ドナルド・トランプ大統領の顧問弁護士が出版差し止めを求めてきた暴露本が描き出したものとは?(写真:REUTERS/Jonathan Ernst)

今年1月5日にアメリカで刊行されるや全世界を衝撃の渦に巻き込んだ話題作、『炎と怒り――トランプ政権の内幕』。ドナルド・トランプ政権の知られざる内情を、1年半にわたる200件以上の関係者取材を基に明かした本作は、発売3週間足らずで全米170万部を突破し、たちまち大ベストセラーに。邦訳版も早川書房から刊行された。ジャーナリスト、池上彰氏が本書の読み解き方を解説する。

アメリカの分断を象徴する反響

本書『炎と怒り――トランプ政権の内幕』(原題はFire and Fury: Inside the Trump White House)の出版により、アメリカでは書名のごとく「炎と怒り」が渦巻いた。トランプ政権の驚くべき内幕を知って怒る人もいれば、トランプを批判するための偽りの本だという炎上も起きたからだ。

原著の初版部数は15万部の予定だったが、ドナルド・トランプ大統領が本の発売前に「出版差し止めだ」と怒ったため、出版社は刊行予定を4日早めて発売(2018年1月5日)。にわかに注目されることになり、100万部を追加重版した。

出版前から話題になったため、首都ワシントンの書店では発売日の午前0時から売り出したところ、瞬時に売り切れてしまった。「『ハリー・ポッター』の最盛期のような売れ行き」とコメントした書店員もいる。

書名は、2017年8月、核開発やミサイル発射実験を繰り返している北朝鮮に対し、トランプ大統領が「世界が見たことのない炎と怒りに直面するだろう」と威嚇した際の表現から取られている。人々は、この表現が先制核攻撃を示唆したのではないかとおののいた。

とはいえ、この表現はトランプ大統領のオリジナルではない。もともと『旧約聖書』の中の「イザヤ書」の一節からきている。神の怒りを象徴した言葉だ。

この本が発売されると、アメリカ国内の反応は真っ二つに分かれた。トランプ大統領に批判的な報道を続けているCNNは、著者のマイケル・ウォルフ氏をスタジオに呼んで、本書の中身を詳しく説明した。一方、トランプ大統領寄りのFOXニュースは、著者をジャーナリストとして信用ならない人物として描き出した。トランプ大統領の誕生後、アメリカのメディアが完全に分裂してしまったことを象徴する反応だった。

何より驚かされたのは、この本でウォルフ氏がトランプ大統領について、精神的に大統領にはふさわしくないと批判したところ、トランプ大統領は、「人生を通して私が持つ2つの最上の資質は、精神的安定性と天才であることだ」とツイートしたことだ。自分のことを天才と言ってのける神経。本当にこの人は大丈夫なのだろうか。

「ドナルドほど医療保険に無知な人間はいない」

2017年1月にトランプ大統領が就任して以来、世界は振り回されてきた。TPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱に続いて、温暖化防止対策のパリ協定からも離脱を宣言。トランプ大統領の言う「アメリカ・ファースト」とは、「アメリカの国益をまず考える」という意味だと思われてきたが、実際は「アメリカさえ良ければ、あとはどうでもいい」という意味であることがわかってきた。

トランプ氏は、大統領に当選が決まってまもなく、台湾の蔡英文(ツァイ・インウェン)総統からお祝いの電話を受けたことを公表した。これには外交関係者がビックリ。アメリカが「一つの中国」の路線を放棄し、台湾を国家として承認する「二つの中国」政策に舵を切ったのかと受け止めたからだ。

このときトランプ氏は、「一つの中国という政策に縛られる必要はない」という趣旨の発言もしている。外交の大転換だと驚いたものだ。

ところが、大統領に就任後は、台湾に関して発言しなくなり、いつしか「一つの中国」という伝統的な対中政策に戻っていた。いったい何があったのか。大統領就任以来、これが大きな疑問の一つだった。この本を読んで得心した。トランプ大統領は、大統領になるまで外交に関して何も知らなかったのだ。

そういえば2016年の共和党の大統領候補選びの最中、トランプ氏は「TPPは中国の陰謀だ」と主張していた。これにライバル候補が「中国はTPPに参加していないが」と反論した途端、何も言わなくなった。

驚くほど政策を何一つ知らない人物。この本は、そんなトランプ大統領の姿を描き出す。たとえばオバマ大統領の時代に導入された医療保険制度。通称オバマケアに関し、トランプ氏は、選挙中に「最悪だ」と批判していたが、どこがどのように問題なのか触れることはなかった。本書では、FOXニュースの最高経営責任者だったロジャー・エイルズの言葉を紹介している。「国じゅう、いや地球じゅうを見渡しても、ドナルドほど医療保険に無知な人間はいない」と。

これはあまりに大げさな表現だろうが、庶民が悩んでいる医療保険制度とは無縁に過ごすことができてきたトランプ氏には関心がないのは確かだろう。オバマケアを批判はしても、どのように改革するのかについてのコメントはない。オバマ前大統領が導入した施策のすべてをひっくり返したいという思いだけが伝わってくる。

衝撃の内情を暴いた著者の手の内

本書の中身は、「そうだろうな」と納得するエピソードが満載だが、あまりにショッキングな内容が続くので、「本当だろうか」という疑問も湧くだろう。

こういう疑問を持った読者を納得させるには、「秘密の暴露」が有効だ。ホワイトハウスの奥の院でしか知られていないことを暴露するのだ。それが奇想天外であればあるほど、とても想像では書けないことであり、かえって書の中身が信頼できるということになる。たとえばトランプ大統領が、寝室の内側に鍵をつけさせたことや、テレビを新たに2台入れさせ、常時3台のテレビを見ながらハンバーガーを食べているという話。

さらに衝撃的な「秘密の暴露」が、トランプ大統領の髪型の秘密だ。彼の髪型はあまりに不思議で、カツラ説も出ていたが、トランプ氏は否定してきた。これについて、なんとトランプ大統領の娘のイヴァンカ氏が、父親の不思議な髪型の理由を友人に話して聞かせたという。頭頂部の禿を隠すために周囲の髪をまとめて後ろになでつけ、ハードスプレーで固定しているというのだ。ここでは、ヘアカラーのブランド名まで明らかにされている。

神は細部に宿る、という言葉がある。こうした細かい事実の描写が説得力を増すことになる。細部にまでわたった暴露の表現は、いささか下品に陥りがちだが、深い取材の結果であることをうかがわせる。

実は著者のウォルフ氏は、大統領選挙運動中にトランプ氏に気に入られ、大統領に当選後は、ホワイトハウスの中で自由に取材できたという。政治の素人の集まりでは、場を仕切る人がいないから、ジャーナリストが勝手に歩き回っても、誰ひとり制止することもなく、自分たちの発言に気をつけることもなく、完全に身内の扱いをしていたという。

陣営幹部同士の会話を立ち聞きしていたに違いないと思えるシーンも出てくる。トランプ大統領のことを平然とバカにする発言が身内から次々に飛び出してくるのは驚きだが、彼らは、まさかその発言が公になるとは思っていなかったのだろう。

この本が成立した大きな理由は、一時は「影の大統領」とまで呼ばれたスティーブン・バノン氏が取材に全面的に協力したことが大きい。この本でバノン氏がトランプ陣営のスタッフを歯に衣着せず批判していることを知ったトランプ大統領は、バノン氏を「正気を失った」と口汚くののしった。バノン氏はその後、本書に引用されている自身の発言の一部が誤って使われていると指摘はしたが、本書の内容は否定していない。要は事実だと認めているのだ。

そもそも、大統領選に勝つ気がなかった

本書によると、トランプ陣営には3通りの人間がいる。まずはイヴァンカ氏と夫のジャレッド・クシュナー氏。2人を称して「ジャーヴァンカ」という言葉が生まれたという。要はトランプ氏のファミリーだ。ファミリー・ファーストがトランプ大統領の本音である。

次に、陣営に取り入って、利益を得ようとする利己主義者ないし詐欺師に近い人々。こうした人々は、登用された後、すぐにボロを出し、怒ったトランプ大統領があっさりクビにする、という結末を迎えている。

そして、もうひとつのグループが、自分たちが何とかしないとアメリカという国家に危機が訪れると危機感を燃やして国家に尽くす元軍人たち。ごく少数の人々によって、今のアメリカ政府はかろうじて機能していることがわかる。しかし、これはいつまで続くのだろうか。

トランプ政権の幹部たちは、選挙中に駐米ロシア大使やロシアのエージェントと密会していたことが次々に明らかになっている。どうしてこんなことをしたのか。大統領になった後、大問題になるのは明らかなのに。そんな私の疑問は、この本で解消された。陣営の誰もが、トランプ氏が大統領になるとは思っていなかったからだという。


ロシアと密会していたのは、ライバルのヒラリー・クリントン氏にとって不利な情報を収集して暴露するためだった。これでヒラリー氏に肉薄することができれば、落選しても次につながる可能性がある。どうせ当選しっこないから、後で問題になることもない。そう思っていたのだという。

この本はベストセラーになったが、トランプ大統領の支持率は変わらない。もともと高くはないが、30%台から下がることもない。トランプ大統領には、まるで岩盤のような強大な支持者が存在するからだ。

支持者たちは、こうした書物を読むことはない。そもそも読書の経験がない。その点では、1冊も本を読み切ったことがないというトランプ大統領と同じタイプの人たちだ。支持者がこうした本を読もうとしないのと同じく、きっとトランプ大統領は、いまも本書を読んでいないだろう。アメリカは、こういう人間を大統領に選んだのだ。