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人が生きていくうえで忖度は不可欠

 昨年(2017年)の流行語大賞になったのが「忖度」であった。その意味は、すでによく知られているように、「他人の気持ちをおしはかること」(講談社『日本語大辞典』)である。これ自体、良いも悪いもない言葉である。

 人が社会生活を送っていくためには、数多(あまた)の人々と接し、人間関係を構築することになる。またそれらの人々とプライベートでも、仕事でもさまざまな場面で出会うことになる。この時に、相手が誰であろうと一切の忖度なしに接するなどということは、まずあり得ない。

「一期一会(いちごいちえ)」という四文字熟語がある。字義通りでは「一生のうちに、その人と会えるのは一度限りである」という意味だが、茶道では、「客との出会いは一度限りのものであると考え、心をこめてもてなすようにと教える心得」(同前)とされている。心を込めてもてなすためには、相手の心を推し量ることが不可欠である。つまり忖度するということだ。茶道に素人の私が言っても説得力に欠けるが、そう思う。

 夫婦関係でも、恋人同士でも、友人関係でも、忖度は絶えず行われている。仕事でも同様であろう。忖度こそが、潤滑油になっているのだ。だから忖度ができないような人は、人間関係も上手く構築できず、周りからは“人の心が分かってないな”などと揶揄されることになる。

行政機関での忖度は上下関係に起因している

 だが行政権の執行に、忖度があってはならない。たとえ個々の局面で人と人の交渉が行われるとしても、行政権の執行を単なる人間関係に矮小化することは許されない。行政権は、立法権や司法権と並ぶ国家作用の一部だからである。これが一部の人々の人間関係によって、恣意的な許認可や裁量が行われたのでは、行政の公平性を担保することはできない。

 だからこそ行政は、国民の代表である議会が定めた法律に従ってのみ行われなければならない、とされている。法治主義と言ってもいいだろう。従って、ここには本来、忖度などは入り込む余地がないのだ。

 だが実態は、恐らくそうではないのだろう。忖度はあるのだ。

 では、役人・官僚がどういう場合に忖度をするのであろうか。恐らくどの役人・官僚でも、もともとは行政の本来のあり方を不公正にしたいとは思っていないはずだ。だがそれでもねじ曲げてしまうことがある。それは上層部の意向に従う場合である。なぜ不公正と知りながら上層部の意向に従うのか。我が身が大切だからだ。

「すまじきものは宮仕え」と言うが、役人・官僚であれ、民間企業であれ、人事権を握っている者に逆らうためには身を捨てる覚悟がいる。なかなかできることではない。ここから忖度が生まれるのである。

“ワル”は籠池夫妻だけじゃない

 行政機関による忖度がいかに悪弊をもたらすものか、その最も分りやすい例が森友学園問題である。

 鑑定価格9億5600万円の国有地が、8億2000万円も安い1億3400万円で売却されていたという報道に接したとき、誰もが驚き怒りを覚えたことだろう。これが森友学園問題の発端であった。

 しかも、新設を予定されていた小学校の名誉校長に首相夫人の安倍昭恵氏が就いていたことが明るみに出た。籠池婦人と昭恵夫人は、何度もメールのやりとりをする関係にあった。世間では、これを“親密な関係”と言う。誰もがこの事実を知ったとき悟ったものである。昭恵夫人の意向があって国有地が安く払い下げられたのだと。これが世間の常識というものである。

 しかも森友学園というのは、そもそも新設の小学校を設立し運営する財政力を持っていなかった疑いが濃厚だった。例えば、建設費用である。大阪府私立学校審議会には、建設費用を7億5600万円と提出したが、国土交通省には補助金を申請するため23億8464万円の契約書を提出した。施工業者は大阪府に15億5520万円の契約書を提出している。これだけでも学校法人として失格だろう。

 ところが、この学校法人に認可が下りていたのである。結局は、この問題が明るみに出て、森友学園の籠池夫妻が逮捕されることになり、小学校建設は頓挫することになったが。

 国民の中には、やりきれない嫌な思いが残った。確かに、籠池夫妻には責任があるが、悪(ワル)は籠池夫妻だけなのか。財務省や国土交通省、安倍首相夫妻や麻生財務相にも責任はあるだろう。これでは“トカゲのしっぽ切り”ではないかという思いが。だがこの中の誰も責任をとらなかった。それどころか、鉄面皮な態度で真相を隠し続けた佐川宣寿当時理財局長を国税庁長官に昇格させた。世間を舐めきった傲慢な対応であった。

悪事は必ずいつかばれる

 だが「天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」である。お天道様はすべてを見ている。悪事をすれば、必ずいつかはばれてしまうものだ。朝日新聞、毎日新聞が森友学園への国有地売却を巡る財務省の決裁文書について、改ざんされたものが国会に提出されていたことを報じた。

 毎日新聞によれば、その1つは、2016年6月に、森友学園に鑑定価格から約8億円も値引きして国有地を売却する方針を国土交通省大阪航空局に通知したときに作成された決裁文書。このなかの「財務局と航空局との協議」という項目のなかには、(本件の特殊性に鑑み)と書かれているという。

 もう1つは、2016年5月に、近畿財務局が森友学園に売却予定価格を通知したときの決裁文書には、(学園から早期に土地を買受けたいとの要請を受け)(学園に価格提示を行う)という文言が記されていたと報じている。いずれも朝日の報道と合致している。

 朝日新聞(3月9日付)は、売買契約時の決裁文書の中に、「貸付契約までの経緯」という項目があり、そこには「本省理財局に相談したところ(中略)学園の要請に応じざるを得ないとの結論になり、貸付けについて検討」「特例的な内容となる」などの記載があったが、国会に提出されたものには、項目ごと消されていたことも報じている。これは当時の佐川理財局長が直接関わって、森友学園との特例的な契約が結ばれていたということを色濃く示している。

 佐川宣寿国税庁長官が、3月9日付で辞任したのもこの報道が最終的な引き金になったのではないか。佐川氏について、麻生財務相は、理財局長時代に「丁寧に答弁していた」などと評価する答弁をぬけぬけと行っていた。麻生氏に慧眼を期待するような無いものねだりをするつもりは毛頭ないが、佐川氏や理財局をかばい続けた同氏の責任は大臣辞職に値するということだけは、明言しておきたい。

忖度はした人だけの責任ではない

 森友学園問題に関わった近畿財務局の職員が、みずから命を絶つという痛ましい事件が起こってしまった。ご遺族の心情はいかばかりかと思う。

 今回の事件には、明らかに官僚による忖度が働いていた、と見るのが常識的な見方である。世間は、安倍首相の昭恵夫人が名誉校長を務めていたことの影響は計り知れなく大きいものだったと考えていると思う。これは忖度をした官僚だけの責任だと言えるだろうか。政治家からの直接的な圧力があった可能性も否定できない。

 上に立つ者の責任とは何か。私が共産党の政策部門の責任者だった時、同じ部署の人たちに対して1つだけ貫いたことがある。それは党の既定の方針にこだわることなく、可能な限り、自由に研究活動をしてもらうことだった。そうでなければ創造性のある仕事などできないと思ったからだ。

 もう1つ大事なことがある。それは部下に無用な忖度をさせないことだ。忖度をさせるということは、みずからは最終的な責任をとらないということと同義であり、唾棄すべき卑怯な態度だということを指摘しておきたい。

筆者:筆坂 秀世