サッカー元日本代表の森岡隆三はJ3で監督として2シーズン目を迎えようとしている(撮影:今井康一)

2002年、日本中が熱狂に包まれた自国開催の日韓W杯(ワールドカップ)。当時、トルシエジャパンの大黒柱の1人だったのが森岡隆三だ。だが、グループリーグ1戦目のベルギー戦で負傷交代、キャプテンとしても活躍していた森岡にとってはあっけない幕切れとなった。
2003年以降は代表からも遠ざかり、2006年オフには清水エスパルスから京都サンガに移籍し2008年に現役引退。あの熱狂から16年、40歳を過ぎた森岡はJ3ガイナーレ鳥取で監督就任2年目のシーズンを迎えようとしている。 

前編:『記憶を抹殺したい日韓W杯、元日本代表の述懐』

「1月17日から始動したけど、少し雪かきしたらまた雪が降ってグラウンドが使えなくなる。移動を含めて困難は多い。それを乗り越えないとJ2昇格はない。今年が勝負です」

元日本代表キャプテン・森岡隆三監督は鳥取で新たな苦難の道を歩んでいた。

僕はサッカーに携わらないと生きていけない

2008年末で現役生活にピリオドを打った元日本代表DFがセカンドキャリアとして選んだのが、指導者の道だった。

「2002年日韓ワールドカップでの天国と地獄を含めていろいろあったけど、やっぱり僕は何でもいいからサッカーに携わらないと生きていけない」と悟った末の選択であった。

2009年の京都トップチームコーチ就任から始まり、加藤久(前J1ジュビロ磐田GM:ゼネラルマネージャー)、秋田豊(現解説者)、大木武(現J2FC岐阜監督)という3人の指揮官の下、コーチとしてあるべき姿やノウハウを学びながら、Jリーグの監督になるために必要なJFA公認S級ライセンスを取得する。当時の教え子には日本代表の久保裕也(ベルギー=ヘント)やリオデジャネイロ五輪代表の原川力(J1サガン鳥栖)ら若手もいて、彼にとっては新たな発見の連続だった。

2014年は業務提携していたJFL(4部に相当)の佐川印刷京都のヘッドコーチを務め、京都に復帰した2015年、森岡監督はU-18(ユース)監督に就任。ついに監督業の一歩を踏み出す。2年目の2016年にはユース年代最高峰の大会である「高円宮杯プレミアリーグウエスト」でガンバ大阪ユースを率いていた宮本恒靖監督(現U-23監督)と対戦。

「フラット3対決」として注目を集めたが、惜しくも2戦2敗。本人も悔しさを味わったようだ。それでもJクラブのアカデミーが参加する「Jユースカップ」では3位に入り、大きな手ごたえをつかんだという。

京都の体制が急に変わり、契約満了となったのは、まさにそんな頃。指揮官としての仕事にやりがいを感じ始めていた矢先の出来事で、森岡監督も自らの身の振り方に悩んだ。

「他のJクラブからも、いろんなお話を頂きましたが、ガイナーレで強化部長を務めているトモ(吉野智行=元J1浦和レッズ)から『ウチで監督をやらないか』という誘いを受け、心が動きました。トモとは前々から面識があり、サッカー観も合う。ガイナーレは2011年から2013年までJ2にいたけど、その後はずっとJ3にいて、一からチームを作り上げていかないといけない。トモの熱意とクラブの掲げる『強小』という言葉にも惹かれました。小さくても強い、ジャイアントキリング! それはまさにサッカーの醍醐味の一つですから」と彼は言う。

とはいえ、2014年が4位、2015年が6位、2016年が15位とJ2昇格圏内の2位以内から年々遠のいているチームを立て直すのは容易ではなかった。最大のハードルが、地理的条件の難しさだった。

ガイナーレは鳥取市の「とりぎんバードスタジアム」がメインのホームスタジアムで、米子市の「チュウブYAJINスタジアム」がセカンドホームとなっている。が、練習場は米子市内にあるため、とりぎんバードスタジアムで試合をする場合は約100kmの距離を片道2時間かけて移動しなければならない。

アウェーも含めた移動距離の長さ、その負担は想像を絶するほど大きく、選手たちには疲弊の様子が見て取れたという。アウェーに至っては、一番近いのが約200厠イ譴紳膾紂その次が480厠イ譴針牟綵というから、いかに大変かよく分かる。


森岡隆三(もりおか りゅうぞう)/サッカー指導者。元サッカー選手。ポジションはDF(ディフェンダー)。神奈川県生まれ、桐蔭学園高校卒業後、鹿島アントラーズ入団。清水エスパルス、京都サンガを経て2008年現役引退。日本代表ではフィリップ・トルシエ監督体制下でフラット3システムの中心選手として活躍した(撮影:今井康一)

「人工芝で練習しているJ3のクラブがいくつもある中、天然芝のグラウンドを使えるだけでも恵まれているのは分かっています。だけど移動負担は物凄く重い。

極端な話、7時間くらいの移動はそこらへんのコンビニに行くような感覚になっていますから(苦笑)。

昨年、一番遠かったのが12時間かかった栃木。朝5時半に出発して、17時45分頃に到着しました。当然練習は行わず、コンディションを整えるのに途中のサービスエリアでストレッチをするのが精一杯。次の日が17時キックオフのゲームだったので、朝公園でボールを蹴ってから本番に挑みました。結果は、1-1のドロー。選手たちはホントによく頑張ったと思う。ただ、それじゃあシーズン通しての結果は残せない」と森岡監督はしみじみ語る。

昨季J3で最下位の17位に沈んだことを真摯に受け止め、自分自身の力不足を認識したからこそ、「勝てる体制を作る必要性」をクラブ側に直談判したのである。

今シーズンは現場環境が好転

その結果、今季からとりぎんバードスタジアムでのホームゲームを含め、公式戦前日は全て前泊できることになった。移動手段もバスでは個人個人のコンディションニングが難しいため、できるだけ鉄道を利用する方向にシフトするという。この変更だけでクラブにとっては数百万〜1000万単位の負担増となるが、塚野真樹社長、そして「ジョホールバルの歓喜」で決勝点を挙げた元日本代表FWの岡野雅行GM、この2人の代表が「何とか現場にベストな環境を整えてやろう」と努力したことで、劇的な環境の変化が実現したのだ。

「今年は絶対に勝つよ!」

森岡監督もこう語気を強めている。

「2018年の目標は勝ち点50、総得点50、総失点30。2017年は勝ち点21、総得点31、総失点63だったから、いかに高い目標設定か分かるでしょう。僕自身も去年は就任1年目で『クラブの財政事情を考えたらしょうがない』とどこかで逃げ姿勢を見せていたかもしれないけど、2年目の今年は同じことを繰り返してはいけない。『勝つ』と公言した以上はやらないといけない。そういう状況にあえて自分を追い込みたかったんです」

鳥取県は国内最少人口の県。県庁所在地の鳥取市が20万弱、第2の都市・米子市が15万弱と非常に規模が小さい。1試合あたりのホームゲーム平均観客動員数も2015〜2017年の3シーズンは1900、1800、1500人台と減少傾向を辿っていて、年間運営費も4億円台とかなり財政基盤は脆弱だ。

森岡監督が現役時代を過ごした鹿島アントラーズや清水エスパルス、京都サンガとはかけ離れた状況だが、だからこそ、やれることは少なくない。単にピッチ内で選手たちを指導して、勝てるチームを作るだけにとどまらず、町に愛されるようなクラブにすること。それを今、彼は思い描いている。


左からJ2のレノファ山口FC、カマタマーレ讃岐、徳島ヴォルティス、愛媛FC、ファジアーノ岡山とJ3のガイナーレ鳥取の計6クラブで連携した企画は今年も開催される予定だ(撮影:今井康一)

「もともとガイナーレは教員チームが母体。塚野社長が2006年にクラブ化して現在まできています。その当時から財政規模が劇的に拡大したわけではないし、今は観客動員も伸びていない。ガイナーレにも熱いサポーターがいて、嬉しいことに遠いアウェーの地まで毎回来てくれる人もいますけど、米子市民が全てガイナーレを知っているかと言えば、そうではないのが現状です。鳥取市にあると考えている人もまだまだ多いと思います。そういう状況を自分がいる間に少しでも変えて、ガイナーレの緑色が目に見える形になっていくと嬉しいですよね。

清水にいた頃、ホームスタジアムの日本平(IAIスタジアム日本平、通称アイスタ)に行く途中にある近所の家には必ずエスパルスの旗が立っていましたけど、あれはすごくいい光景だったなと今も感じる。そうなるように少しでもこの町で努力したいと思っています。

簡単ではありませんが、クラブの掲げている『強小』を目指し体現していくことで、ガイナーレはもっと市民に愛されるクラブになると信じています。サッカーを通して日々の生活を楽しんでもらいたい」と森岡監督は神妙な面持ちで言う。

そうやってガイナーレで監督手腕を磨き、いつの日にかJ1や日本代表といった高いレベルの場所で指揮を執ってほしい。彼にそう期待を寄せる人も少なくないはずだ。

「自分で考えられる選手」を育成したい

「自分はまだ監督として実績が少ないので、高校時代の恩師(李国秀=現桐蔭学園監督)や、清水時代の恩師であるオジー(オズワルド・アルディレス)が言っていたことを書き出したり、京都で現役最後の頃からメモしていた内容なども思い出しミーティングや指導の参考にもしています。最初は全て真似事からのスタートでしたね。つい多くの注文をつけたくなる時もありますが、チームの方向性はしっかりと示しながらも、一番大事なのは僕らがオジーから学んできたように自分で判断する力をつけさせることだと思います。

自分がやっていたセンターバックにしても、2m近い屈強な選手は日本には滅多にいない。元イタリア代表のフランコ・バレージやアルゼンチン代表のハビエル・マスチェラーノ(中国=河北華夏)みたいに賢く駆け引きのできる選手を目指して育成していく必要があると思います、というか好みですね(笑)。

サッカー観はさまざまであれ、日本サッカー界もそろそろ『ジャパンウェイ』を明確に定める時期にきているのではないでしょうか。そのためにも次期代表監督は日本人が指揮を執るべきだと僕は考えますね」

自国開催の2002年日韓ワールドカップを経験した人間の中からそういう存在が出てくれば理想的だ。森岡にはその担い手の1人となるべく、2018年J3で大躍進を遂げてほしいものだ。

(文中敬称略)