「目が覚めたらブリティッシュ・アクセントになっていた、ある米国人女性の奇妙な症例」の写真・リンク付きの記事はこちら

「わたしの話し方は、メアリー・ポピンズのようです」。

これは、テキサス州出身でアリゾナ州に住む45歳の画家、ミシェル・マイヤースが、自身の陥った極めて特殊な状況について、米テレビ局の取材に答えて用いた言葉だ。

彼女はその数日前、ひどい偏頭痛に襲われて眠りについた。その後、目を覚ますと、一見、説明がつかないことが起きた。これまでの人生で一度も米国を離れたことがなかったにもかかわらず、突然、とても強いブリティッシュ・アクセントで話し始めたのだ。

少し冷淡な英国の家庭教師、メアリー・ポピンズを引き合いに出したのはこのためだ。「悲しいことです」と彼女は説明した。「自分が違う人間になったような気がします。7人の子どもたちの名前を、これまで発音していたように呼べないのです」。

ミシェルを診察した専門家たちは、彼女が嘘をついているわけではないと確信している。実際、非常に珍しい神経機能障害である、「外国語様アクセント症候群」と診断した。文献によると、「本人の母語とは異なり、それまで習得したことも、そのアクセントに触れたこともない外国語のような言語パターンをみせる、医学的状況」だという。

「目が覚めたらブリティッシュ・アクセントで話すようになっていた」と話す女性、ミシェル・マイヤースさんを取り上げた米国のテレビ番組。

外国語様アクセント症候群は、英語の「Foreign Accent Syndrome」の頭文字を取って、「FAS」とも呼ばれる。あまり知られていない病気だ。1907年にフランスの神経科医、ピエル・マリーによって初めて公にされた。

彼の論文は、「脳左半球の損傷により構語不能となった患者たちの紹介(Présentation de malades atteints d’anarthrie par lésion de l’hémisphère gauche du cerveau)」と題されている。パリのある患者は、フランスとドイツの国境を一度も訪れたことがないのに、突然、アルザス地方のアクセントで話し始めたという。

第二次世界大戦中のフィンランドで、「ドイツ人」になった女性

それから今日まで、同様の機能障害は約60症例、文献に記録されている。多かれ少なかれ、世界中で見られる疾患だ。最も有名な症例は、第二次世界大戦の時代にさかのぼる。爆撃を受け、破片が頭に当たったノルウェーの女性に関するものだ。

この症例を扱った神経科医G・H・モンラッド=クローンは47年、学術誌『ブレイン』にこう記した。

「41年9月6日、オスロ空襲の際、30歳の女性アストリッド・Lは破片に打たれ、道の外に放り出されて、斜面を約8m滑り落ちた。彼女はすぐに救護されたが、脳の左前頭葉の領域に広く損傷を受け、4日間の意識不明に陥った。その後、意識を取り戻したが、完全な失語症にかかったようだった」

論文はこう続く。

「わたしは事故の2年後に彼女を訪ねた。彼女は流暢に話すようになっていた。しかし、明らかに外国語のアクセントだった。ドイツ語かフランス語のようだった。彼女はいつも店員からドイツ人と間違えられると嘆いていた[編注:当時、フィンランドはナチスによって完全に占領されており、ドイツ人はよく思われていなかった]。同胞たちから商品を売ってもらえないこともあった」

そして、こう締めくくられていた。

「彼女はノルウェーから一度も出たことがなく、外国人と関わりをもったことも決してなかった」。

途中で生じたこれらの問題を別にすれば、事態はハッピーエンドで終わる。患者は息子を出産し、残りの人生の間、「健康を享受し続けた」のだ。

患者は発作のあとに言語を“習得”した

先述のように、科学コミュニティはこれまで、約60の外国語様アクセント症候群の症例を記録してきた。アストリッドの症例のほかには、ローズマリー・ドーアの例がある。

ドーアはウィンザー出身のカナダ人で、2008年、発作のあとに目を覚ますと、ニューファンドランド島(彼女は一度も訪れたことがなかった)のアクセントで話したという。「『that』、『this』と言う代わりに、『dat』、『diss』と発音し、『dog』ではなく『doog』と発音します」。

また、アラン・モーガンの症例もある。80歳の英国人で、12年、発作により意識を失ったあと、強いウェールズ・アクセントで話すようになった。

さらに、英サセックスの看護士、ジョージ・レイノルズは、外傷性脳損傷を受けたあとで、なんとイタリア語のアクセントを“習得”したという。

すべての患者に共通する「体験」

このように珍しい機能障害の神経生理学的な起源を解明することは簡単ではない。イタリア神経学会に所属し、研究者の育成に特化した研究教育機関であるパヴィア高等大学校の教員を務めるステファノ・カッパは、「確実にわかっているのは、すべての患者が発症前、脳に外傷や発作などによる損傷を受けていることです」と話す。「言葉や文章を話しにくい状態から完全な失語症まで、様々な段階がありますが、どれも言語障害を伴うことが多いのです」

外国語様アクセント症候群の場合はさらに特殊だ。専門家はこの機能障害について、「言語の要素のひとつである声調、つまり文章や言葉のもつリズムと発音だけを変化させるのが特徴です」と話す。まさにアクセントだけが変わるのだ。

「しかし、声調の変化が外国語の特殊なアクセントを思い起こさせるのはまったくの偶然です。だからこそ、この障害は非常に珍しいと言えます。基本的にはごく限られた部分の機能だけが損なわれ、しかも特別な条件がそろったときにのみ、起こります」

外国語様アクセント症候群を判断する基準は3つあるという。

「まず、脳が損傷を受けても、言語能力が完全に失われてはなりません(言葉が失われれば当然、アクセントの変化そのものがわからなくなってしまいます)。次に、脳の機能のうち、損なわれるのは、声調を制御する領域だけです。最後に、声調の変化が特定の外国語のアクセントと一致するか、外国語をイメージさせるものである必要があります」

話し手と利き手の感覚が「共謀」するとき

脳の損傷が原因となる声調の変化の一つに、語尾の「閉鎖音の無声化」がある。「子音の硬化」とも言い、「g」は「k」、「d」は「t」、「v」は「f」と発音されるようになってしまう。言葉の響きがドイツ語やチェコ語、ポーランド語、ロシア語などと非常に近くなる。つまり、聞く人の知覚の果たす役割も考慮すべきなのだ。

外国語様アクセント症候群の症例のいくつかは、心理現象の一種「パレイドリア」(人間が偶然のパターンをもともと知っていた形や音と結びつける錯覚)によって強調されているかもしれない。英ニューキャッスル大学で言語障害を研究するニック・ミラーは、英オンライン紙「インディペンデント」にこう語った。

「誰かが外国語のアクセントで話していると感じるとき、その感覚は“話す人の口のなか”ではなく、“聞く人の耳のなか”で生じています。言葉のリズムや発音が変わったと、事実を間違って解釈しているのです」

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