都内でも住みたい街の上位に、常にランクインする恵比寿。

仲間と肩肘張らず楽しめるお店がたくさんあり、便利で、何より賑やかな街である。

ベンチャー系IT企業に勤めるサトシ(28)も、恵比寿に魅了された男の一人。

顔ヨシ・運動神経ヨシ・性格ヨシで、学生時代から人気者だったサトシは、その社交性から遊ぶ仲間には事欠かない。

食事会で出会った杏奈に、サトシは一目ぼれする。しかし杏奈は、学生時代は冴えなかったが、現在外銀勤めの龍太に心奪われていた。そんな中、サトシは杏奈から突然呼び出される。

一方の龍太は、杏奈がサトシと二人で飲んだと聞き、戸惑いを隠せなかった。




「……俺さ、転職するか起業したいなと思って」

恵比寿の『板蕎麦 香り家』での僕の突然の告白に、裕太は蕎麦をすする手を止めて、驚いた表情を見せた。

「いいと思うけど、えらい突然だな?」

誰にも言わなかったが、転職や企業を考え始めたのは最近ではない。

僕はIT業界に憧れて、いまの会社に入った。仕事は楽しいし、それなりの評価を受けていると思う。

しかしこのままでいいのか?と問われると、自信がない。自分にはもっと何かできるのではないかという思いが、ここ数年、ずっと頭から離れないのだ。

あと2年で、30歳になる。

挑戦するならば、いましかない。時間だけは、どうやっても取り戻せないのだ。

「…28歳って、男の分岐点じゃない?」

僕がそう言うと、裕太は「まぁな」と神妙にうなずいた。

男にとって、自分を測る指標の一つとなる“年収”に差が出はじめるのが、ちょうど今くらいの年齢だ。いまの会社では、熾烈な争いを経て役員にでもならない限り、1,200〜1,500万くらいが限界だろう。

もちろん僕のくすぶっていた気持ちに火がついたのは、龍太との再会が大きく関係している。同じ28歳で年収2,000万以上稼ぎ始める奴を目の当たりにし、焦る気持ちが出てきたのだ。

「そっかぁ…。いまの会社も楽しそうだけどな。まぁ、サトシならどこへ行っても大丈夫か」

親友のその言葉に、ぽんっと背中を押された気がした。


女が男を判断する際に見ているのは、いまのステータスだけじゃない?


「…という訳で、転職しようかと考えているんだよね」

食事会でたまたま隣の席になった梨香子に、僕は転職話をしていた。

杏奈に出会って以来他の子への興味は失せていたが、裕太に頼まれて、今日は久しぶりに食事会を開いていた。

場所は、『まにん 恵比寿店』。香り高い合わせ出汁が特徴的な“黒豚しゃぶすき”が絶品で、何度も通い詰めている店だ。




梨香子は、スラリとした長身に、サラサラのロングヘアー。愛想が良いとは決して言えないが、顔立ちは驚くほど左右均等にバランスがとれていて、人工的な感じさえする。

クールな美女で、杏奈とは真逆のタイプだった。

「男性の転職って、一大事ですよね。男性は、女性より背負うものが大きいし…。頑張ってくださいね」

-女性にとっても一大事じゃないのかなぁ。

思わずそう言おうと思ったが、初対面だし、深い話は控えることにした。

そんなふうに僕たちを適当にあしらっていた梨香子が、裕太の次の一言でさっと目の色が変わった。

「転職や起業まではいかなくても、最近副業している奴も多いよね。僕も投資用に何個か物件を持っているし」

「えっ!そうなんですか?」

梨香子の声のトーンが、1オクターブ上がる。脳内でそろばんをパチパチと弾く音が聞こえてきそうな反応だった。

「…ということは、今の会社に勤めつつ、他にも投資をされているってことですか?ちなみに、どんな物件をお持ちなんですか?」

-さっきまで、食べるのに夢中だったのに……。

梨香子の豹変ぶりに苦笑しながらも、その姿をまじまじと見つめてしまった。これがきっと、東京の女性たちのホンネなのだろう。

「都内にいくつかあるけど...でも自分が住んでいるわけではないし、投資用だよ?しかも会社は一応、まだ副業禁止だからここだけの話ね」

「裕太さん、すごい!他には、何かされていないんですか?」

「あとビットコインくらいはしているけど。サトシも、してるだろ?」

「まぁ、それくらいは……」

最近、仲間内ではビットコインの話で持ちきりである。28歳、会社の稼ぎだけでは十分でないと悟っている奴らは、早々に他の方法でも稼いでいるのだ。

「こんなにカッコよくて、良い会社にお勤めなのに……。お二人とも、しっかり将来を見越されてるんですね!」

梨香子のオーバーリアクションに、僕たちは顔を見合わせて笑ってしまった。

多分、梨香子にとって顔とか性格なんてどうでもいいのだろう。

今のステータスだけではなく、男の背後に見え隠れする“資産”までちゃっかり見ているのだ。

ーここまであからさまだと、もうアッパレだな……

さっきまでツンとしていた彼女を興味深く観察しながら、僕は冷たいビールを流し込んだ。


恵比寿は狭い!路上での男女の絡みに、たび重なる偶然・・・


「二人は、どこに住んでるの?僕たちこの後、もう一軒行こうと思うんだけど、どうする?」

気づけば24時を回り、僕たちはすっかりほろ酔いだった。本日の反省会も兼ねて、『安兵衛』の餃子とラーメンで〆ようと話していたのだ。

細身で、綺麗な洋服を身に纏う女性二人はきっと来ないだろうと思っていたが、酔っ払っている梨香子は、意外にも上機嫌で誘いに乗ってきた。

「餃子いいねー!行きたい!みんなで行こうっ♬」

すると梨香子は半ば強引に、するりと僕の腕に手を絡めてきた。

「梨香子ちゃん、酔っ払ってる?大丈夫?」

彼女を心配しながらも、絡まれた腕をけん制したい気持ちもあって、そんな言葉が口から出る。

週末の夜に恵比寿を歩いていると、必ず誰か一人くらいは知っている人に出くわす。しかも厄介なことに、自分は気付かなくても相手に見られていることが、たびたびあるのだ。

「いいでしょ、別に。微妙に距離があるからタクシー乗りません?私、今日ヒールだから、歩かせないでくださいね」

そう言って梨香子は僕に腕を絡めたまま、恵比寿南の信号まで歩き始めた。……そして、その時だった。

「あれ...?サトシさん...?」

振り返ると、この姿を世界で一番見られたくない人が立っていたのだ。




「あ...杏奈ちゃん!」

僕は慌てて、梨香子の腕を振りほどいた。しかし杏奈の表情は変わらず、少し驚いたまま、目を丸くして突っ立っている。

「ち、ち、違うんだよ……!これは。特に意味はなくて...」

慌てて否定する僕の声は、上擦ってしまった。ふと隣を見ると、腕を振り払われたことに機嫌を損ねたのか、梨香子がぷぅっと頬を膨らませて拗ねていた。

-あーぁ……。もうなんだよ、この最悪な状況は。

拗ねたいのは僕の方だが、梨香子はもちろんそんなことお構いなしだ。

「サトシさん、楽しそうですね……!素敵な金曜日の夜を」

杏奈はそう言ってニコリと笑い、来た方向とは別の方へ向かって歩き始めてしまった。

「あの子、だれ……?サトシさんの、彼女?かわいいじゃん」

梨香子の発言に、僕は大きくうなだれた。

「いや、別に彼女ではないけれど...」

恵比寿は、狭い。どこで誰に会うかわからない。

慌てて杏奈にフォローLINEを送るものの、返信が来たのは翌日のお昼を過ぎてからだった。

大好きな杏奈の代わりに、梨香子からは鬼のようにLINEが入っている。なぜか僕は、冷たかったはずの梨香子に気に入られたようだ。

しかしこの出会いが、人生の流れを大きく変えていくなんて、この時の僕はまだ知らなかった。

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それぞれ動き始めた思い。一方で、龍太と杏奈にも動きが・・