも教えてくれる。
そして忘れてはならないのは、投票するファンこそがその物語の鍵を握るという点である。この場合ファンは、AKB48と自分が応援するメンバーの物語の登場人物であり、物語そのものの行方を決める作者でもある。
ファンがそのようなポジションになった背景には、平成アイドルの活動スタイルが昭和とは根本的に変わったことがある。
よく知られるように、05年に結成されたAKB48は「会いに行けるアイドル」として秋葉原の専用劇場での定期公演を通じてファンを増やしていった。その点、かなりの活動の軸足がまだテレビに置かれていたSMAPやモーニング娘。とは異なっていた。
ただそれは、AKB48に限った話ではない。「テレビからライブへ」という流れのなかで、ライブアイドルやご当地アイドルと呼ばれるライブ中心のグループが続々と誕生した。Perfumeも元々は広島のご当地アイドルであった。そうしたグループの活動は、ライブ、握手会、物販などファンと直接交流する場を核にしている。初公演の観客が7人だったというAKB48においてもファンが直接参加する劇場公演が活動の基盤であり、総選挙はそうした日常的活動の蓄積のうえに成立しているのである。
そこには、ドキュメンタリー性と物語性が織り成すAKB48独特のダイナミズムがある。
ドキュメンタリー性と物語性のあいだには、一種の緊張関係がある。なぜなら、物語が本来“作り物”であるのに対し、ドキュメンタリーに作為が入り込んではならないからである。
ただし、そうした緊張関係は必ずしもネガティブなものではない。むしろ両者のバランスを上手くとりながら物語を展開させれば、より魅力的な「リアリティショー」が生まれる。例えば指原莉乃は、かつて自らの恋愛スキャンダルが報じられた際、変に包み隠さない対応によって逆に支持を広げた。アクシデントをプラスに変え、従来にないアイドル像という物語要素をAKB48にもたらしたのである。
ももいろクローバーZにも似た面がある。路上ライブから始めた彼女たちは、「NHK紅白歌合戦」出場を目標に掲げた。しかし、そこにいたる途中にメンバーの脱退という予期せぬ事態が起こる。だが12年に念願の紅白出場を果たした際には、メジャーデビュー曲を脱退したメンバーが在籍した当時のバージョンで歌い、話題を呼んだ。アクシデントが感動を生むものへと転化したのである。
つまり、平成において「アイドル」とは生き方そのものになった。表現のフィールドは楽曲やドラマなどの作品だけでなく、時には私生活までを含む人生全般にまで広がったのである。
それは、ファンがアイドルに人生のパートナー的役割を求めるようになったことと表裏一体である。バブル景気の終焉から始まり、戦後の経済復興を支えた共同体や組織(家族、学校、企業)の破たんが見え始めた平成の社会において、個人は孤立しがちになる。平成アイドルは、そうした個人に寄り添い、ともに手を携えるパートナー的存在になったのである。
プロデューサー=物語作者の時代
アイドルのパートナー化は同時に、アイドルとはどうあるべきかを語るアイドル論を活発にする。「芸能」を語ることは誰にでもできるわけではないが、「人生」を語ることは等しく誰にでも可能だからである。AKB48においても、芸能評論家などとは異なる論客がアイドル論を戦わせていたことは記憶に新しい。また中川翔子のように、饒舌にアイドルについて語るアイドルオタクのアイドルが登場したのも昭和にはなかったことだ。平成アイドルの特質は、そうしたアイドル論の視点を繰り込んでアイドルシーンそのものが展開していくところにもある。
そんなアイドル論的視点が浸透した証しが「プロデューサーの時代」の到来である。
90年代以降、私たちはアイドルだけでなく、そのアイドルをプロデュースする人物にも注目するようになる。なぜなら、アイドル論的視点を身につけたファンからは、プロデューサーが自分たちの延長線上にある存在と捉えられ、批評の対象になるからである。
華原朋美、安室奈美恵、鈴木あみ(亜美)らをプロデュースした小室哲哉、モーニング娘。や松浦亜弥などをプロデュースしたつんく♂、そしてAKB48や乃木坂46などをプロデュースした秋元康と、すぐにプロデューサーの名がアイドルとセットで思い浮かぶこと自体が平成ならではと言っていいだろう。またジャニーズのジャニー喜多川は60年代からの長いキャリアを持つが、そのプロデュース手腕が注目されるようになったのも平成になってからのことである。
ここでプロデューサーの役割は、楽曲や舞台などに関わることだけではない。平成アイドルのドキュメンタリー性にどう関わるかもプロデューサーに問われるようになる。
ドキュメンタリー性を重視すれば、メンバーの卒業や脱退、スキャンダルなど必ず不安定要素が入り込む。その際、そうした不安定要素さえもエンターテインメントの一環に組み込む力量がプロデューサーに求められる。想定外の事態に適切に対処することもまた、プロデューサーの重要な仕事になるのである。
さらには、プロデューサー自らが波紋を起こすこともある。例えば、つんく♂が新メンバーオーディション開催をサプライズで発表したり、秋元康がAKB系列グループ間でのメンバーのシャッフルを実行したりする。それまでの安定は失われる反面、そこには新たなドキュメンタリードラマ的展開が生まれる。その点、ファンの延長線上にいる平成のアイドルプロデューサーは、やはり物語作者なのである。
バーチャルアイドルの意味
「ファン=プロデューサー」であることがさらに明瞭なのが、バーチャルアイドルである。平成は、テクノロジーの進歩とともにアイドルのバーチャル化が進んだ時代でもある。
89(平成元)年に伊集院光が自分のラジオ番組のリスナーとともに生み出した「芳賀ゆい」は、その元祖的存在である。彼女は架空の存在だが、伊集院とリスナーの考えによってラジオ出演、歌手、写真集、握手会などその時々で違う女性たちが役割を務め、いかにも「芳賀ゆい」というアイドルが実在するかのように演出した。それはまさに、「ファン=プロデューサー」であることを象徴する出来事だった。
その後恋愛シミュレーションゲームのキャラクター・藤崎詩織や大手芸能プロダクションがデビューさせたバーチャルアイドル・伊達杏子などバーチャルなアイドルが登場する。しかし、それらは既製品としてファンに提供されるものである点で、「ファン=プロデューサー」の願望を十分に満たすものではなかった。
その意味で、07年発売の音声合成ソフトから生まれた「初音ミク」は、ファンのプロデューサー願望を完璧に満たしてくれる画期的なものだった。提供されるのは素材のみ。それをもとにして各ユーザーの好みによってバーチャルアイドルを作り出せる。しかもインターネットの動画共有サイトを通じて独自にファンを獲得することもできる。一般のファンが、単なるプロデューサーの域を超えて造物主に近い感覚すら味わえるようになったのである。
こうしてアイドルのバーチャル化が進む背景には、安心感を得たいというファンの側の心理も働いているだろう。
平成における生身のアイドルは、ドキュメンタリー性のなかで波乱万丈の物語を生きるようになった。そのおかげでファンは常にドキドキ感を味わえるが、一方で不測の事態に備え、いつも不安な気持ちでいなければならない。
そこで安心感を与えてくれるのが、アニメのキャラクターや声優ということになる。またアニメなどを原作とする2.5次元の舞台の近年の人気にも同じ側面があるだろう。こうしたアイドルは、フィクションのなかに生きた昭和アイドルのポジションを今の時代に受け継いでいるのである。
多様化するアイドル
だが平成の興味深いところは、もう一方でアイドルが多様化し、アイドルの輪郭が決定的にあいまいになった点にある。
例えばバラエティアイドル、通称「バラドル」がそうである。SMAPがバラエティの世界に身を投じることで活路を開いたことは知られているが、女性アイドル歌手にも似た状況があった。昭和の終わりから平成初期にかけて、松本明子、井森美幸、山瀬まみ、森口博子らがバラエティ番組で頭角を現し始める。
グラビアアイドル、通称「グラドル」が目立つようになったのもほぼ同じ頃である。90年代中盤に雛形あきこが人気を集め、その後優香、ほしのあき、小池栄子らが登場した。70年代のアグネス・ラムなどそれまでも若者に人気のグラビアタレントはいた。だが、平成のグラドルはグラビアだけでなくバラエティやドラマに進出した点で異なっていた。
こうしたアイドルが登場したのは、「アイドル=歌手」という定式が崩れたことの裏返しである。昭和においてアイドルと言えば歌手であった。しかし冒頭でも述べたように、主要歌番組の相次ぐ終了によってその基盤が崩れた。その代わりにSMAP、モーニング娘。、AKB48、ももいろクローバーZなどは、ドキュメンタリー性や物語性を存在の新たな基盤にすることでアイドル歌手であり続けた。
それに対し、バラドルやグラドルは、歌手の世界からは独立した存在である。楽曲というフィクションのなかで輝くアイドル歌手には、まだスター性が残っている。だがバラドルやグラドルには、それがない。したがって彼女たちは「アイドルらしくないアイドル」として自虐し、いじられる対象になることで生き延びる。
言い方を換えれば、「アイドル」は実体のない記号のようなものになる。アイドル自身がそのことを自覚し、「アイドル」という記号をうまく操作することによって、逆説的にアイドルであり続けられるのである。バラドルがぞんざいな扱いを受けて「アイドルなのに〜」と言って笑いをとるのはその一例である。
こうしたアイドルの拡散現象は、当然芸能の分野にとどまらない。
平成においては、テレビなどメディアに登場する存在すべてが「アイドル」と呼ばれる可能性を持つようになった。その結果、純然たるアイドルではないが“アイドル的”ではある存在がいたるところに誕生する。その意味でも、アイドルの輪郭はますますぼんやりとしたものになった。
女子アナはその好例である。「フジテレビ3人娘」や日本テレビの「DORA」など女子アナのアイドル化の流れが、昭和の終わりから平成初期にかけて本格化した。
背景に「テレビのバラエティ化」
その背景にはフジテレビを筆頭に進んだテレビのバラエティ化がある。80年代初頭の漫才ブームをきっかけにした「楽しくなければテレビじゃない」(フジテレビ)という空気は、「真面目」であるはずの局アナをも容赦なく巻き込んだ。その結果、原稿の読み間違いや「嚙む」といったアナウンサーにとって禁物であったミスが、例えば「可愛さ」を表現するものへと反転する。
そうして始まった女子アナのアイドル化は現在も変わっていない。むしろ女子アナとアイドルの境目はあってないようなものになりつつある。元モーニング娘。の紺野あさ美など、アイドル経験者のアナウンサーへの転身が増えていることがその証拠である。
スポーツ選手のアイドル化現象も同様だ。72年の札幌冬季オリンピック出場のフィギュアスケート選手、ジャネット・リンのように、70年代にはすでにそうした現象はあった。ただ平成になると、スポーツ中継だけでなく、スポーツバラエティの増加が選手への親近感を格段に高め、アイドル化の流れに拍車がかかった。
福原愛や浅田真央は、そうした番組に幼い頃からたびたび登場し、アイドル的な扱いを受けるようになった代表格である。またバレーボール中継にジャニーズがサポーターとして登場するようになったことも、スポーツ選手とアイドルの接近を物語る。
女子アナやスポーツ選手に共通するのは、それぞれ明確な技量の基準が存在することである。その基準からなんらかの点で逸脱する部分があり、それが魅力的なものに世間に映ったとき、その人物はアイドル的扱いを受ける。
この場合、何が魅力になるかはあらかじめ決まっているわけではない。容姿、年齢、言動などさまざまだ。逆に言えば、人は何かのきっかけで突然アイドルになる。アイドルは、誰もが身にまとえるカジュアルなものになったのである。例えば、昨年「ひふみん」の愛称で人気者になった棋士の加藤一二三にも、そんなカジュアル化の一端が感じられる。
大きく見れば、これらは先述したアイドルのパートナー化、アイドルとファンの接近の産物である。ただしここでは実体が希薄になった分、アイドルはいつも傍らにいるマスコットのような存在になっている。現在のテレビは、そうしたタイプのアイドルの供給源としての意味合いを強めていると言えるだろう。
ソロアイドルの復権はあるか?
ここまで、ドキュメンタリー性と多様化の観点から平成のアイドル史をたどってきた。この2つのベクトルは無関係なわけではなく、交わっているところもある。
例えば、近年のアイドルグループの大人数化は、ドキュメンタリー性にキャラクターによる多様化の要素を加えたものだ。オーディション番組出身の多国籍K―POPアイドル・TWICEもその一例だろう。またさくら学院の「部活動」から発展し、「世界征服」を掲げるヘヴィメタルユニット・BABYMETALは、音楽性がそのままキャラクターになった稀有な例である。
逆に多様化のなかでドキュメンタリー性が重要な役目を果たすこともある。福原愛や浅田真央のようなスポーツ選手、芦田愛菜や本田望結のような子役は、世間が成長をずっと見守ることによってアイドル的な存在になった例だ。
しかし、そのなかで大きな空白も生まれている。代表的なソロアイドルの不在である。昭和の山口百恵や松田聖子、郷ひろみのような存在はいない。なるほど芸能界以外のアイドルは多くの場合ソロだが、やはりあくまで“アイドル的”存在である。むしろ「アイドル」の拡散が進めば進むほど、その不在感は増す。
おそらく今昭和のソロアイドルに最も近い生身の存在は、若手俳優だろう。菅田将暉や有村架純などまだ年若い俳優がこれほど次々と登場し活躍する時代も珍しいのではないか。彼や彼女もまた、ジャンルは違うが昭和のアイドル歌手と同じフィクションの世界を生きる。能年玲奈(のん)が主演した13年のNHK朝ドラ「あまちゃん」は、まさにフィクションという枠組みのなかで昭和と平成のアイドル歌手が邂逅する傑作だった。
そうした兆しは、CM出演をきっかけにアイドルから女優への道を歩んだ90年代の宮沢りえや広末涼子からあった。今で言えば、新垣結衣がそれに近い。16年のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBSテレビ)でブームになった「恋ダンス」に、彼女のブレイクのきっかけになったお菓子のCMでのダンスを思い起こした人もいるはずだ。その点、ドラマや映画が彼女のプロモーションビデオ的役割を果たしている側面もある。
さらにここ最近、アイドル歌手にも“昭和回帰”を思わせる流れが垣間見える。
現在トップクラスの人気を誇る乃木坂46は、衣装や曲調からも「清純派」的な雰囲気が伝わってくる。また「総選挙」のようなイベントはなく、AKB48と比べるとファンとのあいだに一定の距離がある。そこには全体的に昭和のアイドルの匂いがある。
また同じ“坂道シリーズ”の欅坂46も、センターの平手友梨奈を中心にした演劇的パフォーマンスに、これまで平成のアイドルにはなかったような空気感がある。大人や世間への反抗を歌う一連の楽曲も、どこか懐かしい。とは言え、こうした動きがすぐにソロアイドルの復権につながるかどうかはわからない。ソロアイドル中心だった昭和のアイドルを支えたテレビ自体がインターネットの普及などで転換期を迎えている現在、単純にソロアイドルの時代が再び来るとは言いにくい。元SMAPのメンバーによる「新しい地図」もそうだが、今後のアイドルのあり方がメディア状況の動向に大きく左右されることだけは間違いない。