昨年はタイでプレーしていた高木和道

ベテランJリーガーの決断
〜彼らはなぜ「現役」にこだわるのか
第2回:高木和道(MIOびわこ滋賀)/前編

(第1回:播戸竜二(FC琉球)編>)

 3月24日、甲賀市陸上競技場(滋賀県)で行なわれたJFL第3節、MIOびわこ滋賀vsヴェルスパ大分。開幕から2試合を戦って1分1敗の成績で今節を迎えていたMIOびわこ滋賀はこの日、今シーズン初の白星をつかみ取った。センターバックの一角を担い、フル出場で”完封”に貢献したDF高木和道(37歳)は、試合後、仲間と順にハイタッチを交わし、勝利を称えあった。

「やっと勝てました。これまで戦ってきたどのステージも、どの試合も簡単な試合なんかなかったけど、このチームが抱えるいろんな問題を考えても1勝の重みを感じています。このスタジアムは芝もいいし……ってか、タイに比べたら格段にいいので、この年齢の僕には助かります(笑)」

 まだ、どことなく見慣れない緑のユニフォームに身を包み、白い歯を見せる。スタンドに集まった約300人の観客のもとに足を運ぶと、サポーターに頭を下げた。

       ◆       ◆       ◆

「人生ってわからないものです」

 これまでも、移籍のたびに彼から聞かされてきた言葉だ。

 例えば、大分トリニータ時代。最後の在籍となった2014年シーズンを、ほぼフルで戦ったにもかかわらず、契約満了となったときも。2015年に在籍したFC岐阜を離れる決断をし、次の行き先を探している最中に、J1のジュビロ磐田からオファーを受けたときも。同じ言葉を口にして豪快に笑った。

「試合に絡んでいたとはいえ、J2の岐阜でしかも、2015年の成績は22チーム中20位でしたから。その僕がもう一度、J1のクラブに戻るチャンスをもらえるとは……いやぁ、何が起きるか、わからないものです!」

 それは、昨年まで所属していたタイのエアフォース・セントラルFCへの移籍が決まったときも同じだ。

 2016年シーズン、ジュビロ磐田でのシーズンを終えたあと、高木はある決断をしている。それは1年の契約を残しながら、磐田を退団するというもの。周囲からは、35歳という年齢を考慮してのこともあり、「J1クラブとの契約があるなら全うしたほうがいい」という声も聞こえてきたそうだが、彼は自身がチームで置かれている現状を踏まえ、決断に踏み切った。

「ジュビロ磐田で1年間お世話になって、ましてや契約も残している中で、何の恩返しもできないままチームを去ることがいいのかは本当に考えました。

 ただ現役選手としてのサッカー人生が残り少なくなってきて、若い頃のように純粋にサッカーがうまくなりたいというより、サッカー選手として、ひとりの人間として『人生の経験値をより高めたい』という考えが強くなっていた中で、かねてから描いていた”海外での仕事”を実現するには、選手としてチャレンジするのが一番、簡単かもしれないな、と。

 と同時に、その”海外”も年齢を重ねるほど難しくなるのはわかっていたので、これがラストチャンスかもしれないと思い、まずはジュビロ磐田に退団の意思をお伝えしたうえで、行き先を探しました。それが、エアフォースでした」

 もっとも、退団を決断した時点では、ひとつとして現実的な話はなく、不安もあったそうだ。それゆえ、移籍先探しを代理人任せにはせず、自身の人脈を使って情報を集め、ああでもない、こうでもないと考えを巡らしていたのも事実だ。

 結果的に、契約を残して退団の決断をした選手にもかかわらず、高木のサッカー人生に寄り添ってくれたジュビロ磐田の強化部、そして名波浩監督のサポートにも助けられ、タイ・リーグ2(2部)のエアフォースとの契約にこぎつける。その新たなチャレンジに、高木は胸を膨らませた。

「話が持ち上がってから、決まるまでわずか2週間ですからね。ほんまに人生ってわからないものです。僕の思いを汲(く)んでくださったジュビロの関係者のみなさんをはじめ、いろんな方に助けていただいたことを忘れず、がんばってきます」

 その言葉どおり、エアフォースでの最初のシーズンとなった昨年、高木はチームのど真ん中で活躍を見せる。慣れない国、日本とはまったく違うサッカー文化は、当初、驚きの連続だったが、いろんな人との交流を通して、また彼自身もタイという国を受け入れることで徐々にそのすべてが楽しさに変わり、それはクラブ、チームからの”信頼”につながっていった。

「現地の方と交流を持つようになって気づいたのは、日本と比べるのが一番よくないということ。日本と比べるからあれが違う、これが違うと思うんだろうけど、”郷に入れば郷に従え”で、タイはこういうやり方だと受け入れるようになったらすごく自分が楽になった。それに、そもそも自分から望んでタイでプレーすることを選んだのに、文句を言うのは違うなと。

 それは、現地の人に言われたことでもあります。『日本人の若い選手は日本でプロになれずに、タイにたくさんやってくる。なのに、彼らの多くが自分たちの現状に文句を言って去っていく。それは違うと思わないか? 僕らは何も彼らにタイに来てくれとお願いしたわけじゃない。彼らがタイでプレーしたいとやってきて、契約の提示を受け入れてスタートしたのに、タイのサッカー界に不平不満を並べて去るのはお門違いだろ?』と。それを聞いてまさにそのとおりだと。

 もちろん、僕の場合は若いときにタイに行ったわけではないので、年齢による気持ちの余裕もあったと思います。それを差し引いても、起きることに対してイライラしたり、異を唱えたりしても仕方がないと考えるようになってからは、いろんな理不尽なことも、驚きも(笑)、楽しめるようになりました」

(つづく)

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◆オファーはJ3クラブのみ。その時、播戸竜二は初めて「引退」を考えた>>