きれいな歯並びは初対面で好印象を与えますが…(写真:kokouu/iStock)

春は出会いの多い季節。歯並びは第一印象を左右すると言われています。新生活を前に歯列矯正をお考えの方も多いのではないでしょうか。

日本以上に矯正が盛んなアメリカでは、好印象を与えるには「きれいに整った輝く白い歯」の見えるスマイルが必須と言われています。欧米人のくちびるのめくれ方は日本人よりも大きいので、歯が相手によく見えるという事情もあるのでしょう。

歯列矯正は治療期間も治療費もかかりますが、かみ合わせのバランスを改善し、将来の虫歯や歯周病リスクを軽減できる「究極の予防歯科治療」とも言われています。しかし、正しく理解しないととても残念なことになりかねないので注意が必要です。今回は、実際にあった例を紹介します。

小学校低学年から矯正をスタート

田中宏子さん(仮名)が初めて当院にやってきたのは大学1年生のとき。そこで「矯正したはずの歯並びが悪くなった」という相談を受けました。聞くと宏子さんは子どものころから歯並びが悪く、小学校低学年から地元の歯科医院で歯列矯正をしていたそうです。最初は小さすぎるあごを広げるため、取り外し可能な入れ歯のような器具の装着からスタート。次に骨の成長を抑えるためのヘッドギアのようなものをつけ、その後永久歯に生え替わったあとは、歯一つひとつに固定式のブラケットをつけ通常のワイヤー矯正に移行したといいます。

矯正装置が外れたのは高校2年生で、それから1年間は後戻り防止の保定装置もつけました。つまり、歯列を治すために11年間も頑張ったのです。その間は虫歯や歯周病にならないように注意しなければならないうえ、思春期には矯正器具のせいで嫌な思いもしたそうですが、そのかいあってきれいな歯並びを手に入れました。

宏子さんはその後、大学入学をきっかけに実家を離れ上京しそのまま都内に就職。そうして定期検診には行かなくなったのでした。

そして宏子さんが帰省したある時、お母さんから「あなた、歯並びガタガタになってない?」と衝撃の一言を告げられたのです。確かに、以前と比べ下の前歯が少しねじれ、かみ合う上の前歯もやや前に出てきている。あんなに苦労したのになぜ……と宏子さんは絶望した様子で当院を受診したのでした。

歯並びがまた悪くなってしまった理由は…

歯列矯正をしたにもかかわらず再び前歯がガタガタになってしまった原因を検査していくと、左右の親知らずがほぼ真横に埋まっていることがわかりました。レントゲンで見ると、90度曲がって手前の正常な生え方をしている歯にぶつかっていました。


親知らずが90度傾き手前の歯を押している状態(写真:当院で撮影)

親知らずは歯列の中で最も奧に位置する、最後の最後に生えてくる永久歯です。平均して10代後半から20代くらいに生えてきます。親の管理が行き届かない年齢になってから萌出(ほうしゅつ)するので、親知らずという名前になったとも言われています。その親知らずが骨や歯肉の中で真横や斜めに埋まり、手前の歯をグイグイ押すせいで歯列のアーチが崩れ、前歯がデコボコになることもあります。宏子さんはこのケースでした。

もちろん歯並びが悪くなる原因は親知らずだけとは限りませんが、定期検診にしっかり通っていれば、最適なタイミングで抜歯してきれいな歯並びをキープすることはできます。転居して定期検診を怠ったせいで、残念な結果になってしましました。

宏子さんは結局、親知らずを抜歯しその後取り外し可能なプレート矯正を半年間行い、元のきれいな歯並びを取り戻しました。

必要だとわかっていても、定期検診になかなか時間が割けない人もいるかと思います。そうした人はトラブルが起きる前に親知らずを抜いておくという手もあります。欧米では「ウィズダムトゥースアウト」といい、一般的に行われています。歯列矯正は10代で始める人がほとんどですが、その時点ではタマゴの状態(歯胚)で静かに眠っている親知らず(ウィズダムトゥース)を、前もって抜歯するという処置です。

夏休みに小中学生の子どもを親が口腔外科に連れていき、抜歯してもらう光景はアメリカではよくあります。なぜ日本より積極的に親知らずが抜かれているかというと、アメリカは訴訟社会ですから、「親知らずが出てくることでせっかく並んだきれいな歯列がガタガタになったじゃないか! これを予想できなかったのか」なんて訴えられてしまうからです。こうした事情から、アメリカの矯正担当医は訴訟リスクを回避するために、親知らずの抜歯を積極的に進めるのです。

対症療法が中心の日本の歯科診療とは大きな違いを感じます。日本では将来のトラブルに備え「骨を削って親知らずを抜きましょう」と伝えても理解してもらうのは大変なのです。ただ、せっかく苦労して手に入れた歯並びがまた歪んでしまうのは悲劇ですよね。そのため、私の院では、積極的に患者さんにウィズダムトゥースアウトをお勧めしています。

そもそも、なぜ歯並びが悪くなるのか

歯列矯正が必要な状態を例えるなら、小さなソファーに無理やりたくさんの人が座ろうとしている状態です。斜めに座ったり誰かのひざの上にお尻を置いたりしなければならないのです。歯並びが悪い場合、その人がまだ育ち盛りで骨が軟らかければ「ソファーの大きさを広げる」ように矯正でスペースを作ります。しかし、成長が止まってしまった大人の場合はそうはいきません。大人の場合、永久歯の本数を減らして「ソファーに座る人を減らす」のです。

ただ、予防歯科の観点から言うと、やはり矯正だけでは不十分です。あごのサイズからみて必要のない親知らずがおかしな埋まり方をしていた場合、しかるべきタイミングで親知らずも抜いておくことをお勧めします。

最近では恐怖心や不安・緊張感を最小限に抑制し快適かつ安全に治療を施行するために、胃の内視鏡検査にも用いられる「静脈内鎮静法」を行うクリニックもあります。寝ている間に4本の親知らずを一気に抜歯することも可能で、腫れが引くまでにかかる時間、いわゆるダウンタイムを最小限にすることもできます。

また、親知らずはそもそも狭い窮屈なスペースで成長するので、歯根がおかしな曲がりかたをしていることがしばしばあります。下あごの中を走行する下歯槽神経周囲の硬い骨に、歯根が当たり曲がって接触しているケースや、2股に分かれた歯根が神経をまたいでいる難しいケースもあります。

抜歯には高度な技術が必要となるので、経験豊富な歯科医に任せるのが安心です。最近では2次元のレントゲンだけでなく3次元のCTが一般化されましたので、事前にかなりの危険部位の情報を得ることができます。

親知らずが最初からない人もいる

余談ですが、親知らずが最初からない人もいます。最近では親知らずどころか前歯や小臼歯も足りない子どもも見掛けます。これには、人の骨格が時代に合わせて変化していることが関係しています。

顔の骨格に大きな影響を与えるのが食生活です。最近は軟らかい食べ物が増えて、硬い食べ物をよく咀嚼して食べる機会が減りました。一昔前はせんべいのような、しっかりかんで軟らかくしないとのみ込むことができないような食べ物が中心でしたが、現在は麺類やヨーグルトのようにほとんどかまなくてものみ込める軟らかい食べ物があふれています。

こうした変化に伴い、使わない骨や歯は退化しました。かつて人間が四つ足歩行から2足歩行になって尻尾の骨が退化したように、硬い食べ物を食べる必要がなければ、それをすりつぶすための奥歯や、それを支えるあごの骨は不要になってくるのです。

そのため、親知らずが出てくるスペースを失って埋まっていたり、そもそも親知らずが最初からなかったりすることもあります。最近、シャープなあごをした若者が増え、昔のようにエラがはった四角い顔の人が少なくなったように思いますが、それもこうした骨格の変化の影響でしょう。人間は進化しているのですね。