日本人の時間への厳しさは世界でも有名だが……

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 日本社会が時間に厳しい国であることは、自他ともに認めるところだ。そんな“国内時計の針”を引っ提げて海外に住むと、前回紹介した『なぜアメリカ人は真っ青なケーキを平気で食べるのか? その理由がほぼ判明』の「色彩感覚の違い」以上にやっかいな現場に対峙することがある。

 現在ニューヨークに暮らす筆者は、公的な遅刻を絶対にしない。日本社会においては当然のことだが、その中でも人一倍気を使うほうだと思っている。

◆セーラームーンの目覚ましが動いてくれなくて…

 小学生だったある日の朝、4つ下の妹が愛用していたセーラームーンの目覚まし時計が、月に代わってお仕置きしてくれなかったことで大寝坊をかまし、それによってもたらされた大失態が、20年以上経った今でもトラウマになっているためだ。

 当時暮らしていた小さなアパートでは、家族総出でこの美少女戦士に頼りきっており、その日は一家もろとも真夜中の「戦士の電池切れ」に屈する。

 通っていた学校には朝礼があり、よりによってその日は週に1度の全校朝礼。学校近くの工場で働く父に車で送ってもらい、大急ぎで講堂に向かったのだが、10分遅れでギィと開けたそのドアの向こうには、校長先生の話に集中できない300人分の冷たい視線が待ち構えていた。

 さらに、教室に戻った際、母親が超速でこしらえてくれた弁当はしっかり持ってきていたのに、肝心のランドセルを父親の車に忘れてきたことに気付き、勇気を振り絞って担任に白状した。

 すると「何しに学校へ来た」と美少女戦士に代わってお仕置きされ、焦って思わず「弁当食べに来た」で返すと、今度は幼気な子どもには閻魔大王でしかなかった当時の教務主任に担任に代わってお仕置きされ、見事に純度100%のトラウマが出来上がった次第である。

 前置きが長くなってしまったが、そうした日本人の時間的感覚や今後の課題について、ニューヨークとの比較から考えていきたい。

◆「少し遅れて行くくらいがマナーだ」

 それぞれの国や地域の時間的感覚が如実に表れるのは、「公共交通機関」だ。中でも、鉄道は分かりやすい。

 日本では、分単位で設定された通りの時間で電車が動き、遅れれば遅延証明書に人が群がる。毎朝同じ電車に長時間の無言で揺られれば、“顔見知りの他人”に不思議な情すら湧いてくる。15秒単位で組まれる新幹線のタイムテーブルを、超時短清掃で下支えするスタッフの姿には、今までに何粒のサブイボを立たされたか知れない。

 一方、ニューヨークの地下鉄を乗りこなすのに必要なのは、分でも秒でもない。運と光と風だ。

 ニューヨーク市を走る地下鉄を運営するMTA(Metropolitan Transportation Authority)が昨年発表したレポートによると、2016年に発生した遅延は、60,274件。単純計算で、1日165件の遅延が発生していることになる。

 その度に車内に流れる「遅れている」なる男性の録音アナウンスは、元気も歯切れも無駄によく、そもそも時刻表が存在しないため(いや、厳密には存在はしているらしいのだが、駅のどこにも掲示はない)、何を基準に遅れていると言っているのかも分からない。最近になって、ようやく電車の待ち時間を示す「電光掲示板」が駅に設置されるようになったが、それらは「あと1分」を1秒にも10分にもさせる力を秘めている。

 その結果、ニューヨーカーが最後に頼るのは、ホームから線路に身を乗り出して見る電車の「光」と、到着間際の電車がホームにもたらす「風」。自分の前髪がそよぎ始めたら、電車到着まであと30秒の辛抱だ。

 今回、ニューヨークに住む外国人70人に「公的な待ち合わせ時間に5分遅れたら謝るか」と聞いたところ、「謝る」と回答したのは43人。その時間が10分になると、61人が「謝る」としたのだが、中には「“謝る相手”が現場にいればの話だが」、「少し遅れて行くくらいがマナーだ」という条件や言い訳を添えるニューヨーカーもおり、ふと多民族都市で生きる難しさと面白さを垣間見た気がした。