53歳にしてポーランド移住を決めた理由は?(筆者撮影)

昨年、長年住んだ東京を離れ、単身でポーランドに移住した。20代、30代なら海外移住なんて珍しくもないだろうが、なんと53歳での決断。50歳を超えて人生の礎をもう一度築こうというのである。「早期リタイアして海外でのんびり余生を過ごす」なんて優雅なものでは到底なく、ポーランド人のパートナーやボーイフレンドがいるわけでもない。加えて安定した収入源があるわけでもない。

「ないない尽くし」の筆者が、移住を決めた理由はズバリ「ポーランドが好きだから」(なぜ好きなのかは後述する)。人生100年時代と考えても、残りの方が少ない。それでも、50歳になろうが、60歳になろうが、明日は来るし、夢を追うのに定年はないだろう。

ポーランド人の知り合いを増やすために

実は過去にも海外移住を試みたことがある。漫然と海外に住みたいと考え、とりあえず英語の勉強を始めたのが26歳ごろ。そして、30歳の時、気候、物価、ビザの取りやすさなど条件面から選考し、オーストラリアに行くことに決めた。しかし、通算1年ほど滞在して帰国。ジョブ・オファーもあったので望めばもっと長くいることはできたが、ずっとこの国に住みたいと思うほど好きになれなかったのが理由だ。

それから二十余年。完全に海外移住をあきらめたわけではなかったものの、さすがに50歳を過ぎて実行することになろうとは、我ながらビックリである。しかも、その行き先がポーランドになろうとは……。

最初にポーランドを訪れたのは2013年にさかのぼる。当初ストックホルム(スウェーデン)とコペンハーゲン(デンマーク)の友人宅を訪ねるはずが予定変更となり、たまたま私の旅行計画を知ったポーランド人の友人からワルシャワを勧められたのがキッカケだった。

この旅を機に、ポーランドへの関心が高まる。音楽や歴史、文化、経済、映画など東京で開催されるポーランド関連のイベントには手当たり次第に参加した。これらのイベントは大いに勉強になったものの、基本的には日本人向けであるためポーランド人が少ない。もっと多くのポーランド人と知り合う方法はないか……と思いついたのが、イベントを自分で開くという「荒技」だった。

最初のイベントとなる「ポンチュキ・ナイト」を開催したのは2015年2月。Pączki(ポンチュキ、あるいはポンチキ)とはジャムなどが入った丸ドーナツ。ポーランドでは最もポピュラーなお菓子の一つで、「脂の木曜日」と呼ばれる日にはこのポンチュキを大量に食べる習慣がある。「脂の木曜日」はカトリックの習慣に由来し、復活祭前の断食期間直前の木曜日を指す。


Wolaというエリアにある人気ポンチュキ店には普通の日でも長蛇の列が。1個約80円という安さ(筆者撮影)

ポンチュキは、ポーランド語のユーチューブやレシピサイトを見て試行錯誤を重ね、自分なりのレシピを作り上げた。2016年のイベントの際には1人で150個作り、在東京ポーランド人ユーチューバーのネタにもなった。この3年の通算では500個以上は作っただろう。

老後資金を取り崩して暮らすことに

その後、同じくポーランド名物のピエロギ(ポーランド版ギョーザ)を食べようというものなど、約2年で10回のイベントを開催。「より多くのポーランド人と知り合いたい」という狙いどおり、多くのポーランド人が来てくれた。ここで築いた人脈が、後に移住するときに大いに役に立つこととなる。


筆者オリジナルレシピの抹茶カスタード入りポンチュキ。抹茶はヘルシーなイメージがあり、ポーランド人にも人気だ(筆者撮影)

ポーランド人の友人が増えるにつれ、リアルなポーランド情報も増えていく。知れば知るほどますますポーランドが好きになり、真剣に暮らしたいと思うようになった。20年前とちょっと違うのは、「海外に住みたい」のではなく、「大好きなこの国に住みたい」というところだ。

とはいえ、移住するにはさまざまな問題がある。まず考えるべきはおカネの問題。フリーランサーなので日本での仕事を向こうでも続ける、といっても、仕事の大半はクライアント先に出向いての取材などが必須なのでポーランドでやることは不可能。ライターとしての仕事はお小遣い程度にしかならないだろう。よって、当面は老後資金として貯めていた貯金を取り崩して生活することに決めた。

ビザの問題もある。永住権はともかく、とりあえず1〜3年程度は、留学、就労、ビザなし渡航などいくつかの方法が考えられる。生活費も学費も比較的安いので、予算と状況に合わせて選択可能なはずだ。よく「ポーランド人と結婚すれば永住権を取得するのは簡単」と言われるが、自分にとっては、非常にハードルが高い方法だと思っているので、検討していない。

このほかにも、治安や物価、医療費なども考慮した。ちなみに、物価は日本よりずいぶん安く、私の場合、ワルシャワでの生活費は東京の5〜6割程度。また、医療費についても、ポーランドはEU圏の中で比較的安いとされている。

たとえば、ワルシャワの歯科医で奥歯を抜歯したときは、全額自腹で支払っても6000円程度だった。友人の紹介だったので割り引きがあったが、それがなくても1万円程度で収まる金額だった(治療内容や病院によって差はある)。

熟考し「やはり移住したい」となったものの、20年前に断念した過去がある。そこで、まず2カ月間お試し滞在をすることに。幸い、“ポンチュキ・コネクション”のおかげで、ポーランド人の友人の留守宅をリーズナブルな値段で借りることができた。

最後の一歩を踏み出すことにした

この2カ月間は「行く先々、どこに行っても友達ができる」という日々だった。本来、人づきあいは得意な方ではないが、年齢、国籍、実にさまざまな人たちと仲良くなることができた。そこで「日本での日常とポーランドでの2カ月間は何が違うのだろう」と考えてみたところ、自分の在り方が違うのだと気づいた。

何せ大好きなポーランドにいて、ポーランドのすべてを「吸い込んでいる」のである。ハッピーじゃないわけがない。さらに、ポーランドのことをもっと知りたいと思っているため、精神的にオープンな状態で、他人と打ち解けやすくなっていたのだろう。


ポーランド最長の川・ヴィスワ川。沿道には夏になると屋外クラブやカフェなどがこぞってオープン。昼間から真夜中まで楽しめる(筆者撮影)

日本でイベントを開催していたときも痛感したことだが、自分1人でできることには限りがある。海外に暮らす場合も、困った時に助けてくれる友人がいるか、楽しみを共有できる友人がいるか、そういう人脈を築いていけるかが重要だ。30歳の時の自分は、それを構築することができなかった。でも今、この国でなら、なんとかやっていける。そう考えて、最後の一歩を踏み出すことにした。

それから1年。実際に暮らしてみた感想を一言でいうと「すごく楽しい。そして大変」。恋焦がれた国に暮らしているのだから、楽しくないわけはない。ポーランド語のクラスで「初恋について書け」という宿題が出たことがあったが、そんな昔のことは覚えちゃいない。

そこで「初恋に関してはプライベートな問題なのでノーコメント。ただし私は、ポーランドが好きで好きでここに来た。だから今、毎日恋人の傍らで眠っているようなものである」と書いて提出したところ、先生がいたく感動していた(ポーランド語力不足のため、正しく伝わっていない可能性はあるが)。

そこで、改めて考えてみた。なぜ、この国にこんなに惹かれるのか。「理屈ではなく、好きになっちゃった」というのが本当のところだが、それでもいくつか、ほかの国には感じなかった魅力があるので紹介したい。

日本人にとってポーランドというと「旧共産圏の暗い国」というイメージを持つ人が多いのではないだろうか。しかしそこから脱却して30年近く経っている。旧共産圏のイメージでこの国を訪れれば、いい意味で期待を裏切られるだろう。

ポーランド人のいいところは?

EU加盟後、急速に経済発展をしているポーランドは、世界経済がリーマンショックの打撃を受けた2009年でさえ、EU圏で唯一、プラス成長を誇り、現在も3%前後のGDP成長率を誇っている。特に中間所得層に勢いがあるとされ、彼らは消費を楽しんでいる。そういう空気感が街に漂っているように思う。

ポーランド人も本当に魅力的だ。もちろん個人で違うが「心配性でおせっかい、まじめでちょっと不器用、頑固で不愛想だけど心根は優しい」というのが大まかな特徴ではないだろうか。

「ポーランド人のいいところは?」と聞かれたら「イノベーティブなところ」と答えることが多い。ポーランド人は自国の文化に非常に誇りを持っている一方、いいものであれば、新しいものでも受け入れる度量がある。たとえば「日本人の感性でアレンジしたポーランド料理」というものも喜んで受け入れてくれる。ただし、まずいものを作ると見向きもしない。そういうストレートさも私は好きだ。

国民の8割以上がカトリック教徒とされる国だけに、イースターやクリスマスなどの行事は大きな意味を持っている。移住して初めてのクリスマスにはこんなことがあった。ポーランドでは、クリスマスイブは「Wigilia(ヴィギリア)」と呼ばれ、家族や親戚のみで過ごすのが基本だ。

家族のない私は、フェイスブックに「誰かヴィギリアの晩餐に招待してくれない?」と書き込んだのだが、まったく反応なし。やはり気軽に他人を誘うようなものではないのだな、と納得し一人で過ごすつもりでいたのだが、直前にまた「イブに何の予定もないんだけど、もしほかに暇な人がいたら、一緒にバルシチやマコヴィエツでも作らない?」と書き込みをした(バルシチ、マコヴィエツはクリスマスの定番料理)。

すると、とたんに数人の友人から「ヴィギリアを1人で過ごすなんてありえない。家に来なさい」とメッセージが送られてきた。お誘いというよりは「そんなとんでもないことをしてはいかん!」というお叱りのニュアンスの方が強かった気がするが……。実はヴィギリアは1人で過ごすべきではないともされており、行き場のない人に救いの手を差し伸べないのは彼らの主義に反するらしいのだ。


マコヴィエツ(ケシの実のロールケーキ)。1年中入手できるが、クリスマス定番菓子の1つ(筆者撮影)

もちろん、移住して楽しいことばかりではない。もっとも苦戦しているのはポーランド語だ。日本にいたときから、独学で文法を勉強していたので、半年もすればそれなりに話せるようになると思っていたのだが、甘かった。まず単語を覚えられない。

ポーランド語は世界一難しい言語

たとえば、「Niepodległości」という単語。「ニエポドレグウォシチ」と読むのだが、発音が難しいうえに長すぎて覚えきれない。最初の「ニエ」と最後の「シチ」は覚えていても真ん中の部分が空白状態。これは「独立」という意味で、独立記念日は「Dzień Niepodległości」となる。独立記念日の予定を聞こうと思っても、そもそも単語が出てこないので会話にならない。

ちなみに、ポーランドを最初に訪れた時に泊まった宿の最寄り駅は「Świętokrzyska(シフェントクシュスカ)」。こんな単語がゴロゴロしているのだ。しかも単語だけでなく文法も発音もややこしい。ポーランド語は世界で最も難しい言語の1つとされているそうだが、まさにそうだと実感。五十路の脳みそには決してやさしくない言語である。

この1年は、時折日本からの仕事をしたり、ポーランド語の勉強をしたり、友人のママに料理を教わったりと、ゆるゆると過ごしてきた。最初の1年くらいは現地での生活に慣れたり、語学習得のためのモラトリアム期間として考えていたが、資金にも限りがあるし、次のフェーズへの移行を考えなければならない時期に来ている。これからが本番といえるだろう。ビザ、滞在許可関連の情報はわかりにくい部分も多いので、随時、弁護士に合法性などを確認している。

まだまだ先行き不透明感はぬぐえないし、今後も困難はあるだろう。年甲斐もなく向こう見ずなことをしているとは思うが、本当に住みたい国に出会ってしまったのだから仕方ない。人生は一度きりだし、後になって「あのとき、やればよかった」と悔やむくらいなら、えいや、と挑戦して、とまどいながらも前に進む方がいい。これから起こることが予想できる人生よりも、次に何があるかわからないほうが面白い。いくつになったって、トキメキやドキドキは原動力になるのである。