会話がはずまないのはなぜでしょうか(写真:xavierarnau / iStock)

ある大学の先生がこんな話をしたことがあります。「ぼくは海外の学会で、英語で講演したり、発表したりする機会があるのだけれど、それが終わった後のパーティが困るんだよな。まったく話ができなくて……」。

確かに、学会などで話すことは事前に練習もできるし、内容は専門なのでいくらでも話せる。けれどもその後のパーティになると、出席者は家族のことを話したり、趣味やスポーツなどに話が及びます。この先生は自分の大好きなお酒などを手に、彼らが話す輪に入りたいのだけれど、なかなか入れないそうで、「そういう英語こそ身に付けるべきなんだよな……」となんとなく悔しそうに話していました。

Do you have a watch? に対する答えは?

このような話は、海外でも仕事をする日本人の大人から、たびたび聞くことがあります。仕事で英語を使うことはできるけれども、それ以外では使えない。英語を得意としない人には少々不思議に思いますが、このように話す大人は少なくはありません。

学校では英語を一生懸命勉強したし、英語の点数も悪くはなかった。けれども大人になって社会に出てみると、英語を話すことができない。海外旅行に行ってもなかなかうまく使えない。自分たちが受けてきた学校英語教育が悪かったのだ、とついつい思いたくなります。

では、なぜ話せないのでしょうか?

これまでの英語教育ですと、“Do you have a watch?”(時計持ってる?)の答えは、“Yes, I do. ”(はい、持っています)、または“No, I don't. ”(いいえ、持っていません)が正解でした。しかし、日常の会話では、“Do you have a watch?”(時計持ってる?)と聞かれれば、“Yes, it’s almost twelve. ”(うん、もうすぐ12時だよ)と答えるでしょう。英語に限らず日本語でも、もし“Yes, I do. ”(はい、持っています)と答えたら、聞いた方は怪訝に思うのではないでしょうか。

時計に話を戻すと、実際の会話は以下のように進むのではないでしょうか。

“Do you have a watch?”(時計持ってる?)

“Yes, it’s almost twelve. Do you want to have lunch together.”(うん、もうすぐ12時だよ。お昼いっしょに食べない)

“OK. What do you want to eat?”(いいよ、何食べる?)

“I’d like to eat curry rice. How about you?”(カレーが食べたいな。君は?)

“Sounds good! I’d like to eat green curry.”(いいよ、グリーン・カレー食べたいな)

“Me too. Speaking of green curry, my brother visits Thailand next month for business.”(グリーン・カレーといえば、うちの兄貴、来月タイに出張なんだってよ)

“Wow, he will visit Thailand? That’s great!”(へえ、兄さんタイに行くの? いいなあ)

判を押したように全員で“I’m fine, thank you.”

時計の話からタイの話へ。こうして、思いもよらない話題に発展していくのが対話です。このように思わぬ展開があるから会話が弾むのであって、次の話の展開が事前にわかったら、その相手との会話はけっして楽しくないでしょう。ましてやそこから恋愛などは生まれません。

学校で一生懸命勉強した、成績も良かったのに英語が話せないのは、自分の言葉として英語を身に付けてこなかったからです。さらには、人とやり取りをしながら英語を身に付けてこなかったからです。

たとえば、小学校英語活動でよく見られる最初の挨拶は、教師が”How are you?”(元気ですか?)と子どもたちに尋ね、“I’m fine, thank you.”(はい、元気です)と子どもが答えるパターンです。けれども、ある子は今朝、母親に叱られて家を出てきたので、気持ちは決して”fine”ではない。

それなのに挨拶ではみんないっしょに、それも大きな声で、“I’m fine, thank you.”と言うことになっている。1人ひとり尋ねてくれて、“I’m not good because ...”などと話しを進めていくことができたなら、自分の言葉として英語を発することができるかもしれません。

これまでの学校でのコミュニケーションを意識した英会話の多くは、自分の気持ちや状態を表すものではなく、“How are you?”の答えは、自分の状況がどのようなときでも、“I’m fine.”でしかありませんでした。また、言葉をテキスト上で学ぶだけで、人とやり取りをして学ぶことがないため、“Do you have a watch?”に対する答えは、“Yes, I do./No, I don’t. ”でしかないのです。

この30年間、学校ではコミュニケーション力を重視した英語教育が進められてきました。英語でのコミュニケーション力には「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能が必要ですが、これまでは「話す」「聞く」が重要視されてきました。その結果、同じ内容の反復練習、またはパターンプラクティスが中心となってしまいました。

さらにこれまでの英語学習は、「これを英語でいうには何という単語を使えばいいのだろう」ではなく、「テストに出る単語だから覚えよう」「受験に出るから覚えなければ」という学び方になりがちでした。だから、テストや受験が終わってしまえば忘れてしまう。これでは勉強しても言葉としての英語が身に付くはずはありません。

シェイクスピアの内容を覚えていない女子大生

中学1年生で1カ月間、アメリカの家庭にホームステイした男子は、「ぼくはホストファミリーと馬について2時間も話をしたことがいちばんの思い出になっている」と話してくれました。「2時間も英語で!?」と驚いた筆者が聞いてみたところ、彼は府中市の東京競馬場の近くで生まれ育ち、競馬場内の公園を遊び場に育ったため馬についてとても詳しいということでした。

自分の知っていることだからいくらでも話ができ、相手もその話を聞いてくれてやり取りが生まれ、さらに話が進んでいったということです。長時間にわたって話ができたことで、英語を話すことにも自信が持てたようでした。

一方、「高校での英語の授業では、シェイクスピア作品を取り上げても文学を読むのではなく、文法を学ぶツールとしていたから、物語のストーリーなんてぜんぜん覚えていない」と話す東京都の公立高校出身の女子大生がいました。

彼女は高校時代、教科書やサイドリーダーの本を読むのにひたすら辞書を引き、文法を解釈し、文章を訳していました。なので、肝心なストーリー(内容)自体はまったく覚えていないというのです。「せっかくシェイクスピアを題材にしていたのにもったいなかった」と残念に思っている様子でした。

私たちは言葉(母語であれ英語であれ)を、自分の思考や気持ちを表現することに使います。客観的に何かを表現するにしても、自分の感情を抜きに表現することはないでしょう。自分の思考や感情のないところに言語活動は生まれませんから、英語もそれらを表現することを通して身に付ける必要があります。

アメリカ人と馬について論議した中学生は人に伝えたいものを持っていました。一方、高校の授業で教材としてシェイクスピアを読んだ女子大生は、その作品を好きにも嫌いにもなりませんでした。単に単語や文法をテキスト上で学ぶだけでは、「使える英語」は身に付かないのです。感情を揺さぶるような何かがあり、それを伝えたい相手がいるから使い、結果として言葉が身に付く。そのような習得方法が、特に子どもの場合には必要です。

4歳の男の子に、英語絵本に登場する幼い主人公について次のように聞いてみたことがあります。「(主人公が)"I'm so lonely, so lonely.”と泣いているね。それに彼の体がとても汚れているのはどうしてだろう?」。すると、男の子は「ママがいないんだよ」と答えたことがありました。これこそ彼が主人公に心を寄せ、彼の気持ちが動いている証拠です。彼はlonelyという言葉を心に刻んだことでしょう。

英語を話せるようになる環境作りが急務

感情を伴った英語に出会い、それを実際に使用して自己表現をしていく。このように英語を学んでいくと、将来、自分の思考や感情を伴った英語を使用して話すことができるようになります。冒頭の大学の先生が希望するように、パーティで自由に会話を楽しみ、人間関係を築くような英語を身に付けることができるのです。

先日、川崎市の小学6年生を子どもにもつお母さんが、授業参観で英語活動を見た後に「ALT(Assistant Language Teacher)が『Eye Contact、Use Gesture、Big Smileが大切』と強調するので子どもは一生懸命やっていましたが、言葉(英語)や表情に気持ちがこもっていないのがよくわかる」と話していました。このお母さんは英語を話せるので、授業参観で見た英語活動には懐疑的でした。

日本で教鞭を取る外国人教師は「日本の学生は話さない」とよく話します。「大人しく聞いているのがいい生徒」とされる文化であり、また間違いを犯すことを恐れるあまり、日本の学生が授業であまり発言しないのは事実です。しかし、英語を話せるようになるにはこの環境を改める必要があります。そして、英語に限らず、ほかの授業でも自分の意見を自由に発言でき、活発に議論できる環境を作るべきではないでしょうか。

国語や英語の授業では、文学作品を題材にすることが多くありますが、文学の解釈は読み手によってさまざまです。正解がひとつではない問いに対して、各々の考えを自由闊達に述べ、対話を通して学ぶことがこれからは重要になってきます。

そのような子ども1人ひとりの思考や感情に沿う、多様性を認める学び方からこそ、「話せる英語」が育まれることは間違いないでしょう。