文書の改ざんが発覚し、再び注目を集めた「森友問題」。27日には改ざん当時の財務省・理財局長である佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が決定し、事実の解明が期待されています。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住の作家・ジャーナリストの冷泉彰彦さんが、“ここがヘンだよ『森友問題』”と題し、浮かび上がる「9つの違和感と疑問点」をわかりやすく解説しています。

ここがヘンだよ『森友問題』

一連の「森友問題」ですが、ここへ来ての「進展」については、全くついて行けていません。勿論、完全に「政権が死に体」になってしまうと、外交がクリティカルな現時点では大問題になるので、政権を替える必要も出てくるのでしょうが、現在の展開には違和感が猛烈にあります。

私は、安倍総理については、第一次政権時代から続く「歴史認識における二枚舌」問題などから、決して積極的な支持者ではありません。アベノミクスにしても、「第3の矢」がいつになっても加速しないのには、かなり苛立っているのも事実です。

ですが、オバマ大統領との相互献花外交や、迷走しているものの日韓合意を一度は実現したという「中道実務的な成果」は歴史に残るだろうと思っています。また、仮に左派的な政権ができたとしても「右派票を恐れて」もっとずっと「右の政策」を採用する危険は十分にある中で(例えば野田政権の尖閣国有化)、この時点での倒閣というのが、本当に必要なのか、改めて冷静になっていただきたいようにも思うのです。

それはともかく、今回は「森友問題をめぐる違和感」について、箇条書き的に整理してみたいと思います。

1)三大忖度事件のうち、どうして森友なんでしょうか? 三つの疑惑のうち、女性の人権と人格を踏みにじる「強姦不起訴事件」が最も悪質なもので、次に許認可の結果が歪められた「加計」もタチが悪いと思うのですが、どうして「森友?」という疑問は消せません。

2)籠池夫妻というのは、かなりいい加減な人物のようですが、それにしても200日を超える未決勾留で口塞ぎというのは、ひどすぎます。後述するような「右派のくせに左派と結託して復讐しようとしている」という姿勢が政権周囲として許せないのは分かりますが、いくら何でもこれでは政権の威信も何もあったものではありません。

3)一方で、森友問題を突破口に「反権力」という情念が噴出しているというのは、まるで韓国の政変と同じ構造を感じます。例えば、昭恵氏への執念深い追及は、まるで崔順実(チェ・スンシル)氏への激しい攻撃にも似た怖さ、得体の知れなさを感じるのです。

4)とにかく政策論が全部吹っ飛んでいるのが怖いです。「働き方」の議論も、データの信憑性という矮小な政治的対立に流れていましたが、それもどこかへ行ってしまいました。まして、構造改革であるとか、肝心の朝鮮半島情勢などについて冷静に討議する環境が全部消えているのは恐ろしいことです。

5)そもそも最大の違和感は「野合問題」です。私は、個人的にはこの「野合」という言葉が嫌いですが、嫌いな語彙をあえて使いたいほど、今回のケースは悪質です。というのは、福島瑞穂氏(自由党の森裕子氏と共産党の小池晃氏も同席)が「調査」に赴き、「籠池邸前」で籠池氏と一緒に会見したシーンが頭に焼き付いているからです。福島氏は、(教育勅語礼賛などを含む)「右派の学校ができるのを止めたい」からやっているなどと言っていますが、要するに籠池氏のサバイバル戦略と結託して、安倍政権を左右から挟撃する構えであるわけです。政治的には唾棄すべき姿勢と思います。唾棄すべきという言い方も私は嫌いですが、他に形容を思いつきません。そのぐらい非道だと思います。いずれにしても、以降、この事件の全体像については、全く正視できない印象があります。

6)一方で、最初に掲げた「三大忖度事件」というのは、長期政権の腐敗だというように思われていますが、少し違うように思います。一つは、安倍総理自身に「イデオロギーの罠」に陥りやすい体質があるということです。つまり、本心からの、あるいは世界観としてのイデオロギーというよりも「敵味方」の峻別にこだわる姿勢です。例えば、第一次政権の際も、「格差の拡大」が批判される中で、「憲法改正」にこだわった姿勢が政権失速の主因になっています。今回も、一時期に朝日新聞を叩きすぎたり、居直りが強すぎる辺りには、この「敵味方のイデオロギー」という呪縛を感じます。

7)もう一つは、総理に対して「帝王学」的なスキルが大事だと忠告する、つまり中国の政治用語でいえば「諫言(頭の痛い指摘を下から上へ具申する)」をするような人材が配置されていないという問題です。周囲も含めて「イデオロギーの敵味方」だけで政治が動かせる、つまり敵を叩いて味方を結束させれば良いと考えていた甘さが、「忖度暴走という脇の甘さ」に繋がったわけです。勿論、メディアは、その辺を嫌っていたわけで、今回はその辺を叩いているわけですが、政権側、特に総理個人にこの点の修正ができないものかと思うのですが、どうでしょうか? 具体的には、大叔父にあたる佐藤栄作とか、父である安倍晋太郎なら、あるいはその周辺にいたブレーンなら、こんな「忖度騒動」を許したかという反省です。

8)とにかく、嫌なのは総理夫人への攻撃です。福田(康夫)さんが洞爺湖サミットやった際に、奥様が「十二単」がどうとか「お茶」などの「ファーストレディ外交」をやって、国際的に批判されたのは記憶に新しいところです。それと比較すれば、現在の総理夫人は首脳外交にも同伴して、社会貢献活動などもキチンと役回りを果たしています。彼女の活動というのは、(エネルギー政策について、ご主人と一緒に「賛否両論を抱き込む」というのは姑息ですが、)例えば、巨大防潮堤批判にしても、その他の環境問題にしても面白いメッセージ発信をしていて、悪くないと思います。仮に、今回の政争で昭恵氏や、彼女付きであった官僚などを徹底的に「締め上げる」ようなことになれば、こうした「顔の見える首脳夫人」というのは日本では当面ダメになってしまいます。そういうことはすべきではありません。

9)もう一つ、とても嫌なのは「文書改ざん」への怒りが拡大していることです。例えば、森友の問題は「国有財産が不当な廉価で売却されそうになった」ことであり、また「国のかたちに反する教育方針を持つ学校が平気で認可されそうになった」ことです。文書のハンドリングというのは、そうした不正の手段に過ぎません。その問題の本質を改めて議論するのではなく、文書という「目に見えるコンプライアンス」ばかりを追いかける、これはダメです。こんなことだから、「文書至上主義の非効率社会」がいつまでも改まらないのです。情報を問うのではなく、情報を記録した「磁気記録」がどうこうという、阿呆らしい法体系もそうですが、とにかく野党とかメディアとかが、この種の旧態依然とした発想に対して無反省であるのには、絶望的な気持ちがします。

いずれにしても、受け皿のない中での倒閣、政策論争なき政局というのは、無責任極まる話です。もう引き返せないのかもしれませんが、総理自身が徹底的な反省を示す中で、外交にしても、経済にしてもクリティカルな局面で、政権をなんとか安定させることはできないものでしょうか。

つまり、「三大忖度事件」について、「官僚には迷惑をかけた、国有財産の扱いに不適切な結果を招き納税者の信頼を裏切った、居丈高な物言いを続けた」ことを真摯に反省し、その上で自分に全責任があるとして、減給なり譴責なりを行うのです。朝日新聞などに対して悔しい気持ちがあるのかもしれませんが、一国の総理なんですから、そこはグッと我慢されるべきです。その上で「任期まで職務を全うし、これまでの非は政治的成果でお返しする」ということを誠実に訴えるのです。こうしたことに加えて、必要があれば、挙党一致内閣、挙党一致官邸を組織して、低姿勢であり同時に実務能力の高い政権とするのです。

もう引き返せないのかもしれませんが、仮に引き返せるのであれば、攻撃側は冷静に、防戦側はより低姿勢にシフトして、どこか落とし所を見出していただきたいものです。

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