「田端信太郎」とは「リアル矢島金太郎」であるという話 「サラリーマン最終列車」#2

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 LINEの元執行役員だった田端信太郎さんがZOZOTOWNに転職した、というニュースが今月初めにネット界隈を駆け巡った。インタビュー記事などを読むと、指名で引き抜かれたらしい。一人のサラリーマンの転職がtwitterのトレンド入りをするなんて、これまでほとんどなかったことだろう。

 そして転職後、まだ二週間しか経っていないのに、早速ツイートが炎上して会社のレピュテーションを軽く脅かしている。普通のサラリーマンならクビを恐れてビビるはずなのに、心臓に剛毛でも生えているのかのように、本人のtwitterアカウントは全くの通常運営で、普通に働いている。

 そう、彼は起業家でも経営者でもなく、会社からサラリーを貰っている一介のサラリーマンだ。かつてのIT起業家やノマドワーカーは、ラフな私服を着ることでサラリーマンとの対立構造を演出していたけれど、田端さんはいつも高そうなスーツをビシッときめていて、サラリーマンであることを意図的に演出しているようでもある(ただし最近はZOZOスーツを着ている)。

 田端さんはNTTデータ、リクルート、ライブドアなど転職を重ねることで自らの市場価値を高め、毀誉褒貶はあっても「田端信太郎」という個人名をブランド化し、一本釣りされる人材としてビジネス的に成功してきた。海外ではこうしたケースは珍しくないけれど、日本のサラリーマン社会では新しいサクセスモデルとして際立っている。

 個人の名前で会社に指名されて渡り歩く、摩擦を恐れない一匹狼のサラリーマン。その姿は、働き漫画の金字塔『サラリーマン金太郎』の主人公、矢島金太郎に重なる。ポストバブルの日本が必然的に生み出した架空のキャラクターが、サラリーマン信太郎としてようやく現実の存在になったのだ。

◆閉塞した会社システムを崩す劇薬

 矢島金太郎は、バブルが崩壊した後の’97年に、新入社員としてキャリアをスタートさせた。就職氷河期の真っただ中で、四大証券といわれた山一証券が自主廃業をして業務を停止した年であり、大企業といえどもいつまで自分を守ってくれるかわからないというシビアな現実を、サラリーマンが突きつけられたころだった。

 金太郎は「サラリーマン」を名乗ってはいるけれど、その本質は暴走族=アウトローであり、か弱きサラリーマンの代弁者などでは決してなかった。むしろ終身雇用や年功序列に守られる時代の終わりを告げ、会社から自立することをサラリーマンに促す、古いルールの破壊者だった。ひとつの会社という枠の中で出世レースを生きる島耕作とは正反対の存在だ。

「一時代昔の事なかれサラリーマンの生き残りなんて許すな!」「この会社に入ったから会社があんたらを守ってくれるって事じゃない。あんたらがこの会社を守ってやるんだ」「たかが会社ふぜいに魂まで牛耳られてたまるかァ!」といった金太郎のセリフからは、旧来の疑似家族主義的な会社観から脱却しようとする強い意志が読み取れる。そしてこうしたスタンスは、サラリーマン信太郎がtwitterで日々発信しているメッセージと見事に通底している。

 信太郎は金太郎のように拳による暴力沙汰は起こさないかわりに、言葉のグーパンチを振り回し、常に各所とトラブルが絶えない。その主張やキャラクターに対する好き嫌いは分かれるところだろう。けれど金太郎がそうであったように、閉塞した日本の会社システムに喧嘩を売ろうとするならば、古い勢力との摩擦は必然だ。金太郎も信太郎も、日本のサラリーマンがアップデートされるためには避けて通れない、創造的破壊を起こす劇薬なのだ。

 サラリーマンのイメージが「社畜」とほぼイコールになってしまった昨今、田端さんのように「会社に依存しない、自立した個のサラリーマン」という成功モデルが働き方の選択肢として可視化されたのは、特に若い人にとってはいいことだろう。

 近年の『サラリーマン金太郎』は、出版社や電力会社と舞台を変えるごとに、場面場面のインパクトに頼る場当たり的な展開が目立ち、物語としては正直ピークアウトしてしまっている。金太郎は使命を終えた。次は信太郎がサラリーマンという存在を再び輝かすのか、それとも引導を渡すのか。いずれにしても、会社に魂までは牛耳られないように生きたいものです。

<文/真実一郎>
【真実一郎(しんじつ・いちろう)】
サラリーマン、ブロガー。雑誌『週刊SPA!』、ウェブメディア「ハーバービジネスオンライン」などにて漫画、世相、アイドルを分析するコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(新書y)がある。