「皆、もっと貯蓄をしているのだろうか…」(写真:kyoshino/iStock)

自分の貯蓄額が日本全体の平均額以下だと知ったら、老後や将来が心配になる人が多いだろう。しかし、平均以下であるということをそれほど深刻に考える必要はない。実は保有している貯蓄額が平均より少ないというのが、むしろ普通のことなのだ。


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総務省統計局が発表している家計調査で見ると2016年の2人以上の世帯の保有貯蓄額の平均は1820 万円だが、67.7%の世帯では保有している貯蓄額が平均を下回っている。保有している貯蓄額の多い順に世帯を並べたときに真ん中になる世帯の貯蓄額(中央値)は996万円で、平均貯蓄額の半分程度でしかない。


「平均値」と「中央値」の使いみちは異なる

平均的な世帯とか、平均的な日本人という表現がよく使われるように、平均という言葉は、一般的、普通、よく見掛けるということと、ほとんど同義に使われている。しかし、何かの値が平均値の近くである人たちが一般的で大多数だというのは、特別な場合にいえることにすぎない。

日本の統計では平均値は表示されていることが多いのだが、中央値が表示されていることはほとんどない。これは、日本経済の全体像を把握するという目的で統計が整備されてきたからであろう。平均値があれば、たとえば平均賃金に就業者数を掛けて日本で支払われた賃金の総額を推計したり、日本の家計が保有する貯蓄の総額などを推計したりすることが可能になる。中央値はこのような目的に使うのには向いていない。

一方、どのような世帯や個人を念頭に置いて制度を設計すべきかといった問題に利用する場合、平均値を使うことには問題が多い。手元にある統計の入門書には、以下のような例え話が書いてある。

「レストランで9人の客が食事をしていると、たまたま、世界一のお金持ちが友人と2人で入ってきた。レストランの客の平均資産額は『平均的な』お客の資産額といえるだろうか?」

フォーブスが発表した2018年版の世界長者番付によると、今年はアマゾン・ドット・コムのジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)がマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏を抜いて初めて世界一となったということだ。ベゾス氏の資産額は1120億ドル(約12兆円)で、1年間で392億ドル(約4兆円)増加したという。

もしも、ベゾス氏がレストランに入ってくると、客の平均資産額は1兆円を超えてしまうが、教科書には、こうしたときには平均値ではなく中央値(金額の多いほうから並べてちょうど真ん中の人の保有額)を使うべきだと書いてある。資産額の順位がちょうど真ん中になる人の資産額(中央値)を使えば、ベゾス氏が友人とレストランに入ってきても、事情が急にそれほど大きく変わることはないはずである。

貯蓄額の中央値はあまり増えていない

日本で、毎年家計の貯蓄や負債を調べた家計調査が発表される際に、新聞の見出しやニュース番組に出てくるのは、平均貯蓄額がいくらになったかということで、中央値に言及されるのを筆者は見たことがない。統計を使う側だけでなく、作る側も中央値を求めることにあまり熱心ではなかったようだ。

2015年までは、保有している貯蓄がゼロの世帯は中央値を求めるときに除外されており、貯蓄ゼロの世帯を除く中央値しか発表されていない。これを代用すると、2002年から2016年までの間に、貯蓄額の平均は1688万円から1822万円へと134万円増加したが、中央値のほうは1022万円から1064万円へと増えただけで、増加額は42万円にすぎない。保有している貯蓄の多い世帯がさらに大きく貯蓄額を増やした一方で、保有している貯蓄が少ない世帯では貯蓄額があまり増えなかったことを意味している。


平均値の悪口ばかり書いたので、少しはその歴史的な意義も述べておくべきだろう。平均値ばかりが注目されるという批判をするようになった現在では想像することも難しいが、平均値という考え方が社会的に認知されるようになったのはそれほど古いことではないようだ。

社会科学に比べれば自然科学のほうが平均値を受け入れたのは早かったが、それでも最初は大きな抵抗があったようで、18世紀の科学者たちは平均という考えを拒否していたという(注1)。実験で得られた結果が理論から予測される値とずれるのは実験がうまくいかなかったからで、「最も信頼性の高い推定値として、最良の一つの観測値をとることが普及して」いた。

1人の研究者の複数の実験結果はもちろん、異なる研究者の実験結果を集めて平均値を取るということは、まったく別のものの合計値を計算するような意味のないことだと考えられていたらしい。おそらく、理想的な条件で実験を行えば結果は理論が予測する真の値になるはずだという考え方であったのだろう。

社会科学に平均という考えを持ち込んだのは、近代統計学の父とも呼ばれる、ベルギーの統計学者、ランベール=アドルフ=ジャック・ケトレーだ。多くの人の平均的な属性を持つ「平均人」という概念を打ち出したことで、平均の概念が急速に受け入れられたという(注2)。

19世紀前半の欧州では、紙に書かれた大量のデータが生まれて「第1次ビッグデータの波」が押し寄せていた。当時の人々はこれらの大量の雑多な数字をどう解釈すればよいのかわからなかったが、この問題を解決したのが平均という考え方で、20世紀の初め頃には社会科学者や政治家は平均値に基づいて政策の決定を行うようになったのだそうだ。

格差の実態をとらえるには中央値も公表すべき

しかし、今日では平均値だけで議論するのでは不十分であることを多くの人が知っている。また技術が進歩して当時とは比べものにならないほど計算能力が高まっており、大量のデータをもっと適切に政策決定に活用できるはずだ。

金融資産保有額の平均値には多くの人の資産状況を過大評価させる危険性があることは先に述べたとおりだが、この点は格差の大きい高齢者の資産について議論するときには、さらに深刻な問題だ。高齢者世帯は平均では2385万円の金融資産を保有しているが、金融資産を保有している世帯の中央値は1567万円だ。金融資産がゼロの世帯も存在することを考えると、高齢者世帯全体の保有金融資産の中央値はもっと低いはずだ。

高齢者の多くが2000万円以上の金融資産を保有しているという前提で日本社会の老後の生活保障制度を設計するのと、1500万円を下回る世帯が一般的であるとの前提で考えるのとでは、結果がかなり異なるだろう。

米国ではセンサス局から毎年、家計の所得と貧困についてのリポート(Income and Poverty in the United States)が公表されているが、そこで家計所得として議論されているのは、実質所得の「中央値」(Real Median Earnings)の動きで、実質所得の「平均値」ではない。

日本は所得格差が小さい国だといわれてきたが、必ずしもそうとはいえなくなっている。ところが日本の統計は平均値あるいは日本全体の合計値を求めることを主眼にしてきたので、統計で所得格差の実態をとらえにくい。これを改善するためには、既存の統計でもっと所得分布の問題に注意を払うべきで、まず、その第一歩として所得や資産の統計で、平均値だけではなく中央値も公表していくことを提言したい。

(注1) サイモン・レイバー「平均の衝撃」酒折文武(訳・解説)『統計』2018年3月号(注2)Todd Rose, ”The End of Average: How We Succeed in a World That Values Sameness” , HarperCollins (2016)