貿易戦争で通貨政策に本腰を入れてくるのか(写真:Leah Millis/REUTERS)

貿易戦争というフレーズがまことしやかにささやかれる中、ドル円相場も堅調で、3月は年初来安値をうかがう地合いが続いている。1ドル=110円を割り込み105円台も珍しくなくなってくると100円割れも現実味を帯びてくるせいか、「日本経済にとって耐えられる円高水準はいくらまでか」という照会を頻繁に受けるようになった。

日々、多くの事業法人や機関投資家の方々とお話しさせていただく身からすると、こうした問いへの回答は「場合による」としか言いようがない。日本では輸送用機器を中心として大企業・製造業(すなわち輸出企業)の声が必然的に大きくなりやすい。もちろん、実体経済において広い裾野を持つ(そして日経平均株価への影響も大きい)そうした企業群は重要である。だが一方で、アベノミクス下での円安がさほど輸出数量を増やさなかったことからもわかるように、円安を起点とする「生産増→所得増→支出増」という伝統的な好循環は昔ほど働かない。

むしろ、かつては輸出企業と見られていた伝統的な製造業でも外貨エクスポージャーで見れば実は輸入企業というケースもあり、直感的なイメージだけで「○○円だから日本経済にとってはよい(あるいは悪い)」といった議論を軽々に展開するのは危険というのが筆者の皮膚感覚である。

企業の「予想するドル円レート」から何を読むか?

この点、3月2日に内閣府が公表した「平成29年度企業行動に関するアンケート調査」は日本企業(ひいては日本経済)とドル円相場の関係について客観的な視座を与えてくれる資料として有用である。調査で示された2017年度の輸出企業の採算レート(ドル円)は全産業・実数値平均で100.6円となり、前年度調査(100.5円)からほぼ横ばいとなった。

前年度(平成28年度=2016年度)調査で示されたドル円の「1年後の予想レート」は「113.1円」であり、2017年度の「調査直前月のレート」が「113.0円」と、輸出企業の為替予想はほぼ的中した。実勢と予想の乖離はわずかマイナス0.1円で、これは同調査開始(1986年度)以来、最小であった。とはいえ、本調査における企業の「予想レート」は「横ばい」が常で、昨年は極めて実勢の変動が小さかっただけともいえる。昨年は変動為替相場制に移行して以来、史上3番目に小さな変動率であり、株価(株高)と為替相場の乖離も話題となった。「安定した為替相場」が事業環境の改善に寄与していた面は無視できない。


ちなみに前回の金融バブルピークで日経平均株価が高値圏で推移していた2006〜2007年も企業のドル円の予想レートと実勢レートの乖離が小さかった。円安か円高かという「水準」にかかわる議論は当然重要だが、日々ヘッジオペレーションを検討する企業の財務担当者や機関投資家からすれば、「ボラティリティ」も同様に重要である。政府・日銀の政策担当者などからも「水準よりもペースが重要」というコメントがよく聞かれる。

過去を振り返ると、史上最も値幅が小さかった2006年度、その次に小さかった2015年度は、共に、翌年度(2007年度と2016年度)の実勢レートは企業の予想レートよりも円高に振れた。「円安かつ静かな相場」は続かないということだろうか。ちなみに今回の調査では「1年後の予想レート」は「114.3円」である。すでに現状の105円からはかなり遠い。

業種別に採算を見ると、分水嶺はやはり「100円」

採算レートを業種別に見ると、精密機器(94.1円)や非鉄金属(96.7円)、電気機器(97.1円)などの業種で円高耐性が目立つ一方、繊維製品やガラス・土石製品、鉄鋼など一部業種ではすでに採算レートを割り込んでおり、為替レートが問題視されやすい水準に差し掛かりつつある。

また、やや意外だが、長年、為替との戦いを繰り広げ、最も耐性がありそうな輸送用機器も100.1円とそれほど余裕はない(もちろん本当のところは異なるかもしれない)。日本企業とドル円相場の関係をラフに煎じ詰めれば「110円以上ならばほとんどの業種で採算が取れる一方、100円に差し掛かれば輸送用機器も含め多くの業種の決算に影響が出やすくなる」ということになろうか。


したがって、政府・与党、日本銀行に対する政策期待が高まりやすくなる分水嶺はやはり「100円」と考えておくのがよさそうである。なお、先月の筆者記事「円高はまだ始まったばかり、当面のメドは?〜購買力平価からドル円の節目を検証する〜」でも議論したように、その水準まで円高が進んでも、さほど不思議ではない。

ちなみに日銀短観(2017年12月調査)で示された2017年度通年の想定為替レートが「110.20円」であったことを踏まえれば、105〜106円で推移する現状は「想定レートと採算レートの中間」という位置づけになる。市場参加者が狼狽してドルの投げ売り(=円買い)に踏み切ってくる水準の1つの目安は、現水準(105〜106円)をはっきり割り込んだあたりと推測できる。

とはいえ、上述したような議論はあくまで日本企業とそれに配慮する政府・日銀という国内視点に立ったものである。通商政策において、「貿易戦争だって構わない」とまで放言し、「安全保障上の脅威」という枕詞(まくらことば)をつけて追加関税を課すという「抜け穴」をいとわず利用する米国トランプ政権が、本気で通貨政策に乗り出してくれば、日本側の事情など軽く吹き飛んでしまうだろう。

仮に貿易戦争という局面に至った場合、関税や非関税障壁は「武器」という位置づけになるが、通貨安も「武器」の1つである。戦争を仕掛けている(または仕掛けられている)国は通貨安と親和性が高く(「武器」なのだから当然だが)、これは貿易黒字国を糾弾するトランプ大統領が選挙期間中からドル安志向を隠してこなかったことにも表れている。

為替相場を見通す立場からは、仮に貿易戦争に伴い通貨安競争が激化した場合、ドル全面安は不可避と考える。変動為替相場制の世界において基軸通貨ドルの意向は絶対であり、これは予想というより摂理に近い。予想が難しい為替の世界において「米国が望む通貨政策の方向感は大体かなう」という事実はほぼ揺るがないものだ。実際、貿易戦争というフレーズが多用される中、年初来のドル相場は独歩安となっている。

トランプ大統領の標的になりやすい円

ドル全面安自体は昨年から続く流れであり、実質実効相場(REER)で見れば2017年のドルはマイナス8.5%も下落している。この一方的なドル売りの「受け皿」となったのがユーロであり、REERで見ればプラス5.6%上昇した。こうした流れの中、今年1月上旬時点でIMM通貨先物取引において投機筋のユーロ買い持ち高は史上最高まで積み上がった。ちなみにポンドのREERも同期間にプラス2.5%上昇している。

一方、円のREERはマイナス3.1%と逆に下落し、投機筋の円売り持ち高も高水準が続いた。要するに、主要通貨の中でドル全面安という流れに沿った調整が進まなかった数少ない例が円であった(ドル円で見ればマイナス4%程度下落しており「円高の年」であったが、実質実効ベースでは「円安の年」と見ることもできる)。その結果、円のREERは長期平均対比でマイナス20%の過小評価となっており、この事実はほかならぬ米国財務省が「為替政策報告書」で指摘している。彼らは「円は割安」との認識を隠していない。


今後、貿易戦争が激化するという前提に立った場合、とかく対米貿易黒字の大きい国の通貨が対ドルで上昇しやすくなる可能性があるが、その中でも調整が進んでおらず、もとより割安と目をつけられている円はやはり標的になりやすい印象がある。こうした状況で迎える来月4月の日米経済対話や為替政策報告書は、ドル円相場の水準を変えうるイベントとして大いに注意すべきである。

※本記事は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。