“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。 母はパートをやめて、兄につきっきりになっていきました。

文・心音(ここね)

【兄は障害者】vol. 6

精神年齢は中学生のまま止まっていた

一般常識や人間関係のルールを覚えるのに、効率が良い環境。それは「学校」です。当時、私が中学生だった頃はわかりませんでしたが、「学校」という小さな世界で揉まれることで、さまざまな学びがあることを大人になって深く感じています。多少、先輩後輩の煩わしさがあったり、部活が大変だったり、授業がつまらなかったりしても、「学校」にはとても大切な面があります。義務教育が終わっても、「学校」には行く意味があると、私は感じています。

そのことを痛感したのは、兄が部屋から出なくなっていった頃からでした。同年代の友人たちは、月日と共に修学旅行やキャンプ、運動会、合唱祭など「学校」でしか味わうことができない集団生活を経験します。しかし、兄は自分の部屋から出ようとしませんでした。たまに外出しても、帽子を深く被り「知り合いには会いたくない」の一点張り。

兄の人生は “中学生卒業” の思い出でストップしました。一般常識をこれから身につけていくであろう時期に、吸収する機会が極端に減ったのです。

アルバイトをしてお金を稼ぐ同級生

そして、高校生になれば「短期バイトOK」「高校生歓迎」の募集要項をみて、アルバイトをし始める同級生もいました。田舎だった地元では、高校生の時給は750円程度。それでも、1日5時間働けば、3750円になります。1万円稼ぐにも根気は入りますが、それでもアルバイトをしながらお小遣いを貯めて、休みの日に友だち同士で集まって花火大会に行ったり、彼女ができればデート代に回したりもできるでしょう。

しかし、兄のアルバイト経験は、高校を退学させられる前に少しだけコンビニで働いていただけです。“数万円” を稼いだ経験が最後の兄は、そこから社会とかけ離れていくいっぽうでした。「お金がなくても、生きていることに意味がある」というのは、嘘だと思います。とても冷たい言い方かもしれませんが、キレイゴト抜きでお金がなければ何もできません。

兄は働く場所もない。しかし、ご飯は通常の人間と同じように食べます。部屋から出なくなり、未来に何がやりたいかもわからない。そんな兄のお金はもちろん全て親まかせでした。

母のサポートは「思い出づくり」だった

私の両親は共働きでしたが、母は兄の引きこもりを心配して、ある日仕事をやめてきました。確かに働いていたほうがお金を稼ぐことができますが、母が仕事をやめた理由は「兄に思い出を作ってあげるため」だったのです。

母に当時のことについて聞いてみたところ、「一般常識が作られる時期に、お兄ちゃんは家に引きこもっていたから、収入は減っても一緒に時間を過ごすことに注力した」と言います。動物園や映画、コンサートに行ったり、神社で兄が元気になるようにお参りしたり。季節の行事を楽しむために、ビニールシートを敷いてお花見をしたり、兄のために新しい洋服を買いに行ったり。

兄が行きたいと興味を示した場所には、すべて連れて行ったと言います。しかし、兄は両親以外とは人間関係がまったくなかったため、「人と接すること」をどんどん忘れていきました。周りに気配りがまったくできず、大きな声で「あれが欲しいー!」と幼児のようにワガママを言ったり。ドタドタ歩いてズボンが下がってきても、兄は平気な様子でした。

ヨダレが垂れて、独り言をブツブツ言い始める

兄にとって自分を守る唯一の方法だったのかもしれませんが、「自分の世界」に入り込むようになっていったのです。まるで小さな幼児のように、ご飯を食べても全部口に入れずにボタボタと落としたり、洋服に平気でこぼしたり。ヨダレが垂れてもぼーっとしているだけで、母が拭いてあげる日々。気づけば独り言を言いながら笑い、誰と話しているかわからない。

「お兄ちゃん、誰とお話してるの?」と母はいいながら、それでも思い出づくりをやめませんでした。あんなに「人気者だった兄」が、いつの間にか「見て見ぬ振りをされる人」に変わっていったのです。そんな兄と、さらに母は格闘します。ずっとあの人気者のお兄ちゃんに戻ると信じて。

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