元世界王者の空手家・高橋優子氏(写真提供:赤坂経済新聞)

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 いつのまにか「人生設計100年」と言われる時代となった。以前は「人生80年時代」だったので、ゴールが20年遠ざかったことになる。現在の30代や40代は年金も当てにできず、「悠々自適」は大半の人にとって無縁の世界だ。

 そんな時代性を反映して、自分が没頭できることを仕事にしたいという意識も高まってきた。そう簡単にいかないのはご存じのとおりだが、なかには両立させた人もいる。

 今回紹介する30代の女性空手家もそのひとりだ。現在は東京都内など10カ所の教室を運営し、約400人の生徒を持つ。空手道を追究する「求道者」の一面を持ちつつ、培った技術を生かし、肩こりをすっきりさせる効果のある「スロー空手ストレッチ」も教える。

●「技」だけでなく「心」も伝達

 東京・赤坂のビルの2階に「空優会」が運営する空手道場がある。開設は2012年9月で、各地の空優会の総本山的存在だ。

 取材の途中、厚手のカーテンで仕切られた向こうで「伝統空手」クラスが始まった。真剣な掛け声が聞こえるが、ピリピリした雰囲気はない。かといって軽いノリもない。このあたりのバランス感覚が同会の特徴のようだ。現在の赤坂道場では、下は3歳(園児クラス)から上は75歳までが学ぶ。85歳と83歳で入会した夫婦もいたという。

「門戸は広くしても敷居は下げないようにしています。空手教室で学ぶのは『空手道』で、技の会得を通じて『心』や『正義』(正しい義)も伝えます。私は茶道や華道と同じように考えており、この道場に入ると身が引き締まる存在でありたいのです」

 こう説明するのは空優会の主宰者・高橋優子氏(37歳)だ。2002年から08年まで全日本ナショナルチームに選出された当時中量級で国内1の実力者だった。06年船越義珍杯・世界空手道選手権大会で優勝して世界王者にも輝いた。ほかにも03年、05年アジア空手道選手権中量級優勝、08年パリ国際大会無差別級準優勝といった輝かしい実績を持つ。無差別級でも出場したが、当時も今も身長172cmで体重は58kgで変わらないという。

「伝統武道の空手は、長年にわたり一子相伝で公開しない“陰徳の美”もありました。でも、それが災いして世間に誤解された一面もあります。『空手=悪』というイメージもあれば、『ケンカに強くなりたいから空手を学ぶ』人もいました。ウチの道場は子供に対しても『勝ち負けがすべてでない』『優勝した子がエライわけではない』と教えます。一方で心を鍛えることに力を入れて、『世間の荒波に負けない人』を育てたいのです」(同)

 これだけの実績を持ちながら、そう言い切るのは本人の経歴もあるようだ。

●バレー部員から空手部員に転身

 群馬県高崎市で生まれた高橋氏は、小学生時代はサッカーに没頭した。中学に入ると女子のサッカー部がなく、バレーボール部に転じて高校の途中まで続けた。両親が体育教員という血筋で、天性の運動センスもあったようだ。バレーボールを始めて2年余で群馬県のベスト12のメンバーに選出。一方で、小中時代はピアノも7年、習字も6年続けたという。

「別のスポーツや習い事を長年続けたことで、教えられる側の気持ちもわかり、現在の教室運営に役立っています。習字のおかげでお礼状も書けるようになりました」(同)

 進学した高校でもバレーを続け、エースアタッカーとして活躍。授業のある平日でも1日6時間の猛練習に耐え、部長になったが、途中で練習内容に疑問を抱く。

「指導方法は前近代的でした。ミスをすれば『オマエらは犬や猫以下だ!』と人格否定される言い方も多く、裏では“刑務所バレー部”とも言われていました」

 練習に来なくなった部員と指導者とのトラブルに巻き込まれて、コーチから無視されたり嫌がらせを受けた。そんな経験から、あれほど必死だった部活動に嫌気がさしたという。唯一の休みが取れた2年次の夏休み最終日(8月31日)、東京から叔父が自宅にやって来た。

「実は、叔父は大正大学空手道部の出身で、一緒にランニングした後、蹴りを教えてもらいました。『筋がいいな、大学に行ったら空手をやれ』と言われたのです。でも当時はバレーボール選手としてプロになろうと思っており、断りました」(高橋氏)

 だが、その後に思い直して高校3年から同高の空手部に移り、空手の名門・大正大学のセレクションを受けて合格。初心者にも門戸を開放した時期だったが、これが同氏の運命を変えた。初試合で敗れた後、今でも敬愛する飯田紀彦氏(同大学空手道部師範。第1回全国空手道選手権大会・組手の部優勝者)から最初に言われた内容が忘れられないという。

「飯田先生からは『いいか、オマエはまだ初心者だ。負けてもいい、思い切ってぶつかれ』と言われました。その言い方の温かさで、凍っていた心が溶けて涙が出てきたのです」(同)

 技でボコボコに叩かれながら、「バレーボール部時代には思わなかった愛情を感じた」と述懐する。

●外資系社員も信奉した「空手ストレッチ」

 大正大学では、当時階級別で日本一だった1学年上の先輩・笹有紀子氏と向き合い、めきめき実力を上げて行った。それでも、どこかバレーボールへの未練を残していたという。

「大学2年の時に、代替出場した富山国体で準優勝したのです。その時初めて『バレーボールから空手に移ってよかったのかな』と思うようになりました」(同)

 その後の活躍は前述のとおりだ。日本空手協会総本部指導員などを経て30歳で「空優会」を設立。2年後に道場を開設した。資金の不足分は教員だった母親に借りたという。

 実は、ひとくちに「空手」と言っても、大きく分けて「伝統派空手」(相手に当たる寸前で攻撃を止める寸止めを重視)と、突きや蹴りを相手に当てる「フルコンタクト空手」がある。伝統派空手には4大流派(和道流・剛柔流・糸東流・松濤館流)があり、形(かた)も異なる。高橋氏は最大流派の松濤館流だ(段位は4段)。

「25の形がある松濤館流は、『一撃必殺』をめざしており、ダイナミックで直線的な身体の使い方が特徴です。最短距離を最速で動き、最大の力を出すよう考えられています」(同)

 技術の応用から「スロー空手ストレッチ」を考案したのは、企業研修がきっかけだった。

「外資系企業に勤める弟子の40代男性から依頼を受けて、その企業に出張研修に行ったのです。『空手を習ううちに、ひどかった肩こりが治った』と聞いていたので、独自に考案したストレッチを教えたら予想以上の効果が出ました」

 人間には400から600の筋肉があるといわれ、そのすべてを効率的に駆使し、一点集中で大きな力を出すために練られたのが「空手の技」だといい、それを応用した。普段は辛口の外資系企業の社員のうち、体験者の半数が高橋氏の道場に入門したそうだ。

●「ラジオ体操」のように普及させたい

 こう紹介すると、「伝統武道」からの脱皮をめざしているように思えるが、活動の軸はぶれない。欧州など空手が盛んな外国での指導経験も多い高橋氏は、こう話す。

「スロー空手ストレッチは、空手にはこんなに素晴らしい技術があるのにもったいないと思って考案したもので、最終的に伝えたいのは『技術』とともに『平常心』です。『空手に先手なし』という言葉がありますが、絶対に自分から攻撃することはありません。本来、空手は自分を守る技で、“受け”ができれば相手も加害者にならずに済むのです」

「残心」という言葉に象徴されるように、行動そのものに心が宿る。道場に来て、脱いだ靴の乱れ、着替えるために脱いだ服が乱雑なのもそうだ。普段は明るい高橋氏も、意識が低く遊び気分で参加した受講生には本気で怒る。

「インバウンド(訪日外国人客)の方たちの体験コーナーを実施した時のこと。事前に1時間半のメニューを考えて待っていたら、40分遅刻してきたのです。内容も大幅に縮小せざるを得ませんし、遅刻理由が『前夜、六本木で遊んでいた』というもので、この時は激怒しました」(同)

 メディア出演も多いこの女性指導者は、それほど「空手道」を大切にしているのだ。

「身体が強くなると心も強くなり、心が強くなると余裕ができて、相手に対しても優しくなれるのです。時間に追われ、他人への余裕のない時代だからこそ、そう思います」

「大きなことを言えば……」と前置きしつつ、「ラジオ体操のように普及させたい」と話す高橋氏。旧態依然とした一面を持つ伝統社会に風穴を開けるのは、自らも挫折を経験し“心身の痛みを知る”、こんな人かもしれない。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)