持てる者と持たざる者の格差はあるが…(写真:MaCC / PIXTA)

いま、日本を含め、フィンランド、オランダ、アメリカ、インドなど、世界各地で「ベーシックインカム」を導入する実験や議論が進んでいる。「すべての個人に一律で最低限の生活費を支給する」というこの制度の主なメリットとして、貧困や格差の解決という社会正義的側面や、行政コスト削減などが挙げられる。
直接的な経済面での利点もある。たとえば、経済成長を持続できること、景気循環の波を小さくできること、テクノロジーの激変により大規模失業が発生した場合の失業対策になること――などだ。ベーシックインカム推進派の世界的リーダーであるガイ・スタンディング教授の最新刊『ベーシックインカムへの道』から、ベーシックインカムの経済的議論を抜粋する。

「おカネをばらまけばインフレになる」との指摘は一面的

経済成長は必ずしも好ましい側面ばかりではないが、すべての人にベーシックインカムが給付されれば、経済成長にいくつかの好影響が及ぶ。経済に流れ込むカネが増える結果、総需要が増加し、(深刻な供給制約がないかぎり)経済成長が加速する。

たとえベーシックインカムがほかの政府支出の削減によってすべて賄われ、政府支出の総額が変わらないとしても、需要を拡大させる効果がある。ベーシックインカムは、低所得層の購買力を高めるからだ。低所得層は高所得層に比べて、受け取ったカネを消費に回す傾向が強い。

同じ理由により、ベーシックインカムによる成長は、総需要を刺激する政策にしばしばついて回る「国際収支の天井」を回避できる。高所得層は輸入品や海外旅行などにおカネを使う傾向があるのに対し、低所得層は「ぜいたく」な輸入品よりも地元の製品やサービスにおカネを使うので、経済成長とともに国際収支の赤字が持続不可能な水準まで積み上がる危険が比較的小さいのだ。

「ベーシックインカムが導入されて、経済に流れ込むおカネが増えれば、インフレが起きる」という指摘があるが、そうした主張は一面的と言わざるをえない。資金量が増えて需要が刺激されれば、おそらくモノやサービスの供給も増えるからだ。供給が増えれば、雇用が増える可能性がある。そうなれば、所得が増えて人々の支出力が高まり、乗数効果を通じてさらに生産が拡大するかもしれない。

人々の支出力を高めることは、先進諸国の大きな関心事になっている。人々の所得の伸びが生産力の伸びに追いついていないからだ。昔は、生産性が向上すれば実質賃金(インフレ調整済みの賃金)が上昇し、総需要(要するに消費の量)が拡大した。しかし、今日の経済ではこの図式が当てはまらない。生産性が向上しても賃金が上昇せず、成長が鈍化しているのだ。

今日の開放経済の下では、昔のような生産性交渉を通じた所得政策が極めて難しくなっている。そもそも、そのような取り組みが盛んに行われていた1960年代当時も、成果が上がる場合ばかりではなかった。一方、今日は昔よりも、賃金の停滞や下落に苦しむ家庭が借金をしやすい。その結果、債務バブルが発生して、やがてそのバブルが弾けて大打撃が生じる危険も大きくなっている。

2007〜2008年の世界金融危機の引き金を引いたのも、そうした現象だった。今後、再び同じことが起きても不思議はない。その点、ベーシックインカムは、高い水準の総需要を維持しつつ、経済の脆弱性を軽減できる。

中小企業や起業家にも恩恵が及ぶ

見落とされがちだが、ベーシックインカムが中小企業や起業家にも好ましい影響を及ぼすことは間違いない。経済的な安全が確保されれば、人はリスクを伴う起業に前向きになる。失敗した場合にも、当てにできる収入があると思えることの効果は大きい。

途上国では、ベーシックインカムと現金給付が起業を後押しすることがわかっている。インドのマディヤ・プラデシュ州で行われた実験でも、ベーシックインカムと起業の間に強い関連が見られている。

先進国では、起業の夢を持っている人だけでなく、不本意ながら自営業やフリーランスで働いている人にも安全を提供できる。さらには、人々が仕事のためのトレーニングを受けたり、就職先を決めたりするときに、「食い扶持」を稼げる可能性が高い分野よりも、自分の適性や意欲に合う分野を選びやすい状況をつくり出せる。

そうなれば、人材が適切な職に振り向けられ、人々の仕事に対する熱意も高まって、生産性が向上する。アメリカでは、従業員のやる気不足による生産性低下が原因で、推定約5000億ドル(約53兆円)が失われているという。

ベーシックインカムは、賃金労働から、それ以外のさまざまな活動への移行も後押しできる。具体的には、子どもやお年寄りの世話をしたり、ボランティア活動や地域コミュニティの活動に参加したり、自己啓発のために時間を割いたりしやすくなる。また、雇用拡大のためだけに新規雇用を創出する必要性も減る。雇用対策のために、資源を枯渇させたり、地球環境を汚したりする業種の仕事をつくらなくてすむのだ。この2つの点において、ベーシックインカムは、環境面と社会面でより持続可能性の高い経済成長を促すと言える。

伝統的なケインズ経済学では、福祉国家の仕組み、特に社会保険制度は、景気循環の波を小さくするための安定化装置の役割を果たしていた。景気がよく、インフレ圧力が高まってくると、支援の必要な失業者が減る結果、たいてい福祉給付のための公的支出が減り、景気の過熱にブレーキがかかった。逆に、景気後退期には、失業手当やその他の福祉給付が増え、需要が刺激され、雇用回復が後押しされた。

しかし、既存の福祉制度は、マクロ経済の自動安定化装置としての力が弱まっている。資力調査など条件つきの支援への移行が容赦なく推し進められるにつれて、社会保険の規模が縮小しているためだ。しかも、新自由主義思想に基づく財政緊縮策、すなわち財政均衡と政府債務削減のために歳出削減を目指す政策により、政府は景気後退期にも意識的に支出を減らすようになった。

その点、シンプルなベーシックインカムを導入するだけでも、ある程度の自動安定化装置になる。景気後退期の人々の支出力を高められるからだ。わたしは以前、重層型のベーシックインカムを提案したことがある。ささやかな固定額のベーシックインカムに加えて、「安定化」のための給付金を上乗せして給付するというアイデアだ。

上乗せ部分の金額は、経済の状態によって変える。具体的な金額は、独立した委員会に決めさせるのが好ましいだろう。これは、中央銀行の政策金利決定のための委員会と同じような位置づけと考えればいい。この仕組みは公正性も高い。雇用が多いときは、高所得の職に就く機会が比較的多いので、給付金を少なく抑えることが理屈に合う。一方、景気後退期に給付金を増額することは、「機会所得」の減少を埋め合わせる効果がある。

それに対し、既存の社会的扶助の仕組みは、雇用が少ない景気後退期に、失業者に職探しを要求する。しかし、まじめに職探しを続けていることを証明するよう求めれば、実質的に受給者の所得を減らしてしまう。職探しは時間とおカネとやる気を消耗するし、雇用の少ない状況で職探しに励んでも報われない可能性が高いからだ。

金融機関のための量的緩和から人々のための量的緩和へ

2007〜2008年の金融危機後の景気後退を受けて、日本を始点に、多くの国でデフレ脱却を目指す金融政策が導入された。量的緩和策(QE)である。しかしこの時期は、とりあえず短期間でもベーシックインカムを導入するチャンスだった。アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)、日本銀行、イングランド銀行、欧州中央銀行(ECB)などの中央銀行は、量的緩和策の下、莫大な量のドルや円やポンドやユーロを金融市場に流し込んできたが、経済成長を促進するという目的が十分に達成されているとは言えない。

その莫大な資金のごく一部でもベーシックインカムに振り向けていれば、もっと経済成長を促進できただろう。この政策は、貧困層より富裕層を潤すという心配も少なく、予算面でも明らかに実現可能性があった。さまざまな経済学者がそのような選択肢を提案していた。

アメリカのFRBが量的緩和につぎ込んだ4兆5000億ドル(約480兆円)があれば、アメリカのすべての世帯に5万6000ドル(約600万円)ずつ配布できた。イギリスでは、イングランド銀行が費やした3750億ポンド(55兆円)があれば、合法的居住者全員に、週50ポンド(約7300円)のベーシックインカムを2年間配れた。しかし実際は、量的緩和策が実行されて大口投資家が潤い、所得格差が拡大し、年金制度の資金不足に拍車がかかっただけだった。

経済成長を促すために人々に直接おカネを配るというアイデアは、アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンが1969年の論文で提案していた。フリードマンはその考え方をわかりやすく説明するために、ヘリコプターからドル紙幣をばらまき、人々に拾わせるという比喩を用いた。お札を刷って国民にばらまく「ヘリコプター・マネー」は、アメリカの債券投資家ビル・グロスや経済ジャーナリストのマーティン・ウルフなども提唱している。

近年、ベーシックインカムへの関心が高まっている一因は、(どのくらいその考え方が妥当かはさておき)遠くない将来、IT革命とオートメーションとロボティクスの影響により、人間の雇用の多くが失われ、大規模な「テクノロジー失業」が発生するという見方が広がっていることにある。マーティン・フォード、ニック・スルニチェクとアレックス・ウィリアムズ、ポール・メイソンといった論者は近年の著作で、雇用なき未来にはベーシックインカムが不可欠になると主張している 。

シリコンバレーの実力者やテクノロジー業界の大物たちが続々とベーシックインカム推進派になっているのも、この点を案じているからだ。大物債券投資家のビル・グロスも、ロボットによる「仕事の終焉」に備えるためにベーシックインカムが必要だと主張している。

2016年7月には、フェイスブックの動画配信「フェイスブック・ライブ」の討論会がホワイトハウスで開かれ、オートメーションとベーシックインカムについて話し合われた。しかし、大統領経済諮問委員会は同年12月に発表した報告書で、ベーシックインカムのアイデアを退けている。おそらく、その半年前に同委員会の委員長が否定的な発言をしたことを受けてのことだろう。

テクノロジー失業論を主張する論者の一人であるサービス従業員国際労働組合(SEIU)のアンディ・スターン前議長は、労働組合の有力指導者のなかでベーシックインカム支持を表明した最初の人物と言えるだろう。

アメリカを中心に大きな話題を呼んだ2016年の著書では、株主価値重視の風潮の下、すべての雇用の58%がいずれ自動化されるとの予測を示した。アメリカのメディアグループ、ブルームバーグの取材に対して、スターンはこう述べている。「自動車産業や鉄鋼業が凋落したときとは話が違う。1つの産業が打撃をこうむるだけではなく、影響はもっと広い範囲に及ぶ。もはや嵐という比喩では足りない。大洪水に襲われるような経験が待っている」。

テクノロジーがもたらす恩恵をすべての人に

しかし、雇用のない未来、もっと言えば、仕事をする必要のない未来がやってくるという予測は鵜呑みにできない。この種の考え方は、「労働塊の誤謬」と呼ばれる誤解の最新版と見ることができる。要するに、労働や仕事の総量は一定であり、AIロボットによって自動化される仕事が増えれば、その分だけ人間の労働者が職にあぶれる、という思い込みをしているのだ。

実際には、全面的に自動化される仕事はごく一部にすぎない。アメリカの雇用の半分近くが自動化により消滅するという研究報告はよく知られているが 、この主張には異論も多い。たとえば、経済協力開発機構(OECD)によれば、自動化により消滅する「リスクにさらされている」職は、先進国の場合、全体の9%にとどまるという。

そうは言っても、仕事の性格が変わることは避けられない。しかも、変化はきわめて急速に進む。雇用のない未来、ましてや仕事をする必要のない未来が訪れる可能性は小さいとしても、テクノロジー革命が不平等をいっそう深刻化させていることは事実だ。強力な企業とその所有者たちがテクノロジーの恩恵の多くを手にし、所得分配の面で富裕層の取り分がいっそう増える逆進的な結果が生まれている。この点を考えると、新しい所得分配システムの必要性はひときわ大きい。その新しいシステムの土台を成すのはベーシックインカムであるべきだと、わたしは考えている。

「10年以上先」だが、「100年はかからない」

新興企業を育成するインキュベーター企業、Yコンビネーターは、ベーシックインカムの試験プロジェクトに資金を拠出している。同社のサム・アルトマン社長によれば、雇用なき未来が訪れた時代にベーシックインカムが給付された場合、人々がどのような反応を示すかを明らかにすることが狙いだという。ブルームバーグの取材に対して、こう述べている。

「テクノロジーが旧来の雇用を奪い続ける一方で、莫大な富が新たに築かれるなか、いずれ全米規模でなんらかのベーシックインカムが導入される日が来ると、わたしは確信している」。別のインタビューでは、その時期は「10年以上先」だが、「100年はかからない」との見通しも示している。


とはいえ、差し当たり問題なのは、人間の仕事が突如消滅することよりも、所得分配に深刻な不平等が存在していることだ。いま起きているテクノロジーの変化は、有給の労働に大きな打撃を与え、一部の職を消滅させつつあるが、歴史上はじめて人間のすべき仕事を増やしているテクノロジー革命と言えるかもしれない。しかし、テクノロジーの変化が所得の不平等を拡大させていることは否めない。

インターネットのワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の生みの親であるティム・バーナーズ゠リーは、テクノロジーがもたらす大規模な不平等を是正する手段としてベーシックインカムを支持すると述べている。著名な物理学者・天文学者のスティーブン・ホーキングも、同様の理由でベーシックインカムを提唱している一人だ。

国際通貨基金(IMF)のシニアエコノミストたちも、テクノロジーが原因の不平等が拡大すれば、「資本課税を財源にベーシックインカムを導入する利点が明白になる」と結論づけている。ベーシックインカムは、テクノロジーの進歩がもたらす恩恵をすべての人に行き渡らせるための手立てにもなりうるのだ。