1人の突破力から、ブランドはつくられる

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すべてのメーカーが手に入れたいと思っているもの。それは「価格決定権」だ。高級時計がそうであるように、価格決定権の源泉は「強力な自社ブランド」である。しかし、自社ブランドを築くのはとてつもなく難しい。OEM(相手先ブランド名製造)を15年続け、雌伏の時を経て、自社ブランドを築き上げたエクステリアメーカー傳來工房の橋本和良社長に話を聞いた。果たして、この難題にどう立ち向かったのかーー。

■跡を継ぐのは、長男ではなく「一番弟子」

当社の創業は平安時代まで遡る。この1200年間を、必ずしも、直系が会社を継いできたわけではない。いつの時代も「一番弟子」が継いできた。鋳造技術というのは、武器や貨幣を造る非常に重要な技術だった。技術が落ちれば、国力が落ちる。だから、時の権力者の承認がないと継げなかったからだ。創業家の長男でも技量がなかったら跡を継げず、一番弟子が道具とともに代々襲名してきた。実力がある者が技術を継承していったのが、会社が長く存続できた大きな要因だろう。

室町時代以降は、京都の寺社仏閣に青銅製の装飾金物を造っていた。京都の大本山から末寺が、全国規模で広がっていったこともあり、成長産業となった。腕のいい一番弟子が跡を継ぎ、当代一の技術を保っていれば、仕事はコンスタントにあったようだ。

時は流れ、第二次世界大戦が始まると、寺社仏閣からの仕事ができなくなった。造ったものを溶かし、武器や弾薬にする時代だった。そこで金属鋳造の技術を転用して、機械金属加工の分野へシフトしていった。

■仕事が減り、OEM仕事が増えていった……

私の父親は男3人兄弟だが、当時はちょうど大学を出た3人が、力を合わせて機械金属の仕事を立ち上げたらしい。具体的には、自動車や重電機・機械の鋳造部品製造だ。これらは群馬県・鹿児島県に工場進出し、現在グループ企業として独立している。京都本社はルーツに戻ろうと考え、1960年代後半から近代建築の金属装飾のほうにも進出していった。

代表作は、皇居の御造営時(明治21年)の鉄鋳物「正門二重橋前高欄」を1996年にブロンズ鋳造で完全復元したものだ。ドイツのミュンヘンにある、BMW本社ビルの外壁もつくった。4気筒のエンジンをモチーフにした建物で、約40年前当時、世界で初めて真空アルミ鋳造の技術を実用化したものだった。バブル景気の頃は、先ほど話した近代建築の装飾金物の注文がとても多かった。全国各地に開発されたリゾート施設で私たちの装飾金物が重宝された。

ところが、バブル景気が崩壊した途端、装飾金物の仕事はほとんどなくなった。売上減少を補うために、以前から手がけていた建材メーカーのOEM仕事に注力していった。

■15年間かかったOEMからの脱却

実は、バブル景気以前から、装飾金物の発注には好不調の波があった。そのために住宅エクステリアのOEM仕事を少しずつ引き受けてはいた。だが、あくまでも補完的なものだった。バブル崩壊後はそこを拡大していかざるをえなかった。ただし、一般的なOEMとの相違点は、自社開発製品だったこと。通常は相手先メーカーから製品図面をもらい、ウチが見積もりを出して生産する。ウチの高い商品開発力や品質を買ってもらい、建材メーカーから声をかけてもらっていたので、OEMを手がけるときも、あくまでも自社開発した製品を、相手先ブランドで売ってもらう形にしていた。

ところが、OEMの売り上げが伸びてくるに合わせるように、長引くデフレ景気もあり、今度は委託先からコストダウンを求める声が毎年大きくなってきた。そのうえ、装飾金物も落ち込んで、OEMに頼らざるをえないという状況に陥った。「このままでまずい、何か新しい事業の柱を作らなければ」と考え、まず住宅事業を1999年に立ち上げた。当時はまだ早いと言われていたゼロエネルギー住宅のビジネスだ。住む人の健康と地球環境の両方に配慮した家づくりを目指した。

一方で、OEMの委託先からのコストダウン要請がさらに厳しくなり、最終的には従来のような商品提案も不要になった。最安値を提示したメーカーを選んでいく、という方針転換が行われた。その代わりに拘束もなくなり、住宅エクステリアの分野でも、他社と自由に取引して構わないという。ウチとしても、このままOEMのコストダウン要請に付き合っていても、未来はないと考えていた時期だった。そこで住宅事業に続き、現在の主力製品である「ディーズガーデン」というブランド名で、高級ガーデンエクステリア事業を、約3年の準備期間を経て立ち上げた。

しかし、今年度もまだOEMが売上全体の1割ほどあり、完全にゼロになるのは来年度以降だ。最高時には、売上全体の6割強を占めていた年もあった。「ディーズガーデン」ブランドの生産を始めて、OEM を完全脱却するまでに15年かかったことになる。

■「もの売り」から「こと売り」への変身

「ディーズガーデン」ブランドで最初に手がけたのが、「カンナ」という南欧風の物置シリーズと郵便ポストだ。対象顧客層は、30代から50代の専業主婦。世帯年収は800万円以上で、敷地面積50坪以上の洋風住宅に住み、自分のほしい物にはお金を惜しまない主婦をターゲットにした。

なぜ、専業主婦なのかというと、家庭での購買決定権を持っているから。南欧風に絞ったのは、当時建築されていた国内の洋風住宅の中でも、南欧タイプが一つの市場を持っていたことが理由だ。なぜこの分野を選んだかというと、競合となる大手が元々サッシメーカーで、製造に手間がかかり、付加価値の高いデザインが苦手なことをわかっていたからだ。

南欧風物置のカンナを購入されたお客さまからいただいたお手紙を読むと、こんな感想が多い。「カンナを買ってから、朝カーテンを開くのが私の楽しみになりました」「以前は、家の中でお茶を飲んでいましたが、今は吹き出しの窓の前の庭に置いてあるカンナの前にガーデンチェアを置き、そこでお茶を飲むのが楽しみです」。

高断熱で高気密な家は非常に心地いい。しかし、それだけでは健康的ではない。人はやはり表にも出たくなるし、家の中にリゾートっぽい空間があれば癒され、豊かな気持ちになれる。つまり、私たちは「もの売り」から「こと売り」へと、ライフスタイル提案を行う企業に変身したことになる。それ以前は100人乗っても壊れないといった、耐久性をアピールした物置しかなかった。だから、「カンナ」はヒット商品になった。

先代が明文化した「傳來合言葉」というものがある。たとえば「新しく変わったものを創れ」とか、「後の世に誇れるものを送れ」といったポリシーだ。もともとウチにあった、もの創りのDNAが息を吹き返した。

■自分がよいと思ったものを、好きな値段で売りたい

最高ランクの製品創りを目指す際、『価格決定権を持つ経営』(酒井光雄著)という本が役に立った。本に書かれている24個の設問に答えながら、自分なりのビジネスモデルを作り上げることができた。「これはイケる」という確信に近いものがあった。

利益率の低いOEMで苦労していたから、やはり自社ブランドの製品を持ち、自分がよいと思ったものを、自分が決めた価格で、自分のルートで売りたかった。お客さまと直接対話をしながら、自分たちの仕事を創っていけるからだ。本書の中で私の胸に一番響いたのは、自社ブランドを持つことの魅力だった。

最近は国産の腕時計も高くなったが、たいてい数万円台だった。対してロレックスは、当時から50万円以上した。機能的にどうかといったら、国産品とあまり変わらないだろう。それでも、人はロレックスを喜んで買っていた。なぜかといえば、「ロレックス」だから。われわれも高級ガーデンエクステリア事業でブランドを築くことを、最初から目指すことにした。価格戦略も当然それに見合うものにした。

しかし、OEM仕事や、ゼネコン発注の建築装飾金物の仕事を受けていて、値引き圧力が厳しかった分、社員たちにはブランドビジネスに対する罪悪感のようなものがあり、それを払拭するのに時間がかかった。高粗利率のビジネスモデルを提唱されている経営コンサルタントの方に、毎月1回のペースで、2年間ほど勉強会を続けてもらった。実績がある第三者から成功例などを交えて話してもらうほうが、幹部社員も理解がはやいだろうと考えたからだ。

■ゼロから始めた全国約400店舗の販売網づくり

販売チャンネルづくりも、大手とは差別化する必要があった。エクステリアの問屋ではなく、街のエクステリア工事業者と直接取引することにした。自分たちのデザイン提案力や、施工力でエンドユーザーさんと直接取引している、地域一番店さんとだけ取引をするという形で、ゼロから開拓していった。現在、全国321社、約400店舗になった。

ありがたいことに、ホームセンターや商社さんが「ディーズガーデンを売りたい」と当社に来られるが、お断りしている。購買力のある大手と組むと、「ワン・オブ・ゼム」になる。私たちのような小さな会社の製品は、力を入れて売ってもらえると考えにくいからだ。また、ホームセンターで量産品の横に並べられると、自社製品の値打ちも下がる。特約店と契約する際も、私たちの想いを共有できる場合しか、取引をお願いしないことにしている。

手を組みたいと思ったら、「私たちは商売繁盛のための販売パートナーです」と宣言し、お互いがしっかり商売できるよう、私たちも最大限の協力をする。その一環で、特約店には「ディーズガーデン」コーナーを作っていただく。実物を見ていただかないと、エンドユーザーさんに理解してもらえないからだ。

特約店も「地域一番店」という条件をもうけさせていただいた。だから、どんどんとは増やせない。市場規模も決まってくる。その中で、差別化した製品で高収益ビジネスモデルを築けるのか、特約店と「win−win」の関係を作っていけるか、そこが私たちの課題であり、存在価値だ。

そもそも、住宅エクステリアはブランド戦略がない業界だった。「ディーズガーデン」が生まれるまで、おそらく自宅の門扉や外壁が、どこの製品かを知っている人はいなかったはずだ。テレビならソニーか、パナソニックかを知っているのに。

「ディーズガーデン」のビジネスモデルは、取引先金融機関からも評価されて、資金面で苦労したことはない。また、地元の京都市が、経営革新をして特徴ある事業を立ち上げている企業を表彰する「オスカー賞」を平成24年に受賞した。京都には昔から、「商いと屏風は広げすぎると倒れる」ということわざがある。私たちが1200年続いてきたのも、規模を追い求める経営をしてこなかったからだろう。

■自社ブランド立ち上げでの、社長の役割

自社ブランドを立ち上げる際、経営資源が足りないと感じざるをえなかった。では、足りないものをどう補うのか。経営者が勉強するしかないと私は思う。都合よく人をスカウトして連れてくることが、中小企業にはできない。経営者が率先垂範して、足りない能力を自ら補うだけの覚悟があるかどうか、だ。経営者がある程度、誰でもできるやり方を確立してから、信頼できる社員に渡してやればいい。その過程もなしに、社員にいきなり、「おまえ、これをやれ」と言っても絶対にうまくいかない。

あとは、どこでもいいから、何か一つ突き抜けたものを作らないとダメだ。「あそこは、○○○だけは日本一だ」と言われるものだ。今回は割愛したが、私たちは環境整備にとことんこだわった。読者のみなさまなら、「朝礼日本一」などでもいいだろう。抜きんでたものを一つ持つと、会社は必ず変わる。何か突き抜けたものがあると、周りの見る目が変わる。すると、社員が変わる。周りから評価されるのが、社員にとっては一番の喜びだからだ。社員が変わると、会社はさらによくなる。

今後は、工場があるフィリピンを拠点に、タイなどASEAN諸国への「ディーズガーデン」シリーズの販売を本格化させる。あとは、まだ私の夢レベルだが、弊社の製品であるゼロエネルギー住宅と「ディーズガーデン」商品、さらに景観材料(例:モニュメント・彫刻等)の3つの事業を統合した形で、「ディーズガーデンタウン」のような街を創りたい。まずは20戸ほどの小規模でいい。いくらよい家でも外構が貧相だと、いい街並みはできない。だから、私たちの商品と特約店さんのデザイン力を融合させた街並みを実現させたい。

(傳來工房 社長 橋本 和良 構成=荒川 龍 撮影=森本真哉)