普段は、世間の雑誌の類にひどい報道があっても、まずもってスルーすることにしているのですが、「これはちょっと、それはいくら何でも・・・」と思いました。

 どこかの議員がどこかの役所の幹部に投げるおかしな質問みたいなものに天下の一流雑誌が陥ってしまってはなんとももったいない。ということで、以下の原稿を準備しました。

 これではいけない、と目にとまったのは、週刊現代の「究極のエリート集団・東大教授の『凄まじい階級社会』」という記事(参照=http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54825)です。

 この記事は、私自身も在職する大学に関する内容として、どうにもいただけない、困った記事だと思いました。

 ちなみに、版元である講談社は、私の最初の単著を出してくれた版元で、別段つまらないケンカや根拠のない話をふっかけているつもりはありません。

 また「週刊現代」の記事にも長年協力してきた経緯があり、良心的な記者の知り合いも在籍しています。雑誌のためにもプラスになるように、という意図も含め、本稿を用意しました。

 以下につまびらかに記し、末尾に「まとめ」までつけておきましたので、そこから外れる誤読その他の類は、一切ご勘弁いただきます。

 大学に関するデリケートな内容は、本来学術雑誌と同様、是是非非を個別の案件ごとに指摘するのが、アカデミアの最低ルールでしょう。

 是非をつまびらかにする、アカデミアの大前提にのっとって議論しなければ、無意味な風聞でおかしなことになりかねません。

 以下、具体的に記します。

 当該記事で最もいけないと思うのは、

 「東大教授と言えば、世間では『特別な存在』として尊敬の念を集め、好きな研究に没頭できる人々と思われている。しかし実は、偏差値エリートの頂点にたどり着いた後にも、そこには格差や階級が存在し、嫉妬や蔑みといった上下意識が渦巻いている」

 「もちろん、そのポストにたどり着くまでも茨の道だ。優秀な東大生が学問に励めば自動的に教授になれるわけではない。大学入学前の出自、『出身高校』が大きく関わってくるのだ」

 という部分です。

 この「『出身高校』が大きく関わってくるのだ」という記述、読者の関心を引きたいのでしょうが、根拠が全く示されていません。

 しかし、印象を誘導する記述は随所にあります。その結果、あらぬ方向に読者を誘導しているように読めます。それに釘を差しておきたいと思います。

 記事は、現在東京大学内(医学部・法学部)に籍を持つ教員の出身高校別の人数などを引き、「医学部元教授」の話として

 「・・・一定の条件を満たせば、現役教授が強く推すことで決まる。同じ高校の出身者を推そうとすれば推せるのです」

 と記して、読者に出身高別の<学閥>が強固に存在するかのような印象を与える内容になっている。

 さてしかし、東京大学全体の話として、教授と助教授や助手、あるいは前任と後任が同じ高校出身でつるんでいる、というような話は、私自身、東大着任以来20年、あるいは学生時代からは30数年になりますが、1つも耳にしたことがありません。

 私は理学部の出身で、医学部の内情など細かに知るわけではありません。

 しかし、もし上記のような趣旨なら、例えば医学部に関して、現在の教授と准教授、あるいは前任と後任教授について、各々どこの高校出身であるかは、調べれば分かることですから、きちんと裏を取る調査をするべきでしょう。

 大手メディアという公器として、その面目を果たす必要があるでしょう。つまり、

 「同じ高等学校出身の教授・助教授(准教授)の実例として

 第×内科 何々教授 何々准教授

 とか

 第×外科、前職・何何名誉教授 現職・何々教授

 など、あるいは具体名は出さないにせよ

 「合計 2001年から2017年までの人事案件の中でN件確認された」

 といった主張を具体的に裏づける証拠を示されれば、初めて信憑性の議論が可能になるはずです。

 本当にそういうことがあるのなら、虚心坦懐に知りたいと思います。もし社会の木鐸の襟持があるなら、ぜひファクトを示していただきたい。

 しかし、記事にはそういう記述はありません。匿名「元教授」の話として<・・・もできるのです>との思わしげな表現ばかりです。

 個人名が具体的に挙がっている箇所もありますが、そこには

 <国立大学付属校出身=官僚的でエリート=企業との関係作りもうまい=**薬品と密接な関係>

 という記載もあり、これはさすがに笑ってしまいました。まあ、風が吹くと桶屋が儲かる、程度にあり得ない話でしょう。

 何ですか、ナントカ高校出身者は全員官僚的で、それが全員、大手製薬企業との関係作りがうまいことになるのか?

 ないないない。絶対にあり得ません。

 申し訳ないですが、このような記載は単に「トンデモ」でしかなく、ある高校にOBOGが180人いれば180通りの人間、もちろんスクールカラーはあるだろうけれど、全員官僚的とか、官僚的な人物が100%企業との関係作りがうまいとか、あり得ません。

 逆にお役人で、何か一言話すと、そのつど企業の神経を逆なでしそうな公務員だったら、相当たくさん思い浮かびますけれども(苦笑)。

 こんな乱暴な話に、根拠が示されるわけがありません。原理的に不可能なことが書いてあるので、まあ「未確認飛行物体や空中浮揚と本質的に大差ない」と記しておきましょう。

 記事は「人事選考で同じ高校出身者を推す」という看板と、それと無関係な話を並べて構成された本文とが組になっている。

 大学のリポートなら、朱を入れられて「根拠を示せ」と再提出を求めるかと思います。少なくとも私なら、そうします。

 上記事の冒頭には、京都大学の小川誠司先生に関する話が記されていましたが、小川さんの件なら、私なら、JBpressにも何度も寄稿されている上昌広さんの解説(参照=https://www.huffingtonpost.jp/masahiro-kami/ogawaseijishinimirudaigakukyojunoarikata_a_23221577/をお勧めします。

 もっとも上さんも東大医学部の「元教授」ですから、上の情報ソースである可能性だってゼロではありません。

 しかし、そんな憶測と無関係に、記事の趣旨が全く異なっているのがポイントです。すなわち、上先生の記事は、大学教授のあり方を、未来に対してポジティブに問う論旨になっている。

 不特定多数に公開されるこうした記事の、大切な基本姿勢の1つだと思います。現状の問題を指摘しつつ、ゴシップで終わらせるのではなく、とりわけ若い世代に希望の方向性を指し示すこと。

 小川先生と大学病院の間に軋轢があったのは事実のようです。が、そんなものはあらゆる大学のあらゆる部門に常時、大量に存在するわけで、私など東大着任以来20年、そんなんばっかです(苦笑)。

 もちろん、真摯に支えてくださる仲間も、事務官も、それ以上にたくさんおられます。そういう、どこにでもある話を枕に、高等学校から「学閥」で人事は決まってる、みたいな話にお店を広げるなんて・・・。何の根拠にもなっていません。

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なぜ有名校出身者が多いのか?

 東大教官に、なぜ有名校出身者が多いのか?

 いろいろ理由はありますが、最大の理由は、そもそもそれらの高校から、大学に合格する絶対数が多いからでしょう。

 つまり母数の多寡という、何一つ驚く必要のない大背景に眼を向ける必要があります。

 例えば理科稽爐頬菁灘高校出身者がどれだけいるか、考えてみたらいいでしょう。上に引いた上氏も灘出身、彼の研究室で学び、福島でのホールボディ・カウンター検診などに献身的に貢献している坪倉正治医師も灘出身です。

 しかし、同じ高校の先輩後輩だから・・・なんて了見の狭いことでやっているわけでないのは、上さんの幅広な活動と、彼が援助してきた非常に多岐にわたる人物スペクトルを一瞥するだけで明らかです。

 上さんが坪倉医師だけをえこひいき、というようなことは、天地がひっくり返ってもあり得ない。

 坪倉医師は、彼の能力と行動において、自身の仕事を立派に展開しているわけで、おかしな学閥憶測など完全にお門違い、実際、そんな指摘はどこからもされていないでしょう。

 私自身、上、坪倉両氏のおかげで、震災後の南相馬現地での活動の一端を知ることができ、素人ですから医療には無力ですが、放射線教育では理学部物理学科の教材を噛み砕いたカリキュラムで、若干の出前授業などさせていただいたことがあります。

 コスモポリタンの仕事で、おかしな憶測を混ぜ込むべきではないと言わざるを得ません。

 大前提として、毎年の東大合格者には、卒業生を多数輩出する高校がある、これは間違いありません。

 また、日本社会は一般にどこでも「生え抜き」を尊重し「外様」を脇にやる悪弊が存在する。これも残念なことですが、間違いない。その結果、東京大学の教員の出身高校にも分布の多寡があるのは事実です。

 でも「同じ高校出身だから・・・」ということで人事にえこひいきがあるというような話は、ほとんど(少なくとも私は全く)この30数年来、聞いたことがありません。

「学閥の虚像」はなぜ生まれるか?

 念のため付記しておきますが、私自身も、上の記事に挙がった中の1つの中学・高校を経て東京大学に進学し、結果的に東大に籍を置く一教員にほかなりません。上・坪倉両氏には大変お世話になっていますが、彼らと高校の同窓ではありません(大学の同窓ではあります)。

 ですから、逆に自信をもって言えるわけですが、東京大学全体の中で、出身高校が同じだから、という理由で人事が優遇される、なんて話は、およそマジョリティを占めるようなことにはなっていません。

 私自身の人事も、それを起案してくれた人、進めてくれた方があり、1999年に人事がありましたが、それは大学入学以降と言うより 2度目の博士課程を終えて学位取得した経緯が直接の背景でした。

 新部署を作る際に招聘していただいたというもので、高校のOBつながりなんて、全くありません。

 ところが学内に入ってみると、15〜20年前から知っている顔がちょこちょこいる。その理由は、まず第1に、そもそも合格者が多いこと。

 そして第2に、「研究職を志望するもの」そして「現実に研究職に進路をとる母数」が、そもそも世間一般よりも、はるかに多いことが挙げられます。

 またその一背景として、親が大学教授など研究職で、子供を中高一貫の伝統校に入学させ、それが研究職を志望して大学に入って来るケースが有意に高いから、といったことを指摘できると思います。

 結果的に学内で、あいつは中学から同級だとか、高校の先輩だとか、そういう話は多々ありますが、それが利便に直結することは、まずもってあり得ない。

 学閥のなんのというのも、現実に機能するものはほとんどない。そもそも「東大出身者」の国際社会でのOBOG結束の弱さは、世界で言えばハーバードやオックス・ブリッジOB会の強固な連帯、国内なら慶応義塾の卒業生組織である各種「三田会」のパワーと、比較にも何にもなりません。

 日本の大学人は国際社会では基本モナド的、バラバラです。

 より露骨な事例を挙げてましょう。今の東京大学の総長は、私にとっては高校の先輩でもあり、さらに大学時代の学部学科の先輩でもあり、さらにさらに人事があってからは親しくご指導いただく同僚先輩でもあります。

 しかし、人事の何のといって何らかの便宜など、およそ図っていただいた試しが、少なくとも今まで20年ありません。

 また、今後もそんな期待は残念ながら一切していません。何かあるとすれば、学内でフェアなルールに従って粛々と進む案件だけでしょう。で、そういうことも、現時点までは一度として起きていない。

 職位に拠ってご指導いただくことがあれば、それは当たり前のことです。

 変な下衆の勘繰りで左右されるようなことは、残念ながら(?)全くないわけで、週刊誌がおかしな外部の憶測で、こういうった流言飛語を面白おかしく飛ばすのは、本当にやめてほしいと思います。

若い世代につまらぬ誤解を与えぬために

 さて、どうして今回、こんな書くことにしたか?

 ここで背景を補っておきたいと思います。

 世の中では雑誌の書くことなど、スルーしておいた方が有利だし、私自身は講談社と仕事もするので、むしろ不利と言われる可能性もあり得ますが(実際にはそんなことは一切ないのも知っています)、この記事の有害性は、若い人たち、特に在学生や院生、PD、助教などこれから未来のある大学人が、

 「フェアに研究して成果を出しても、しょせん出身高校で既に決まっている」

 的なとんでもない誤解を与えかねないからにほかなりません。ただでさえ「ポスト・トゥルース」とか、けしからん世情です。大学内までそんなことにしてしまっては、どうしようもありません。

 現実は逆です。例えば山中伸弥さんのケースを見ればいいでしょう。現在は京都大学に所属しておられますが、出身は神戸大学医学部、整形外科臨床医からのスタートでした。

 山中さんは米国と奈良先端科学技術大学院大学を往復しながらiPSの仕事を成功させ、それを見た京都大学が彼を招聘した、という順番であって、ここには京大の学閥すら関係ない。ましていわんや「出身高校」あり得ません。

 そもそも山中さんの出身高校がどこ、といった話は、世の中にほとんどないと思います。本当に競争の激しい分野では、きちんとした業績は隠しようもなく、ローカルに問題があっても、必ず活路は開かれるものです。

 というか、そのように思って活路を見出していく努力、そして希望を若い世代の人に持ってもらうのが大事だと思います。

 いくら努力したって、最初から**で決まってるんだよ・・・的な流言は、ゼロ成長の閉鎖社会、権威主義がまかり通るムラでは(残念ながらニッポンの)事実でもあると思います。

 しかし少なくとも、研究大学、ないし大学院大学などとして内外先端のイニシアティブを取っていくような分野では、「特定高校」どころか、特定人種に偏っているというのが、そもそも相当おかしなことにほかなりません。

 日本の大学は長らく、日本人(しかも男性)ばかりを教員採用する、という強い批判を受け続けてきました。

 私も20年来、大学の国際化や人事の流動性、男女参画の平等など様々な案件に関わってきましたので、大学全体の趨勢は一定知るところがあります。 

 出身高校で何かが決まるというようなことは、1920年、大正の教育改革以前の旧制高校、つまり「ナンバースクール」と呼ばれる8つの高等学校(1948年に廃止)しかなかった時代であれば、少しはあったのかもしれません。

 確かに「あいつらは旧制一高出身だから・・・」的な話は、耳にしたことがあります。

 しかし、そんなものは1960年代の学園紛争以降、昭和後期よりこの方、日本でついぞ耳にする話ではないし、苛烈な国際競争の風に煽られている先端研究分野がしのぎを削る現代日本の研究大学では、まず存在できるわけがない。

 仮にあるとすれば、今後鋭意廃絶していくべきものであること、いまさら言うまでもないでしょう。

自分で切り開くことができる未来に希望を!

 出身校を含め、過去というのは既に変えることができない場合が多い。そんのようなものをネガティブな要素と位置づける妄言を、私は率直に憎みます。

 若者に間違った印象、下手をするとコンプレックスを与えかねない記事には、具体的にどこでどういう人事が何件あり、かくのごとく問題だ、というファクト、プルーフを出してほしいとまじめに思います。

 しかし、そういうものはたぶん、出てこないように思います。もしもそんな「高校学閥による歪んだ人事」が多数出てきたなら、真摯に対応すべきと思いますし、大前提として、そんな話は30年来、東大一般ではおよそ耳にしません。

 若者が、自分の努力、汗を流した分だけ、きちんと前に進めるという手ごたえを持てることが、アカデミアの精神的な健康の一の一であると思いますので、あえてこのような筆を取りました。

 また「できなかったこと」を「何かのせい」にするとき、この種の話を聞くこともありますが、それは筋が違います。そういうところから「学閥の虚像」が生まれるケースも知っていますが、実のない話と言わざるを得ません。

 あくまでフェアプレー、正面からの直球での勝負を制するのがアカデミアにおける大前提であること、この原則は微動だにすべきではありません。

 そうでなければ、真実の府としての大学の価値は「ポスト・トゥルース」程度の水準と変わりなくなってしまう。モラルハザードを予防するのは一人ひとりの確信と行動にほかなりません。

 自分で切り開くことができる、フェアプレーでの業績の先に、正当にアカデミアのシステムがつながっている・・・その大原則を若い人には改めて確認してもらいたいし、私たち年長の者は、そうした当たり前が当たり前である大学を、大切に守り育てていく義務があると思います。

 以上、結論を3点にまとめておきましょう。

(1)もし出身高校による学閥人事があるのなら、現在の事例について少なくとも実例数などを挙げて例証してほしいこと。

(2)いわゆる有名校出身の東京大学スタッフの1人として、そんな話は30数年全く聞かないし、自分自身も利便を蒙ったことなど、一切経験がないこと。

(3)反例としてiPS細胞の山中氏のケースを挙げました。若者が過去を振り返って悲観したり希望を失うような報道に強い疑問を持ちます。スキャンダル風の見出しが人目を引くのは現実でしょうが、若い世代が未来に希望を抱けるようなファクトの報道をこそ、社会の木鐸には期待したいこと。

 若い皆さんには、鋭意、ご自分のなすべき仕事に邁進して、どんどん結果を出し、現実には困難も山のようにあるけれど、より大きな希望をもって前に進んでほしいと思います。

筆者:伊東 乾