3月5日開幕の全国人民代表大会(全人代)で審議・採択される中国の憲法修正案は、今後の中国の政治体制を大きく変えることになるだろう。

 端的に言えば、国家主席・副主席の任期制限がこれまで「1期5年、2期まで」であったのを、「2期まで」を削除し、再選の制限をなくしてしまったことが何を意味するか、ということである。

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人事規律がメチャクチャに?

 中国の国家主席は、そのポストに付随する機関がなく、大きな権限もないという意味で実権が伴わないことから、中国語では「虚職」と表現される。国家副主席についても同様だ。しかし、国家主席は「中国共産党中央委員会総書記」「党中央軍事委員会主席」を兼務することによって国家元首の権威付けがなされ、中国ではそれを「三位一体」の権力とみなしている。党・軍を掌握する権力者が就任することによって、はじめて国家主席の権威が生まれるという考えである。

 国家主席の任期制限を撤廃した背景を、中国当局はこう説明する。党総書記、中央軍事委主席には、明文化された任期の制限はない。よって、国家主席の任期制限も前記2職位に合わせて撤廃したのであり、これによってむしろ平仄が合うことになる、という。

 たしかに、党総書記、中央軍事委員会主席には明文化された任期の制限はない。中国共産党規約にもそうした記述はない。しかし、もともと党総書記や中央軍事委員会主席の任期は無制限と考えられていたのだろうか。この点に関し、現代中国政治分析の大ベテランである矢吹晋・横浜市立大学名誉教授が興味深い論点を挙げている。

 まず、中国の国家公務員規則には「2期10年」という規則がある。それを踏まえて矢吹氏は「重要」な事実をこう指摘する。

「『党側の規則が特に規定されていない場合』は、『国家公務員規則を準用すること』が定められている。たとえば閣僚や副総理、総理級のポストは『1期を5年とし、2期10年を限度とする』ことが明記されている。そして『党が国務院を指導する』という建前とは一見矛盾するような事態だが、党幹部制度は裏から見ると、国家幹部制度と表裏一体であり、ここでは『国家幹部の制度が党幹部にも準用される』のだ。これが中国の政治体制の骨幹をなす党=国家構造の中核なのだ」

 矢吹氏の指摘が正しいとするなら、党総書記であれ中央軍事委主席であれ、任期は「1期5年、2期まで」の制限があったはずであり、それを「もともとなかった」といって国家主席の任期制限撤廃を正当化するのはおかしな話であると言わざるをえない。そんなことを言い出したら、党中央紀律検査委書記や党中央組織部長、宣伝部長、統一戦線工作部長、中央党校校長も任期の制限がないことになってしまいかねない。

「国家幹部の制度が党幹部にも準用される」から、習近平の総書記三選はない、と論断した矢吹氏に言わせれば、習近平が中国共産党の人事規律をメチャクチャにしてしまった、と嘆くことになるのだろう。

 同義反復的になるが、習近平に限らず一般論で言えば、党中央政治局常務委員の内規にある「七上八下」、すなわち67歳までは留任可能だが68歳は退任という決まりごとが、事実上党総書記と中央軍事委主席を務める常務委員、すなわち国家主席就任予定者には今後適用されなくなることも、国家主席の任期制限撤廃に絡んで既成事実化することになる。将来的に、常務委員の中に国家副主席がいる場合、その人物も内規の適用外ということになる。そうした不平等を解消するには、いずれ年齢制限の内規そのものを無くすしかないだろう。

“閑職”ではなくなった国家副主席

 話を国家副主席に移す。国家主席と並んで国家副主席の任期制限もなくすということは、この2人が中国における例外的な指導者ということになる

 筆者は以前、もともと閑職にすぎない国家副主席には、共青団系のホープとされた胡春華(政治局委員)を充てるのが習近平にとって最も都合のいい人事だと論じたことがある(「王岐山の「国家副主席」就任説に異議あり」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52223)。だが、任期制限が取り払われた国家副主席は、そのポストに付随する権限はほとんどないものの、国家主席を補佐し、国家主席が欠けた場合にその地位を継ぐ立場であることから、逆に習近平にとって最も信頼のおける有能な人物を充てる必要が出てきた。

 巷間、最有力視されているのが、前政治局常務委員で紀律検査委書記として「反腐敗」で辣腕を振るった王岐山である。今回の全国人民代表大会に王氏が湖南省代表で出席することが明らかになった時点で、彼が依然として現役の政治家であることが確認された。また全人代の主席団のメンバーにも名を連ねているだけでなく、国営CCTVが3月4日に開かれた全人代準備会議で、7人の中央政治局常務委員メンバーに次ぐ8番目の席に着席する王氏の姿を伝えたことから、おそらく王岐山の国家副主席就任の可能性はきわめて高いと見なければならない。

 ただ、もし習近平の身に不幸が生じ、王岐山が代わりに国家主席になった場合、自動的に党中央政治局常務委員に返り咲き、党総書記・中央軍事委主席を兼務することになるのかどうか。そうした場合、「七上八下」の内規は吹き飛び、新たな独裁者の出現と新たな国家副主席人事に注目が集まるのは間違いない。もっとも、それ以前に2022年の第20回党大会で、69歳の習近平が総書記の三選を果たし、政治局常務委員会に残るとすれば、74歳の王岐山が国家副主席として常務委員に復帰することも可能になるはずだ。

 秋の党大会で政治局常務委員に50歳台の人物を抜擢しなかったことから、習近平は「後継者」を設定せず、3期目をめざすつもりだと言われた。しかし、国家主席・副主席の任期制限をなくしたことは、今後、副主席に座る人物が「接班人(後継者)」とみなされるようになるかもしれない。これは、表面的には江沢民時代の胡錦濤、胡錦濤時代の習近平と同様の関係になる。しかし、任期の制限がなくなることで、国家主席と副主席の関係は、より複雑なものとなるかもしれない。副主席がクーデターを企てる可能性を含め、念頭に浮かぶのは、毛沢東と林彪の関係だったりもする。

計画経済に先祖返りする可能性も

 ここからは推測の話になるので、「話半分」程度に受け止めてほしいのだが、王岐山に期待される役割は、報道を見る限り「対米事務」とされている。中国外交にとって、対米関係が重要なのは言うまでもない。王岐山は副総理の時代に米中戦略・経済対話で中国側代表を務め、米国に幅広い人脈を持つ。そのため今後予想される米国との経済摩擦を打開する上で大きな役割を果たすことが期待されている。

 そうなると、これまで対米関係で中心的な役割を担ってきた外交担当の国務委員である楊潔篪の立場がどうなるか。秋の党大会で政治局委員に昇格した楊潔篪が、銭其琛以来15年ぶりの外交担当の副総理になれば、王岐山とタッグを組んで米国にあたることになるが、そうなると対米関係はあまり強くない王毅外交部長が霞んでしまいかねない。

 その一方で、上海出身の楊潔篪は人脈的に見れば江沢民に近く、対米関係を王岐山に任せるなら楊潔篪は不要となるという説もある。では、なぜ彼を政治局委員に昇格させたのかと言えば、派閥のバランスを取っただけだという解説も見られる。

 結論は、今次の全人代の結果を見れば判明するわけだが、王岐山の国家副主席就任に絡んで、中国外交の舵取りの人事にまで波及しそうな気配がある。

 中国当局は、憲法改正が国家主席の「終身制」を意味するわけではないと強弁しているが、習近平に抵抗する勢力が見当たらない中で、中国は事実上の習近平「皇帝」の時代を迎えることになる。時代を逆行させる習近平の試みは、それが自分の意思とイコールである「党の領導」を強調するとともに、市民生活への監視強化、言論統制の厳格化という重苦しい枠をはめる。中国式市場経済も、もしかしたら党による支配を徹底できる国有企業主体の計画経済へと先祖返りするかもしれない。

 世界第2の大国となった中国の今後はどうなるのか。このままでは「大きな北朝鮮」になりかねない

筆者:阿部 純一