宗教観からピザの好みまで、どんなテーマでも意見は分かれるものです。

考え方や立場を対立サイドに宗旨替えするとなれば、相応の理由があることでしょう。

「自分の支持するサイドを替えた人に質問、いったい何が引き金となりましたか?」
この問いに対する、海外掲示板のコメントをご紹介します。

 

People who "switched sides" in a highly divided community

●カントリーミュージックが嫌いだったけど、バンジョーとブルーグラスを発見し、それまで嫌いなのはモダンカントリーだったってことに気づいた。

↑同意。モダンカントリー・ポップは最悪だよ。

●もともと極端なくらい予防接種の反対派だった。だけど今は大きく賛成派である。
何が自分を変えたか? 子どもを持って、その結論を自分で下さなければいけなかった。かなり深くまで検索して調べた。自分の無知の問題で、今はほぼ予防接種を受けている。

●自分は保守的な文法のルール至上主義者で、正しい話し方やチャットの作法を守っていた。規則厳守があったんだ。
そのうちルールを厳守するようになっていった。言語は本来アイデアを伝えるためのもので、厳しい規則を守るためのものではない。アメリカの現代語学文学協会のハンドブックに載っているような正しいルールを守っていようと、訛りがある話し方をしようと関係ない。聞き手が話し手のことを理解しさえすれば良い。

●昔はプログラミングやコンピューターは直感的ではないので馬鹿げていると思っていた。それから11年、人間相手の仕事をして彼らのほうがひどいとわかった。今ではストレスでいっぱいの上に、プログラムさえ覚えていない。

●パクチー。
20年くらい石けんのような味が我慢できず嫌いだった。ところがある日、まるで魔法のように石けんのような霧が消え、何が起こったのかわからないが、今はとにかく大好きなんだ。

●自分は10代の頃から筋金入りの無神論者だった。
厳しい宗教の家で育った反発でもあった。大学時代に家族ぐるみの友人が薬物にはまり、人生を台無しにし始めた。家族も家も失った。
両親は彼を教会に招待した。彼は徐々に人生を取り戻し始めた。精神的に復活できたおかげだった。自分は神を信じてはいないが、彼の変化を見て宗教の社会的な役割に、以前より偉大な敬意を払っている。

●原子力発電に反対だったので調べた結果、次に置き換えられるエネルギーが出てくるまでは一番かもしれないとの結論に至った。長期で良いとは言わないが、前のように悪のようには思っていない。70年代から自然派の両親は、今の僕に怒っているけどね。

●自殺者や、死にたい人々、中絶したい人々に否定的だった。偉大ではなくても最期まで死に抗い続けるのが自然だと思っていた。
その後、薬学や看護の世界へ入った。今では人生における死の価値をよく理解している。その選択やオプションがあるのが、ある人々にとってはどんなに大切であるかも。
世の中には生きているだけで大きな苦痛を感じる人々がいる。その苦痛を続けさせることを残酷だと思うようになった。
死産になるのに出産させたり、母親に死のリスクがあるのに期待するのは残酷だし、二度と動けない人々に生き続けるように言うのも残酷だ。死はときに重要で、人生が絶望的なときには救いでもある。

●ストローを使うのを止めた。
とてもバカで小さなことだと思うかもしれないが、プラスチック公害が広がっているので。

●トイレットペーパーは上からか下からか。昔はどちらも気にしなかった。だが下は悪魔の所業だと気づいてからは、完全に上主義である。

●もう何年も何年も疑った後、進化にまつわる博物館に行った。それによって限界点に達し、3日前に正式に宗教を抜けた。その結果、32年の付き合いがある知人たちに避けられている。いえーい!

●自分は感動しやすい子で信仰心も厚かった。今ではピザのトッピングはパイナップルとハラペーニョが好きである。


一生をかけて信じてきたことから、取るに足らないことまでピンキリですが、理由はそれぞれ興味深いものがありますね。

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