エアランゲンのシュタットベルケの代表、ヴォルフガング・ゴイスさん(左)。50周年記念のイベントで来訪者と気さくに話す(筆者撮影)

東日本大震災から今日で7年になる。福島第一原発の廃炉のメドは立っておらず、今もなお問題は山積している。従来の大規模発電所に依存したエネルギー供給への反省から、再生可能エネルギーを活用し、地域で発電し、地域で電力消費する「エネルギーの地産地消」を目指す動きも草の根では始まっている。

エネルギーの地産地消には送電コストの低さや地元の雇用創出といったメリットもあり、政府も補助金制度を用意するなど後押ししている。

エネルギーの地産地消の先進国、ドイツ

地産地消型の電力供給モデルとしてよく紹介されるのがドイツにある「シュタットベルケ」である。ドイツ国内の電力供給はビッグ4と呼ばれる大手電力会社の存在が大きいが、実は国内各地に1000程度の「シュタットベルケ」がある。地域の「公益会社」と訳されることが多いが、電力以外にもガス、水道、公共交通、プール、通信などを地域に提供しており、「地域インフラ供給会社」としたほうがしっくりくるかもしれない。

ここ数年、日本でもシュタットベルケのようなものを導入しようという動きがあるが、実現に苦労しているともきく。ではなぜドイツでは成り立つのだろうか。その理由に経済や技術的な合理性を挙げることもできるが、人々のあいだにある「自分たちのインフラ供給会社」というメンタリティの強さがかなり大きいと思われる。今回は筆者が住むドイツ中南部のエアランゲン市(人口約11万人)のシュタットベルケを例に挙げながら、地方の人々にとってどのような存在なのか見ていこう。

同市のシュタットベルケは市内の全電力を賄う市の100%子会社だ。電力に占める再生可能エネルギーの割合は82%で、ドイツ全体の32%を大きく上回り、原子力は同2.7%でこちらはドイツ全体の14.3%より低い数値となっている。

2030年には100%持続可能なエネルギーに切り替える方針を立てるなど、グリーンエネルギー先進都市と言える。同社は水道、熱供給、ガス、プール、バス、通信なども手掛けており、市のインフラを一手に引き受ける存在だ。

煙突は市のランドマークともいえる

昨年、同市のシュタットベルケは50周年を迎え、1年間にわたり火力発電の煙突をライトアップした。エアランゲン市は観光地というわけではないが、それでも中心市街地には古い建物が残る。シュタットベルケの社屋は市街地に近いところにあり、141mの火力発電用の煙突がそびえ立つ。近代的な高層建築は少ないため、市街地からは教会と煙突が目立つ。

ライトアップの色はいくつかのバリエーションが用意され、バレンタインデーには赤くライトアップされた。そうかと思えば3月の最終土曜日の夜、1時間だけ電気を消す国際環境キャンペーン「アース・アワー」の時にはきちんと消灯した。


火力発電の煙突をライトアップ。市民に好評を博していたが…(筆者撮影)

ドイツは都市景観をとても大切にする国である。というのも郷土の歴史や誇り、象徴として考えるからだ。そのため「そもそも、目立つところに煙突を建てたことがまちがいだ」という意見もある。しかし煙突のライトアップは大人気で、SNS上でも「今日はこんな色だ」と写真付きで頻繁に投稿される。地元紙でもよく記事になった。市民のお気に入りの夜景になったわけだ。ライトアップは2018年に入ってからも継続が望まれていた。

しかしドイツは「環境問題」を重視する国でもある。夜間のライトアップは野鳥にとってよくないと、環境団体が法的措置を講じ、ライトアップは取りやめになってしまった。しかしなおも、ライトアップ復活を望む市民が多く、地元紙でも盛んに議論されている。

煙突のライトアップは、シュタットベルケをより市民にとって親しみやすいものとし、煙突を含む発電所に対し「われわれの発電所」という意識を醸成した。ただ、こういう感覚は今に始まったことではない。

「われわれの発電所」という意識が鮮明に打ち出されたのが1990年代の終わりだ。当時、エネルギー市場の自由化に伴い、市はシュタットベルケを売却し完全に民営化しようと考えた。しかし、市場原理に自分たちの電力を委ねることに反対した市民によって、反対運動が起こされた。

結果的に1998年に市民投票が行われ、75%が売却反対に投票。反対を唱えていた市民運動の代表は、「これで発電所は市のものになった、つまりわれわれが所有している」という意味の言葉を残している。

都市のインフラをどのように整備し、運営していくかはさまざまな議論もあるし、電力に関しても経済や政治が複雑に絡む分野である。しかし、地方都市の市民が「われわれのもの」という感覚を大切にする背景は、ドイツの都市の歴史をたどると、ある程度理解ができる。

時代によってその質や構造に変化はあるが、地方都市は概して自治意識が強く、その上で経済活動や文化がそろった、ひとつのモジュールのようなかたちで発達してきた経緯がある。そのせいか日本から見ると小さな地方都市でも中心地はよく整備され、人でにぎわう。ドイツ語のシュタットベルケを無理やり英語に直訳すると「シティ・ワークス」となるが、この「シュタット=シティ」にはけっこう明確なイメージがあり、特別な感覚があるのだ。

地方都市にも根付く「自前主義」

やや乱暴な言い方をすると、ドイツの都市には何でも自分たちでそろえようという「自前主義」ともとれる考え方や意識を読み取ることができる。だから、発電所も自前で作った。19世紀の工業化が進んだ時代には都市人口が急増し、密集地帯が増加。だが、ただ人口が多いだけでは「都市」ではないという考え方があった。

人間集団としての社会秩序や文化を整えていく必要があり、都市のインフラの整備も必要だ。これには都市全体を見ながら、かつ長期的な視野を持ったプロの手によるパワーマネジメントとでもいうものが必要になるが、それを担ったのが当時の都市官僚だった。

彼らには完璧な社会システムを作ろうという使命感のようなものがあった。こうした理想に現実を合わせていこうとする傾向は良くも悪くも今日のドイツにもあり、諸政策にも見いだせる。脱原発と再生可能エネルギー拡大を重点にした政策も同様だ。実際、日本の「フクシマ」が契機になり、原発の割合は2011年以降、順次減少。再生可能エネルギーは増加している。だが、電気価格の高騰や供給の安定性についての課題は残るといった具合だ。

それでもこうした自前主義に支えられ20世紀初頭、人口10万人以上の町では水道、ガスなどが整えられ、市電も走っていた。電力も同様でさらに小規模な自治体でも半分程度は自前で電力供給を行っていた。エアランゲン市のシュタットベルケが今のかたちになるのは半世紀前だが、出発点は1858年から開始したガス供給にある。当時人口は1万人余りだった。

現在、エアランゲン市のシュタットベルケは500人程度の雇用を生み、さらにさまざまな地域の文化や福祉のプロジェクトにも何らかのかたちでかかわる。「ノーベル賞を多く生むドイツ科学教育の本質」でも紹介した地域科学イベントにも参加し、地元の人に施設を公開している。


設備を市民に公開する機会もある。写真は50周年記念にあわせたイベントの一幕(筆者撮影)

もともと同市は先駆的な環境都市のひとつとしても知られているが、気候保護のために、交通やエネルギーなど総合的な政策を打ち出しており、シュタットベルケも一緒に取り組んでいる。

たとえば市内のCO2排出削減といった取り組みは電力から公共交通まで、町のインフラ全体をカバーする会社だからこそ効果も高い。さらに「われわれの電力会社」であるわけだから、市民からの期待もある。そのため同社代表のヴォルフガング・ゴイス氏は「町のエネルギー長官」のような立場で、地元紙などにもよく登場する。

シュタットベルケが成り立つ条件とは?

こういった町の様子を見ると、電力会社が地元の市民からの負託を受けたような構造があり、自治の力が伴った適度に狭い範囲で政治・経済と連携することが、シュタットベルケが成り立つ条件なのだろう。「フクシマ」以降、ドイツでもエネルギーの地産地消が大きな議論となったが、100年単位でみると、もともとドイツの都市が持っていた性質をもう一度刺激したと見るほうが自然だろう。

日本でエネルギーの地産地消を推進する場合、課題も多いが、ドイツの様子からいえば、自治の力が伴う「われわれの発電所」という意識と、それを具体化する構造を地域内で作ることが、成功の大きなカギとなりそうだ。

なお、ドイツでも電力自由化に伴い、現在は利用者は電力会社を選ぶことができる。そのため他地域のシュタットベルケからセールスの電話がかかってくることも多い。同市に住むある女性もそういう電話を受けたそうだが「自分の町の電気を使うのでいりません」と、きっぱり断ったそうだ。