3月10日に行われたパラアイスホッケーの日韓戦(筆者撮影)

3月18日、平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピックが10日間の幕を閉じた。

冬季パラリンピック史上最多の49カ国・地域から570人の選手がエントリーした今大会では、日本は10個のメダルを獲得し9位に沸いた。一方、開催国の韓国はパラリンピックでは初めてのメダルを獲得し(3個)16位となったが、この大会で一躍注目を浴びたのが、銅メダルを獲ったパラアイスホッケーだ。

韓国でパラアイスホッケーが始まったきっかけ

「日本からスレッジ(パラアイスホッケー選手が乗るそり)1台をもらった時のことを思い出します」


これまでの韓国パラアイスホッケーの歩みを振り返る河辰憲理事(筆者撮影)

こう、しみじみと話すのは、韓国パラアイスホッケーの立ち上げからかかわってきた大韓障害者アイスホッケー協会の河辰憲理事だ。

河理事も、もともとアイスホッケーの選手だったという。

韓国で初めてパラアイスホッケーが紹介されたのは長野パラリンピックが開かれた1998年ごろだそうで、ソウル市内にある延世大学のリハビリ病院の当時の院長が、『こんなスポーツがある』と紹介したことがきっかけだったという。

河理事が続ける。

「調べてみると日本にチームがあることがわかって、故イ・サングン先輩(韓国パラアイスホッケーの父と呼ばれる)らと共に見に行きました。その後、日本チームを招聘したりワークショップに行ったりしました。

そして、まずは選手集めからと、夏季パラリンピックなどに出場していた選手たちをスカウトしましてね。今大会で主将を務めたハン・ミンス選手(48歳、今大会で引退)は柔道から引っ張ってきました。当時は7人くらいだったでしょうか。選手たちには実際に体験してもらうのがいちばんだと思い、2000年には講習を受けに日本へ行きました。日本からノルウェー製の1台のスレッジをもらったときは心が震えました。そうやって韓国で初めてのクラブチームができて、本格的な活動が始まったのです」

日本のパラアイスホッケーは長野オリンピック開催が決定した2年後の1993年にノルウェーから講師を招いたのが始まりといわれ、翌年にはクラブチームが誕生していて、現在は4チームある。

パラアイスホッケーと聞いてもピンと来ない人のほうが多いかもしれない。

発祥は、1960年代のスウェーデンといわれ、その後、1994年に開かれたノルウェーのリレハンメル冬季パラリンピックで正式種目となった。もともとは選手が乗るスレッジから「アイススレッジホッケー」と呼ばれていたが、今年から呼称がパラアイスホッケーに統一されている。

アイスホッケーと異なる点は大きく2つあって、1つは、スレッジという専用のソリに乗ってプレーすること、そして、もう1つは2本の短いスティックを使う点だ。スレッジには腰掛けるバケット(1人用座席)という部分があり、選手はそこに腰かけてプレーする。

スティックはアイスホッケーよりも短くて、一方のグリップの先にはパックを打つブレードがあり、もう一方には小さな突起がついている。この突起でリンクを蹴り、ブレードのあるほうと上下を器用に使い分けながらプレーを進めていく。

スティックさばきが絶妙

「スレッジに乗ってバランスを崩して倒れた後に起き上がるのが至難の業なんです。脊髄を損傷した選手は腰が使えませんから、さらにしんどい。そうしてスピードを出しながらスティックを使い分けるのはもう匠の技ですよ」(河理事)


氷上の格闘技とも呼ばれる。写真は日韓戦(筆者撮影)

実際の試合では、そんな苦労をみじんも感じさせない妙技が次々と飛び出し、思った以上の迫力とスピードで一瞬にして引き込まれる。アイスホッケーと同じくボディチェックと呼ばれる体当たりもあってまさに「氷上の格闘技」だ。

また、アイスホッケーにはない、相手をかわすために、一方のスティックからもうひとつのスティックにパスを出す、自分から自分へのパスもあって、選手たちのスティックさばきの絶妙なこと。

華麗なシュートや相手の間隙を突いたパッシングなど目を見張るプレーは多々あるが、このいぶし銀のようなスティックさばきが個人的にはパラアイスホッケーのいちばんの見どころのように実際に観戦していて感じた。


韓国対スウェーデン戦で、戦いを終え握手を交わす選手たち(筆者撮影)

韓国でパラスポーツ種目として導入された後、大きな広がりを見せたのは、平昌へ冬季オリンピックを誘致し始めた2003年ごろからだという。

夏季種目から選手をスカウトし、2006年には、平昌の地元、江原道(カンウォンド)の当時の道知事の肝いりで、韓国初の実業団チーム「江原道庁実業チーム」が創団された。同チームの所属選手は当初11人だった。現在は14人に増えたという。平昌パラリンピックにはこのチームのうち13人が出場している。

銅メダルを獲得した背景

韓国のパラアイスホッケーが大躍進した背景には、運動に専念できる環境をつくったこの実業団の存在を挙げる人が多い。

「彼らは、江原道庁に所属しながら運動に専念するいわばプロです。平日はウエートトレーニングなどに費やして週末はリンクで練習します。クラブチーム所属の選手はそれぞれ仕事を持っています。実業団の選手とは練習量がおのずと違ってきますから、技量も当然差がでてくる」(同前) 

今回の平昌パラリンピックに出場した選手17人のうち13人は江原道庁チーム所属だ。韓国にクラブチームは10チームあるが、「実際に活動できているのは5チームくらい」と河理事は言い、競技人口は50人ほどいるそうだ。

この実業団が発足された後、韓国チームはめきめきと力をあげ、2008年に開催された国際パラリンピック委員会主催のパラ世界選手権Bプール(Aプールに次ぐグループでパラリンピックの出場権利が与えられるのはAプール)では優勝を飾り、2010年のバンクーバー冬季パラリンピックでは6位となった。

「パラ世界選手権Bプールで優勝できたときのことは今でも忘れられません。本当にうれしかった。バンクーバーパラリンピックでは日本代表は銀メダルを取りましたよね。あのときの日本は本当に強かった。韓国では国内で実戦できるほどの選手がいないので、海外に親善試合を申し込んでいましたが、あの頃は日本は歓迎されても、韓国は実力が伴わないと断られてばかりいた。強くなりたいと思っていました」(同前)

そんな日本と韓国は平昌パラリンピックでは同じリーグの初戦で顔を合わせた。結果は4対1と韓国が勝利し、その後、韓国は3位決定戦でイタリアを破り銅メダルとなった。日本代表は初戦から勝てず、8チーム中8位という結果だった。

最後の試合となったスウェーデン戦の後、リンクには大きくうなだれていた選手たちの姿がぽつねんと残った。

河理事が言う。

「選手がそれぞれ仕事を持ちながら、集まって練習することは本当に難しいことです。日本は今大会では振るいませんでしたが、最初にパラアイスホッケーを教えてもらった日本とはこれまでも共に歩んできました。これからも互いに切磋琢磨しながら共に先へ進んでいきたいと思っています」

そして、実は壮大な目標があるんですよ、と笑った。

「日本、中国、カザフスタン、オーストラリアなどでアジアンリーグを立ち上げることです。アジアが協力して互いに技量を上げていく。これは日本の関係者とも話を始めていて、次は北京でパラリンピックが行われますから、それに向けて近い将来、実現できればと考えています」

パラアイスホッケーの魅力を知ってほしい

また、韓国国内ではもう1つの実業団を創団して、つねに実戦できる環境をつくることを目標としているという。


江陵アイスホッケーリンクの外観(筆者撮影)

それにしても、駆け上がるように強くなってきた韓国のパラアイスホッケーの話を聞きながら、韓国はスポーツも経済と同じように圧縮成長したのだなあ、その糧は何だったのだろうかと河理事に問うと、

「選手はともかくメダルを取ることを目標にしてきましたから、かなあ」

そう言って、よくわからないと苦笑いしていた。

パラアイスホッケーの強豪は米国とカナダだそうで、これからアジア勢がどれだけ追いつけるだろうか。

アジア大会が実現すればパラアイスホッケーももっと身近になるかもしれない。まだ、目にしていなければぜひ一度パラアイスホッケーの試合に足を運んでこの魅力を知っていただければ、と思う。