ベテランJリーガーの決断
〜彼らはなぜ「現役」にこだわるのか
第2回:高木和道(MIOびわこ滋賀)/後編

(前編はこちら>>)


 2000年6月に、通っていた京都産業大学を中退し、清水エスパルスでプロとしてのキャリアを歩き始めて17年目となる2016年。高木和道は自身初の”海外移籍”を実現した。タイ・リーグ2(2部)のエアフォース・セントラルFCだ。当初は慣れない環境に戸惑いもあったが、自身がそれを受け入れ、楽しさを見出すようになってからは、チームからの信頼も厚くなり、ピッチで安定した活躍を示せるようになる。

 事実、昨年のタイ・リーグ2には全試合に出場。念願のトップリーグ昇格を実現させたことで、クラブからは来季の契約延長を持ちかけられる。もちろん本人も快諾したが、その後、人生は急展開を見せた。

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 タイでの最初のシーズンをフル出場で戦い終え、最大の目標だったトヨタ・タイ・リーグ(タイ・リーグ1)昇格を実現し、来季の契約延長も勝ち取った矢先のことだ。高木は、思いもよらなかった出来事に見舞われる。妻の身に異変が起きたのだ。

 実は、昨年の8月にもタイの病院で診察を受けた際、悪性リンパ腫の中でも3%ほどの発症率とされる稀(まれ)な血液の癌(がん)が判明。急遽、帰国して抗がん剤治療を乗り越え、一旦はタイに戻れるほどまでに回復していたのだが、12月のPET検査で”再発”が明らかになる。

 最初の治療を終えた際は、高木曰く、「ドクターからタイに戻ってもいいと言われたくらいだったから、家族全員が安心していた」という。その状況を受けて、エアフォースとの契約延長にもサインをし、新居への引越しも終えていたが、状況は一変した。

「再発による抗がん剤治療は、前回とは比べものにならないくらい長く、つらいものになる。その状況の中で、例えば子供たちを日本にいる僕らの親に預けて、僕ひとりがタイでがんばることや、これまでどおり2人の子供たちもタイで生活させながら学校に通わせることも考えました。

 ただ、タイでは基本、練習が夜に行なわれる分、夜に子供たちだけで留守番をさせなければいけないことや、昨年末、嫁が治療で帰国している際に、子供2人と3人で暮らしてみて、彼女のいない生活をタイで送るのは正直、無理だと思ったので。そして何より、本人のことを考えても、ひとり日本に残していくことはできないな、と。

 それに……、つらい治療の合間に一時外泊した際に、彼女が安心して過ごせる”家”をちゃんと作って待っていてあげたかったのもあります。だからエアフォースに事情を話して契約解除を申し入れ、帰国を決めました」

 そこからは、日本で現役続行の道を探りつつも、何度も”引退”を考えた。現に働き口がないか、Jクラブをはじめとする各所に働きかけたのもそのせいだ。だが、一方で「はたして、このまま引退してしまってもいいのか」という疑問も頭から離れない。それは自身のためというよりは、妻を想ってのことだった。

「このタイミングで引退したら、嫁は自分のせいで僕を引退に追いやったと責任を感じるんじゃないか、と。僕の力が足りなくて契約の話がなかったとしても、です。それは僕自身が嫌だな、と。

 それに現役を続けていれば、嫁の病気が治ったときにまた、家族でタイに戻ってプレーできる可能性だってある。彼女はタイでの生活を僕以上に楽しみにしていたのに、結局半年くらいしかタイで生活していないですしね。

 何より僕自身も、昨年フルでシーズンを戦えたことから、フィジカル、プレーには自信があるだけに、それなら現役をがんばってみよう、と。

 結果的に正式に話をもらったのは地元、滋賀のMIOびわこ滋賀だけで、ステージはかなり下げることになったけど、ここなら僕の実家も近いし、子供たちとの生活を考えてもより安心ですから。それらを総合して考えてお世話になることを決めました」


高木和道(中央、背番号40)。MIOびわこ滋賀のチームメイトと

 MIOびわこ滋賀は、2007年に全国地域リーグ決勝大会で3位となり、JFL昇格を決めた滋賀県草津市、東近江市をホームタウンとするチームだ。監督は元ガンバ大阪の選手でもあった中口雅史氏。目標は”J3リーグ昇格”を掲げているものの、JFL昇格以降、タイトル争いに顔を出した実績はなく、チームを取り巻く環境は、正直厳しい。それは、高木の想像をはるかに超えて、だ。

「もちろんJクラブではないし、僕以外の選手は基本的に仕事をしながらサッカーをしている状況なので、環境は厳しいだろうなと覚悟していましたが、正直、思っていた以上でした。選手は自分で時間に融通が利く仕事を見つけてきてサッカーをしているので、朝9時半から練習して、終わって午後から23時くらいまで働いて、週末は試合をして……という毎日で、休みもない。つまり、そうしなければ生活すらできない、という状況でサッカーをしているということです。

 正直、この環境で『どうやってJ3を目指すのか……』というのがこの1カ月で感じた僕の率直な感想ですが、でもクラブが”J3昇格”を目標に掲げている以上、僕なりに必要と思うこと、変えたほうがいいと思うことはどんどん口にしていきたい。それが、Jクラブ経験者としてここにいる責任でもあり、クラブも僕に対してそういう価値を含めて契約をしてくれたと思いますしね。

 もちろん、JFLというステージを考えれば、Jクラブと同じ環境を求めるつもりはないけど、でも、数こそ少ないとはいえ、応援してくれる人がいて、企業があって、クラブが『滋賀を盛り上げるためにJ3リーグを目指している』と宣言している以上、その思いに応える本気の努力をすることはこのクラブに在籍する選手、スタッフ、クラブスタッフを含めた全員の義務でもあると思う。そのために、僕自身もできる限りのことをやりたいし、それが僕を拾ってくれたこのクラブにできる”恩返し”のひとつだと思っています。

 でも、本音を言えばものすごく大変です(笑)。あれもこれも、変えなきゃいけないことだらけですしね。でもここに来た以上、逃げたくないし、どんな大変さも……嫁が味わっている大変さに比べたらどうってことないと思うと、僕もがんばれます。それに、これまでの経験からも、人生って本当にわからないもので、想像どおりにいくことはほぼ、ないですからね。今回の嫁の病気だって想像もしていなかった出来事ですけど、人間は誰しも今、起きてしまった事実を、変えることはできない。

 だけど、未来は違いますから。自分の考え方、過ごし方でいくらでも変化させられる。だから、僕は未来を変えるために、いつかまた、家族みんなでタイに戻るために、まずは今を精一杯、やるだけだと思っています」

 一切の迷いも感じない表情で言葉を紡ぎ、前を向く。「未来を変えるために、今を精一杯がんばる」――その連続で切り拓いてきた人生だからこそ、高木は今、MIOびわこ滋賀での新たな挑戦に、すべての熱を注いでいる。

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