『20代に伝えたい50のこと』の著者、秋元祥治さんと、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の著者であり、近著の『世界に一つだけの勉強法』も話題の坪田信貴さん。15年来の親友同士の対談は、「オリジナリティとはどうやって生まれていくのか」という話から、様々な話題へと広がっていきました。今回は対談の中編です。(構成/森綾 撮影/石郷友仁)(構成/森綾 撮影/石郷友仁)

責任のポジティブな捉え方と、当事者意識の必要性

坪田 秋元さんの『20代に伝えたい50のこと』は冒頭で「自分が自分の人生の経営者だ」というところから入るじゃないですか。僕はそこがすごくいいなと思いました。
あのくだりをずっと読んでいて、責任という言葉を改めて考えたのですよ。ある意味、みんな自分の人生の経営者だというのは当たり前ですよ。当たり前の話なのに、なんでそう思えなくて、むしろ誰かの船に乗ろうとするのかなと考えた時に「責任」という言葉の意味を「ネガティブなことが起こって、それに対して責任を取る」としか感じていないのではないかと。でも、本当はそうではなくて、普通のことや嬉しいことが起きても、実はその責任も、その人がとるものなんですよね。
みんな、責任という言葉を重いおもしのように捉えている。責任を取りたくないから誰かが責任を取ってくれるところに行こうとしているのかなと、読みながら感じました。

秋元 そうですよね。責任ということは、リスクとか保障みたいな文脈で出てきがちです。

坪田 そうそう。でも自分の人生の楽しいことも、ポジティブな意味での責任なんじゃないでしょうか。

秋元 それと当事者意識、ということですよね。目の前に落ちてるゴミに気づけるかどうか、あるいはまたがないかどうかというのも、やっぱり当事者意識。それは他人のことなのか、自分のことなのかと思うかの差はとても大きいんだというふうに思いました。いきなりきっと経営者の気持ちなんて、自分が20代のサラリーマンだったら想像できるかっていうと、限りはあると思っています。けれど、日常の中で常に身の回りの人達の気持ちになるというのは、目の前のゴミをまたがないということかも知れないですね。それの延長線上にきっとあるんですよね。

坪田 相手の気持ちになるっていうのって、要するに自分もその人と同じだというか、常に自分事だというふうに思えるということじゃないですか。だからこれと一緒なのかなと思った。

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