2017年12月31日。東池袋中央公園で行われた炊き出しでは、医療相談も受け付けていました(写真:リディラバジャーナル)

2011年、ホームレスに関する一つの論文が発表され、注目を浴びました。


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タイトルは「東京都の一地区におけるホームレスの精神疾患有病率」(日本公衆衛生雑誌)。精神科医・森川すいめいさんら5名による論文です。

森川さんらは、2008年12月30日〜2009年1月4日に、JR池袋駅(東京都豊島区)半径1キロ圏内で路上生活を送る人を対象に調査を実施。協力を得られた80人のうち、62・5%にあたる50人が、精神疾患があると診断されました。

それまでも、ホームレスの中に精神疾患や障害、知的障害のある人がいることが支援者などを中心に指摘されてきましたが、この論文の発表を機に、改めて注目を集めるようになりました。

その後、ホームレスに陥った知的障害者のライフコースから、何が原因なのかを検討した研究。精神、知的障害のある人がホームレスとなった原因や、抜け出せない理由と障害の関係性を調査した研究など、障害とホームレスについて調査した論文の発表が続いています。

どのような経緯で、知的障害や精神障害のある人々がホームレスとなっているのでしょうか。実際にホームレス生活を送っていた障害のある方への取材や、支援者らの話を基に考えていきます。

一度の失敗で親に家を追い出されて路上生活へ

「父との思い出は、恨んでいることはあってもいい思い出はありません。(母親と)離婚してから、会いたいとも思いませんでした」

そう語るのは、なべさん(仮名)、45歳。精神障害があり、20年近く路上とカプセルホテルなどを行き来するホームレスでした。


ホームレスになった経緯を語るなべさん。撮影許可を求めると「横顔ならいいですよ」(写真:リディラバジャーナル)

ここからは少し長いですが、なべさんの語りを引用します。

地元は、東京の足立区というところです。小学校1年生のときに頭を手術して、開頭されました。生まれつきの病気です。その関係で、てんかんの発作があります。(学校生活での制約は)プールとかマラソンとかが駄目ということでした。毎月病院に行って診察を受け、薬を毎日飲んでいて、脳のCT検査を年に2回受けていました。

中学ぐらいまで、両親がいました。自分は5人きょうだいのいちばん上です。中学生のときに両親が離婚をしました。

母親のほうに子どもが5人引き取られて母子家庭になり、生活保護を受けて都営住宅に入りました。中学に行ってはいましたが、自分はそういうのがきっかけで人付き合いが苦手になりました。

同級生からいじめられるようになった

離婚してからですかね……。

母子家庭になったときに、自分の病気の影響もあるのかもしれませんが、周りの同級生からのいじめが出てきました。

学校も、もうだんだんと休むほうが多くなって登校しなくなり、登校拒否みたいになってしまいました。1年生のときは大丈夫で、2年生から半分ぐらいになりました。3年生になったときに、そこの中学校は障害者用の特別な教室(現在の特別支援学級)があり、そこに移してもらいました。家庭訪問で、母親と自分がいじめや病気のこと、知恵が遅れているとか、そういう話をして。それで3年の1学期のときに移ることに。そこで1年間頑張り、もちろん出席もしていたので、卒業できました。

卒業後は、高校に行きたいという思いはありました。けれど母子家庭ですので、弟や妹のために自分が何とかしなくてはいけないという思いがありました。進路は、担任の先生から小さい工場での仕事を紹介され、見学や体験を卒業前に1カ月ぐらいやりました。

社長さんもいろいろと理解してくれていて、仕事ぶりとか見てもらって真面目にやっていると評価をいただきました。

中学卒業と同時に、4月からそこに入社が決まりました。自宅から近く、歩いて行ける範囲の会社で、だから交通費の負担もかからなかったです。
接着剤を使う会社でした。主にシンナーを使っていました。自分はシンナー、アルコールも駄目みたいです。

体験実習のときから少しきついなとは思っていましたが、みんなから「慣れるよ」「慣れるよ」と言われて。「慣れるのかな、でもこれきついな」と思っていました。でも社長さんから頑張っていると言ってもらい、少し頑張ってみようという思いで入り、半年頑張ったら倒れてしまいました。


なべさんの地元、足立区。母親やきょうだいと暮らす都営住宅から職場に通っていました(写真:リディラバジャーナル)

頭がバー、ポーっとしてしまって。もともとアルコールを受け付けない人がアルコール1杯飲んでもヤバイみたいに、シンナー苦手だから薄くても……。マスクはしていましたが、やはり敏感な人はそうなるようです。

病気があるのも関係したと思います。それで倒れて、かかりつけの病院で検査などしてもらうと問題ないということで、少し休んで、仕事に復帰しました。

けれども、今後また倒れたらどうしようかと不安があり、1年で自分から「体調のことを考えると難しいです」と退職しました。社長さんも病気のことを知っていたので、「無理しないでね」と。

(退職するまで)給料は月12万ぐらい。生活保護費と同じぐらいの金額だったと思います。それを、封を開けずに母親に渡して、そこからお小遣いをもらったり、貯金をしてもらったりしていました。

会社を辞めたときに、ハローワークで遠くないところの仕事を探しました。荒川区の会社を見つけて、勤め始めました。(退職から)1カ月半ほど間が空きましたが。やはり中卒というとなかなか(仕事を見つけるのが大変)でした。その当時は中卒でも結構採ってくれるところがありましたが、それでもほとんどが高卒でしたね。

「給料渡すので退職してください」

今度は同じ製造ですが職種が少し変わり、物をつくるほうでした。流しの蛇口とか、トイレで(水を)ジャーと流すときのノズルとかです。組み立てをやっていました。組み立てをして、仕上げをして発送までをする力仕事のような感じです。

全然知らなかったのですが、その会社の経営が赤字らしく、社長さんから「申しわけないですけど、給料渡すので退職してください」という話になり、「なぜですか」と聞くと、会社の経営が苦しくなったということでした。

会社が倒産して驚きました。「ここであれば勤まったのに」と思いました。

本当についてないことばかりです。

自分は頭の病気のこともあるので、今度は何が合うか考えました。それで、体力は使いますが、荷物を運ぶ、仕分けする作業が合うと思いました。ただ自分は運転免許を持っておらず運転はできません。ですが、台車を押したり箱詰めをしたりすることは大丈夫だろうと考え、大手の運送会社に行きました。

そこも探して面接して、1カ月ぐらいしてから決まり入社しました。

18歳ぐらいですから残業を少しだけ、1時間でもやらせてもらうことがありました。

そこは5年ぐらい勤めて、そうするともう(年齢も)20いくつになりますでしょう。そのとき失敗をして借金をつくってしまいました。それで会社をクビになりました。

会社の先輩に、結構お金がかかる接待のようなものに誘われました。スナックですね。何回か行ってしまい、給料もその当時手渡しなので、給料を(母親に)渡さずに使ってしまったこともありました。

挙句の果てに足らないとき借金をつくってしまいました。会社の社会保険がありましたので、(借金先に)それ(保険証)を見せてしまい、勤め先がばれて会社に取り立ての連絡が入ってしまいました。それと自分の家に取り立てが来たときに、母親やきょうだいにもばれて「家出て行け」と言われて。

それがきっかけで路上(生活)になってしまいました。

会社を解雇されていきなりホームレス

金銭面での失敗で、会社を解雇されてしまったなべさん、それをきっかけに、いきなりホームレス、それも路上生活となりました。下のきょうだいの学費はなべさんの給料から出していました。きょうだいはなべさんを擁護することがなかったのかと尋ねると、なべさんは一言。

「もともと、きょうだいとはあまり仲が良くなかったからですね」

母親と離婚後、別に暮らす父親もいましたが、冒頭にあるように父親にはいい思い出がなく、父親に頼るという選択肢はありませんでした。こうしてなべさんは、家族という「資産」を失ってしまったのです。

なべさんを例にとりましたが、これはなべさん固有の問題ではありません。障害がある人がホームレスとなるとき、家族という「資産」の問題は大変重要といいます。

精神疾患や障害のある人々を支援する「べてぶくろ」(東京都豊島区)。ここは、精神疾患のある方を対象としたグループホームも経営しています。べてぶくろのソーシャルワーカー・木村純一さんも、障害のあるホームレスと家族の問題についてこう語ります。

「生まれ育った家庭の苦労が大きいと思います。うちのグループホーム、路上(生活)を経由して入る方が多いんですが、その多くの方が家庭の中で何らかの虐待があったり、ネグレクトがあったり。そういった、家庭崩壊みたいなところからの人は多いんじゃないかなと思います。例えば、連休がある、正月があるといって、実家に帰る人ってほとんどいなくて。ホームで過ごす人が圧倒的に多いなと思いますね」


障害のある人を支援する中で感じたことを語る木村さん。なべさんも信頼を置いています(写真:リディラバジャーナル)

知的障害と精神障害では家族との関係が違う

また、障害者と家族の関係について、木村さんは私見と断りつつ印象を述べます。

「障害のことでいうと、知的障害というのは産まれながらの障害である中で、親が責任を感じて家族会というのがすごく強いんですね、昔から。精神障害はその逆で、家で散々親や家族に迷惑をかけて、追い出されることも。うちのグループホームでも、家族のやっている自営業の手伝いに出てもいたけれど、そこでもトラブルを起こし迷惑をかけて、勘当されてしまったという精神障害の方がいます。連絡先もわからないし、(知っていても)取りづらいという方も多いですね。家族の繋がりや、家族会というテーマで喋ると、そんな違いがあるんですよね」

長年貧困問題、ホームレス問題を研究してきた日本女子大学名誉教授・岩田正美さんも、家族の影響について言及します。

「路上に珍しく、知的障害のある女性がいたことはあるんですけど、その人は(障害)年金をお兄さんに使われてしまった。家族がいることが、かえって重しになってしまう人もいるのよ」

こちらは家族はいても、それが「資産」とならない。むしろ金銭という「資産」を奪われてしまう。そんなケースです。


障害がある人々がホームレスになるとき。

上の図でわかるように、その障害が主要因となっているのではありません。1章で紹介したケースと変わらず、家族という「資産」を欠くこと、または家族が「資産」となり得ないこと。それが大きく影響してるのです。

今は大丈夫でも…障害者の高齢化とホームレス問題

では、今家族という「資産」を持つ、障害のある方々は安心できるのでしょうか。

国が5年に1度行っている在宅障害者の実態調査(生活のしづらさなどに関する調査)。最新のデータである2011年の調査に、気になるデータがありました。65歳未満の人に日中の過ごし方を尋ねたところ、最も多かったのは「家庭内で過ごしている」との回答。複数回答が可能な設問ですが、約4割の人がこう答えています。

もちろん、障害があるからといって全員支援が必要というわけではありません。ですが、こうした障害者が、親やきょうだいといった家族を亡くした後どう生活していくのか。

極端な話に聞こえるかもしれませんが、高齢化が進む中で障害者、中でも知的障害、精神障害がある人が貧困やホームレス状態に陥らないためにも、社会全体で考える必要があります。

【まとめ】

・障害者も、家族という資産を欠くことが貧困、そしてホームレスに陥る際、大きく影響している。

・今、家族がいる障害者は安心かというと、高齢化が進む中親やきょうだいを亡くし孤立する恐れもある。

・頼れる家族を亡くした障害者の支え方について、高齢化が進む中障害者が貧困やホームレス状態に陥らないためにも、社会全体で考える必要がある。

【問いかけ】

・今後、障害のあるホームレスは増えると思いますか。それとも減ると思いますか。

家族をはじめとする人間関係の重要さ

【編集後記】

今回、障害がある人がホームレスになるとき、何が起こっているのか。どんな「資産」を欠いているのかを見てきました。そうすると見えてきたのは、障害の有無に関わらず、家族という「資産」が貧困、ホームレスになってしまう際大きく影響しているという事実でした。

改めて家族をはじめとする人間関係の重要さを実感します。

そして、高齢化が進む中、家族という「資産」を失う障害のある人はどんどん増えるでしょう。そうした障害者をどう支えていくか。ここにもまた、別の社会問題があります。

次回は、障害がある人がホームレス、路上生活を送るとき、一体どんな苦労・困難があるかを見ていきます。

みなさん、もしあすからネット環境にない状態で路上生活を送らねばならないとしたら、いきていくためにどうやって情報収集しますか?

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