【検証 働き方改革】(1)残業規制に中小企業「『働くな』と言うに等しい」、医療現場「患者残し帰れるか」

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 機械油独特のにおいが漂う工場。

 油の染みついた作業服姿の男性社員は、金属製品の切削作業に黙々と取り組んでいた。旋盤機のハンドルを慎重に回して切削位置を調整し、切削するたびに特殊な測定器で誤差がないか寸法に目をこらす−。わずかでも削りすぎれば不良品になる。気を緩められない瞬間の連続だ。

 水戸市にある大塚製作所は、日立製作所などの下請け企業として昭和24年に創業した。機械加工を補助する金属材料「治工具」製作を手がける。社員約40人、年商4億円。

 「いいだろ、油のにおい」。工場内を見渡す根岸孝雄会長(72)の表情には長年、自身も油まみれになりながらモノづくりの現場を支えてきた自負がのぞく。

 得意技術は直径50〜100マイクロメートル程度の、髪の毛よりも細かい超精密加工。発注企業の高い要求をクリアするには「熟練の技」が欠かせない。しかも、技は一朝一夕に習得できるものではない。長年の経験やノウハウに加え、最後は手の感触が仕上がりを左右する。そんな大塚製作所にも働き方改革の波が押し寄せようとしている。

 政府が今国会の成立を目指す働き方改革関連法案は残業時間の上限規制が盛り込まれている。残業時間は「過労死ライン」とされる月100時間未満、年720時間以内が上限だ。違反企業は罰則が適用される。過労死が社会問題化する中、長時間労働を是正し、働き手の健康を確保するためだという。

 しかし、中小企業には大きな足かせになる場合もある。大塚製作所は、毎年度の中間期の9月と期末の3月は受注が増える繁忙期だ。受注件数は普段、月500件程度だが、3月は620件、製品数に換算すると2千個になる。月末の納期に向けて、熟練工の一部は土曜も出勤し、3月は100時間を超えている可能性がある。

 根岸氏は「残業時間が規制されれば納期に間に合わないといった支障が出てくる」と悲鳴を上げる。受注を断れば次は見込めず、売り上げに直結する。かといって人手を増やそうにも「油まみれの仕事は人気がない」(根岸氏)。働き方改革の旗振り役の厚生労働省は、1人が複数の作業をこなせる「多能工化」を推進するが、技術習得には時間も労力もかかり、問題解決の糸口さえ見えない。

 「過労死防止は大事だが、中小企業も生き残りをかけている」。根岸氏はこう漏らし、国政批判が口をつく。「こんな実態を政治家は理解しているのか。『“下界”に降りてきて現場をよく見ろ』と言いたい」。

 木造建築物の設計を手がける福岡県の設計事務所には、平成28年4月の熊本地震などで木造住宅の耐震性が問題になる中、各地から仕事が舞い込んでいる。だが、男性社長(40)も、主要業務を担う複数の社員が残業年720時間を超える現状を念頭に、不満をこぼす。

 「複数の社員たちは若いうちに独立することを目指し、がむしゃらに働きながら学んでいる。そうした目標を持つ人間や成長しようとする企業にまで一律に法で規制するのは『働くな』『成長するな』と言っているのに等しい」

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 残業時間の上限規制の指標として「過労死ライン」という数字だけが注目され、働き手や現場の実態が見過ごされがちなのは、中小企業だけではない。

 今年1月、日赤医療センター(東京都渋谷区)が医師の残業時間を過労死ラインの2倍に相当する月200時間まで容認する労使協定を結んでいたことが判明した。渋谷労働基準監督署が昨年、外科医ら20人に平成27年9月からの1年間で月200時間超の違法な残業をさせていたとして是正勧告した。

 厚生労働省は、医師に対する上限規制の適用について、働き方改革関連法案の施行から5年の猶予期間を設け、それまでに具体的な上限時間を決める方針だ。しかし、救急医療は慢性的な医師不足に加え、医師としても患者の生死にかかわるだけに、そう簡単に変わりそうにない。

 日赤医療センターと同じ公的医療機関に勤務する30代の外科医の男性は3月、2週間連続で勤務し、残業は150時間を超えた。手術日は長いときで6〜7時間も立ちっぱなしになる。術後、ようやく緊張から解放され、仮眠しようとしても、患者の容体急変や再手術のために呼び出されるのは日常茶飯事だという。

 「担当する患者を放置して残業時間が100時間を超えたから『帰ります』なんてできない。病院を集約し医師を増やすなどの抜本改革に踏み切らなければ、勤務表は100時間未満にごまかして書くだけだ」

 外科医の男性は残業時間の規制に疑問を呈した。

 残業時間が減れば働き手の給与は減る。シンクタンクの大和総研は、残業規制で残業代が最大年8・5兆円減少、日本総研も5兆円程度減少するとそれぞれ見積もる。

 「どうも杓子(しゃくし)定規すぎる」。3月13日、働き方改革関連法案を審査する自民党の関係部会で、安藤裕衆院議員は残業時間規制の問題を訴えた。

 「残業代は生活費や教育費、住宅ローンの支払いなどに充てられている。単に規制するだけでは今の生活を保てなくなり、日本社会全体にもいいことはない」

 安藤氏は部会の後、給与が減れば個人消費は減退しかねないとして、こうも断言した。

 「残業時間の規制は『アベノミクス』に逆行する」

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 政府は残業減による減収の穴埋め策として副業や兼業を推進している。もっとも、本業と副業それぞれの残業時間をだれが把握し、最終責任を負うのか。副業中に労災事故が起きた場合、生活を維持できる水準の補償は出るのか…。厚労省労働基準局は「これからの課題」と言葉を濁す。

 安藤社会保険労務士事務所の安藤政明代表は「過重労働を防止するのに必要なのは、むしろ解雇規制の緩和だ」と指摘する。

 だが、副業も解雇規制の議論も遅々として進まない。多くの課題を置き去りにしたまま、働き方改革関連法案は国会論戦に移っていく。

 「アベノミクス」を推進する安倍晋三首相は3月28日、30年度予算案成立を受け、記者団に「予算を執行し、景気回復の温かい風を中小企業に届けたい」と語った。一方、残業時間の規制は中小企業にとって死活問題だ。働き手にとっても残業代が減り、個人消費への影響も懸念される。長時間労働の是正はアベノミクスと両立するのか。働き方改革を検証する。