日本に爆弾を落とす「B-29」。資源がないことは、こうしたことを招いた原因の1つである。(出所:米陸軍省製作記録映画The Last Bomb)


 資源に乏しい日本から見るとうらやましすぎるロシアの宝の山、ノリリスク鉱山。世界最優良のニッケルの鉱脈に、プラチナ、パラジウムのオマケつきという豪華な鉱山に、世界の自動車産業が依存していることを前回紹介した。

 しかし、この鉱山の周辺は世界で最も汚染された地域の1つと呼ばれているというオチがある。

 住民に深刻な健康被害が蔓延しているわけではないので、世界で最も汚染されたというのはさすがに大げさかもしれないが、この一帯の土壌が重金属で激しく汚染されていることは確かである。

ノリリスクの金属精錬の様子 (出所:ノリリスクニッケル社Website)


 精錬工場の老朽化が著しく、環境対策がいい加減だったことで、相当量のニッケルや銅などの重金属が垂れ流されていた。「ノリリスクの土は汚染されすぎているのでニッケルや銅の鉱石として利用できる」と揶揄されている。

 このニッケルをたっぷり含む汚染土壌。普通だったら忌み嫌われる有害産業廃棄物扱いだが、そんなものでも喉から手に出るほど欲しがったであろう国があった。戦時中の我が大日本帝国である。

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日本に全くないニッケル資源

 現在のニッケルの最大の用途はステンレス鋼であるが、ニッケルを鉄に混ぜると錆びなくなるだけではなく、粘り強くなる。また、耐熱性を与えることができる。こうした性質を生かして特殊鋼の製造に用いられる。

 特殊鋼は機械の中で強度や耐熱性が必要な部分に不可欠で、自動車でもエンジン部品などに用いられている。

ニッケル (出所:ノリリスクニッケル社Website)


 兵器は機械の一種であるだけではなく敵にやられないための装甲が必要であるため、通常の機械以上にニッケルが要る。戦争にもニッケルが不可欠ということになる。

 しかし、日本にはニッケルの資源がない。日本はニッケルに限らず他の金属資源もないのだが、“ない”のレベルが違う。他の金属資源が少しはあるのに対し、ニッケルの資源は全くないのである。

 例えば、銅では昭和40年代まで足尾銅山で採掘していたし、鉛や亜鉛は現在では素粒子の観測の方で有名な神岡鉱山で平成になるまで採掘していた。

 変わり種では北海道にインジウムを産出する豊羽鉱山があった。豊羽鉱山は世界最高品位のインジウム鉱石を持ち、現在採掘されていない理由は資源の枯渇ではなく、地熱対策が大変だからである。

 日本に金属資源が全くないなんてことはなく、あるにはあるが量が少なく現在ではコストに見合わないというのが正しい。一方、ニッケルは本当にないのだ。

 もちろん地質学的にはニッケルを含む石ころは存在するが、資源として経済的に採掘できるレベルのものには程遠い。

 ロシアが豪華過ぎるニッケル資源を持ち、ニッケル資源を粗末にして環境に放出し土壌汚染をしていることは日本から見ればイヤミにしか見えない。

ニッケル確保は大日本帝国の生命線

 戦前、戦争にニッケルが必要なことも、戦争が始まるとニッケルを輸入できなくなることも、日本にニッケル資源がほとんどないことも、大日本帝国はよく分かっていた。開戦前に閣議で議題になったが、それよりはるか前の1930年代から苦肉の策を講じていた。

 例えば、戦争が始まったら回収して兵器生産の原料にするつもりでニッケル製硬貨を発行した。こっそりニッケルを備蓄していたのだ。

 1933年から発行された5銭ニッケル貨と10銭ニッケル貨がそのお隠れニッケル備蓄用硬貨である。しかし、全部でたった1250トンほど。全く足りない。

 戦争が始まってからは大東亜共栄圏内の鉱山を利用した。幸い、現在のインドネシアのセレベス島にニッケル鉱山があり、戦争初期には輸入もされた。

 しかし、戦局が悪化すると、日本の輸送船が次から次へと沈没させられるようになり、日本の勢力圏内とはいえ海外のニッケル鉱石の輸入はできなくなった。

 負け始めると、輸送船が沈められるだけではなく、兵器も消耗が激しくなる。その穴埋めが必要になり、もっとニッケルの需要が増える。

 負ければ負けるほどニッケルが手に入らなくなっていく反面、負ければ負けるほどますますニッケルが必要になっていく。しかし、必要でも供給できない。

 ニッケル不足は兵器生産の不足や品質低下も生むため、日本軍を弱体化させる。それがまた負ける原因になるという悪循環。

精神力でニッケル資源を生み出す

 ついに追い詰められ、地質学的には存在しているニッケルを含む石を、あり得ないほど質の悪い鉱石として採掘し、無理やり精錬する試みが強化されていった。全くニッケルがないはずの日本に、なぜか存在するニッケル鉱山の跡は、すべて戦時中の無理の名残である。

 鉱石というかニッケルをかすかに含む石ころを、国家の非常時に際し、精神力でニッケル資源にしようとしたのだ。それをニッケル資源だと言ったら、無駄にするほど資源がありすぎるロシアに笑われそうである。

戦時中のニッケル鉱石の顕微鏡写真 何が写っているかよく分からないが、そんなものが大日本帝国のニッケル資源だった。pentと記入している部分がペントランド鉱というニッケルの鉱物である。顕微鏡写真であることから分かるとおり小さい。(出所:長野縣伊那郡逭崩峠天竜鑛山の含ニッケル磁硫鐵鑛鑛床について)


 有名なのは、京都府の大江山鉱山である。ニッケルは古い地質の地域に産出することが多いが、日本は地質的に新しい場所がほとんどで、見るからにニッケルのなさそうな地質である。

 例外的に大江山は日本で最も古い5億年前のニッケルを含む岩石があり、なけなしのニッケルの採掘が始まった。

 緑色の泥のようなニッケル鉱石を微量に含む大江山の鉱石は、通常では経済的価値がないようなひどい鉱石である。しかし、ここは「皇国の荒廃はこの鉱石にあり」と、大和魂で頑張った。

 結果、何とか精錬技術を確立し、ニッケルルッベと呼ばれるニッケルを含む鉄が作れるようになった。

 現在、選鉱により品位を上げやすい硫化鉱を除いて、使用されているニッケルの鉱石の品位は最低でも1.5%程度である。一方、大江山のニッケル鉱石の品位は0.5%程度であった。

 それでもましな方で、大江山鉱山より規模が大きい大屋鉱山では品位は0.2〜0.3%程度であった。

 普通はゴミ扱いの鉱石も、大日本帝国にとっては大変貴重だった。ノリリスクのニッケル入り汚染土があれば泣いて喜んだだろう。

 大日本帝国では、雑な精錬で環境中にニッケルを放出するなどというロシアのような贅沢は許されない。そんなことをすれば、非国民である。精神の力で最後の最後までしゃぶり尽くし、石ころを戦争貫徹のためのニッケル資源にするのである。

戦争には全然足りず、戦後役に立つ

 戦時中、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」という標語があった。帝国臣民の鏡のような精神力で工夫して、何とか石ころからニッケルを作った。しかし、いくら工夫しても足りないものはやっぱり足りなかった。それが日本のニッケル資源だった。

 大変分かりやすい話であるが、敗戦後、大江山鉱山も大谷鉱山も1945年8月16日に採掘をやめてしまった。その他の“日本の無理やり”ニッケル鉱山も、1945年のうちに絶滅した。

 どれも、元々採算が合うような鉱山ではなく、よほど尻に火がついた状況でもない限り、採掘しようとも思わない鉱山だった。

 前述のとおり、銅や、鉛・亜鉛や、金山はそれなりに戦後も生き延びているので、敗戦翌日に終了となったニッケル採掘は、いかに日本のニッケル資源が貧相であったかをよく物語る。

 なお、大江山の極低品質の鉱石から、何とかニッケルを精錬しようとした爪に火をともすような努力は、技術力を大いに向上させたようだ。大江山の精錬所は日本を代表するステンレスメーカー日本冶金の工場として今でも操業している。

 現在、日本に5か所のニッケル精錬工場があるが、このうち、先ほどの日本冶金大江山製造所(1942年)と住友金属鉱山のニッケル工場(1939年)は、戦争遂行のための建設された工場であった。

 非鉄業界は地味なイメージや古い産業のイメージを抱かれる方もいらっしゃるだろうが、現在の日本はニッケルの生産量で世界3位のニッケル生産大国である。

 ニッケル資源は全くない。加えて金属精錬では致命傷となる電気料金も燃料費も高い。こんなに金属精錬に不利な日本において、ニッケル精錬がこれほどの規模をもつのは技術力の賜物である。

 日本にそうした技術力が蓄積されたのは戦時中、現在よりもさらに不利な環境で、爪に火をともす努力を強いられていたことと無関係ではないだろう。

 そこからニッケルを取り出そうとすると、否応なしに技術力が鍛えられるほど質が悪い鉱石。資源に乏しい大日本帝国はそんなものに頼って戦っていたのである。

本土防空にもニッケル不足の影

 ニッケル不足は戦争に大きな影を落とした。例えば、日本軍は米軍の爆撃機「B-29」に対抗できず、日本は焼け野原になった。その要因の1つが、日本軍の戦闘機が高空で性能を発揮できなかったからである。

 以前、日本には与圧システムなどといった贅沢は許されなかったので、日本のパイロットはB-29だけでなく酸欠と酷寒とも戦わなければならなかったことを紹介したが、高空では戦闘機のエンジンも酸欠と戦っていた。

 豊かで技術力も日本よりも高かった米国は、B-29にターボチャージャーを装備し、空気をエンジンに送り込む仕組みを備えることができた。B-29のエンジンは酸欠に苦しむことはなかった。

 一方、日本はターボチャージャーが開発できず、酸欠エンジンでB-29と戦うことになった。もちろん高度1万メートルで飛んでこられると勝負にならず、B-29は日本上空でやりたい放題である。

 ターボチャージャーが開発できなかった要因の1つとして、ニッケル不足が挙げられている。高温のエンジンの排気を受けるタービンは、自動車用のものでもニッケル基の耐熱合金で作られている。代用金属で製造するのは厳しかった。

米軍機のターボチャージャー ターボチャージャーのエンジン排気を受ける部分は高温にさらされるので、ニッケルを用いた耐熱合金が必要である。写真のターボチャージャーも焼けたような雰囲気で、いかにも高温に耐えてきたという感じである。


 ターボチャージャーの事例のほかにも、ニッケル不足が大日本帝国のあちこちで問題を起こしていたはずである。

 日本軍の兵器はニッケルがケチられているのである。機械としての耐久性に難があり、すぐ故障するとか、装甲に靭性がなく敵の弾が当たった時に割れてしまったとか、兵器として情けないことが頻発していたことは想像に難くない。

 ニッケルをケチるための代用材開発や、代用金属で何とか兵器を成り立たせるための開発は、ニッケルさえ豊富にあればやらなくて済んだ。ただでさえ忙しい戦争中に、さらなる余計な仕事を発生させていた。

 さらにできた兵器の性能の足を引っ張った。兵器開発現場には負担になっていたはずである。

 もちろんニッケルにより戦争に負けたとまで言っては言いすぎである。石油もなかったし、その他資源もなかった。戦略性も欠けていた。政治も失敗した。敗戦の原因はほかにもたくさんある。

 しかし、日本にニッケル資源がなかったことは、しっかりと戦争の足を引っ張っていたのは確かであり、数多ある敗戦要因の1つに数えられるべきである。

B-29の窓越しに見た富士山 ニッケル不足は、ここまで敵に攻め込まれる原因の1つとなった。(出所:米陸軍省製作記録映画The Last Bomb)


戦後、ますますニッケルが必要

 幸い、戦争は終わった。さらに、戦争中に育った産業基盤は帝国の戦争貫徹には間に合わなかったかもしれないが、戦後、役に立った。

 非鉄業界も育ち、日本は世界第3位のニッケル生産国である。ニッケル資源も輸入できているし、海外に権益も持っている。一見すると、ニッケル不足で苦しんだ戦時中の苦労は遠い昔の話であるようだ。

 しかし、日本がニッケルを大量に必要とする一方で、資源が全くないという現実は戦時中と何ら変わらないのである。さらに、最近、ニッケルは地味に見えてホットな金属なのである。

 ニッケルが機械製造に必須であることは、戦争をしていようがしていまいが変わらない。日本は戦時中と異なり、工業国である。ニッケルがなければ兵器だけでなく自動車も作れない。

 単純に日本で製造業が要求するニッケルの量は戦時中よりも多い。戦時中のニッケル生産は純分換算で年間せいぜい数万トン。一方、現在では20万トン近い。

 さらに、近年では伝統的な機械製造とは違った新しいニッケル需要が発生している。ハイブリッド自動車、燃料電池車、電気自動車など、モーターを用いる自動車では、電池でニッケルを大量に使用する。

 戦争中どころか戦前から存在した機械のためのニッケルとは全く違う使い方である。

ニッケルは産業界のホットトピック

 現在、自動車の駆動用電池としてニッケル水素電池とリチウムイオン電池が用いられているが、その双方ともニッケルを使用する。

 ニッケル水素電池を使ったパソコンがあまりに早く性能劣化してしまうため、イラついた経験があるのは筆者だけではないだろう。電池が1時間ももたないため、コンセントない場所ではとても使えず、何のためのノートパソコンだか分からない状態だった。

 そんな状態なので、ニッケル水素電池はより使いやすいリチウムイオン電池に置き換わりそうだった。

 しかし、ニッケル水素電池の劣化を抑える充放電をコントロールする技術が進歩し、ニッケル水素電池はコストパフォーマンスが優れる電池として大変使える電池になっている。

 そのため、現行の「プリウス」でもグレードによってニッケル水素電池も用いられている。ニッケル水素電池は将来も使われる現役の電池である。

最新のプリウスが使用する電池 ニッケル水素電池とリチウムイオン電池の双方がある。(出所:トヨタ自動車Website)


 一方、リチウムイオン電池もニッケルと無関係ではない。正極材として、コバルト系、マンガン系、ニッケル系、この3種類を用いた3元系がある。このうち、ニッケル系と3元系がニッケルを使用する。

 リチウムイオン電池の中では、ニッケル系が最もエネルギー密度が高いが、これまでニッケル酸リチウムを用いるリチウムイオン電池は安定性に劣るとして普及しなかった。

 しかし、安定性克服の目処が立ち、ニッケル酸リチウムを正極材に用いたリチウムイオン電池の自動車での利用が増えそうな状況になった。テスラの電気自動車のバッテリーはニッケル系リチウムイオン電池である。

 電池を積んだ自動車にはHV、PHV、FCV、EVなど様々な方式があるが、どの方式が勝つにせよ電池の総数が増えることは確かである。また、ニッケル水素電池が現役を続けるなか、ニッケル系リチウムイオン電池の拡大が見込まれる。電池用ニッケルの需要は拡大傾向である。

電池用ニッケルは日本が主役

 伝統的なニッケルの用途に加えて、電池材料という新たなニッケルの用途が拡大しつつある。次世代の電池が主流になるまでの間、ニッケルの需要は増えていくだろう。それを受けて、昨年来、ニッケル価格が上昇している。

 日本はそうした動きの主役である。前述のテスラ車の電池に使われているニッケル酸リチウムは、戦争前にニッケル工場を作った住友金属鉱山とその関連会社の連携プレーで製造されている。

 同社のニッケル酸リチウムの生産能力は、2016年10月に月1850トンから3550トンに増強すると発表され、さらにその工事が終わらない2017年7月に月3550トンから4550トンに増強するという。景気が良さそうである。

電池材料・電子材料に用いられるニッケルやコバルトの化合物 緑色のものがあるが、緑色であることがニッケルの化合物らしい。(出所:住友金属鉱山Website)


 また、冒頭のノリリスクニッケルはドイツの化学大手BASFに対しニッケルの供給契約を結んだが、BASFはニッケルを含む電池材料の製造で2015年から日本の戸田工業と提携している。

 こちらも成長傾向で2017年末には米国にも合弁で製造拠点を設けるそうだ。

 日本は伝統的な機械製造でニッケルを必要とするだけでなく、自動車用電池やその電池材料の製造のためにもさらにニッケルを必要とするようになっているのだ。

今でも戦争中と変わらないニッケル事情

 ノリリスクニッケル社はパラジウムで世界のガソリン車を支えるだけでなく、ニッケルと副産物のコバルトによって電気で走る自動車も支えていることになる(もっともニッケル、コバルトではパラジウムほどの圧倒的シェアはない)。またここでも豊かな資源を見せつけてくるわけだ。

 それに対し、ニッケル資源が全くない日本は、いかに技術力を磨こうが、いかに高品質の自動車やニッケル酸リチウムを作ろうが、支えられる側である。

 戦時中と異なり、ニッケルを含む石ころの精錬は経済性がないので、足りないどころか、一切役に立たない。

 そのため、景気の良い話のある反面、業界はニッケルの供給不安要因には敏感である。インドネシアが2014年に行った鉱石禁輸や、2017年のフィリピンの鉱山閉鎖などである。

 レアアースが尖閣諸島と絡められ本格的な供給不安に繋がったのに対し、インドネシアのニッケル禁輸では、保護主義的な産業政策以上の政治利用がされなかった。

 また、日本の主なニッケル鉱石調達先はフィリピンとニューカレドニアである。本気で困らせられたレアアースと異なり、ニッケルは現在のところ確保できている。そのため、ニッケルの供給確保はレアアースほど目立つ問題ではない。

 しかし、ニッケルがなければ、脚光を浴びる電気で走る自動車を作れないことは、ディスプロシウムやネオジムと同じである。

 さらにモーターも電池もない伝統的な車すら作れなくなる。一方、日本にニッケルの資源は全くない。地味であるがニッケルの確保は、戦時中と同じく現在でも日本の産業界の生命線なのである。

筆者:渡邊 光太郎