多くの女性を苦しめる、 “結婚”という二文字。

高望みをしているわけではない、普通の幸せが欲しいだけ。しかし出会いに溢れているはずの東京で、それはなかなか手に入らないのである。

自称・丸の内にゃんにゃんOLの本田咲良(27)も、そのうちの一人。

しかしある日、ひょんなことからビジネススクールに通うことに。

しぶしぶ行ったビジネススクールだったが、そこには意外にも婚活にぴったりな世界が待っていた…!?




「…というわけで、来期は課長代理として名前が挙がってるから、週明けから、これに行ってほしいんだよね」

「え……?」

3月初旬に行われる、半年に一度の人事面談。

上司がタブレットの画面に出してきたのは、ビジネススクールのサイトである。咲良は、思わず耳を疑った。

―課長代理……!?まさか私が、昇進するの??

咲良はこの専門商社に一般職として入り、これまで自分は、いわゆる“にゃんにゃんOL”だと思っていたのだ―。



その夜、お風呂上がりにSK-兇離掘璽肇泪好をしながら、ぼんやりと考えていた。

「まぁまぁ。そんなに難しく考えないでいいよ」

上司である海老原はにこにこしながら、抵抗を示す咲良をなだめようとしていた。

海老原は穏やかでいい上司なのだが、能天気過ぎるところがある。年齢は50代半ばで、娘は咲良と同じくらいの年らしい。まるで反抗期の娘をなだめるようだ。

「……海老原さん。ビジネススクールに通うなんて、私無理です!大学だって経営学部とかじゃないし。女子大の、しかも文学部ですよ?」

「まぁ僕も行ったけどさ、そんな難しいもんじゃないよ?部長も期待してるって言ってたし。本田ならできるって!」

「………」

海老原は部長の手前、絶対断らせないつもりなのだろう。その一歩も引かない雰囲気に、結局最後は「わかりました」と言わざるを得なかった。

そのやりとりを思い出し、大きく溜息をついていると、同期の由利からLINEがきた。

―咲良も研修行くんだって?見学会一緒に行って、その後ご飯行こうよ!

同期の由利が、大阪から本社に戻ってくることは噂で聞いていた。総合職の彼女は、男性社員並み、いやそれ以上に仕事をバリバリこなしているらしい。大阪に転勤するまでは、職種を越えてよく食事に行く仲だった。

―あーぁ……。由利と同じ研修なんて、ついていけるのかな?

由利のLINEには「もちろん」と返信したが、内心はかなりブルーだった。


一般職の咲良が、なぜ昇進するのか?


咲良は一般職としてこの会社に入り、丸5年が経つ。

数年前、給与テーブルに差はあるものの「一般職」という概念はなくなり、咲良も転勤のない総合職という扱いになった。

しかし仕組みが変わったところで、人の意識というものはなかなか変わらない。

営業部の男性たちは一般職として仕事を振ってくるし、定時に帰りたい咲良としても、そちらのほうが断然有難かった。

…ただたしかに、ここ最近任せられる仕事が格段に増えていることには、薄々気づいていた。

一般職の給与なんてたがが知れているのだから、絶対定時に帰りたい。その信念(?)ゆえ、必ず納期より早く仕事を仕上げる咲良は、営業部でかなり重宝されている。

そのうえ一般職としてはベテランの域に入っており、何か間違いを見つけたら、例え相手が部長であろうと物怖じせず発言してきた。しかしそれは“一般職”という身分で、しかも出世なんてまるで興味がなかったからこそ、できたことである。

実際、一般職として入った大半の女性たちは、最終的にはキャリアより家庭を優先する。一般職出身の女性役員が1人いるが、彼女は50代で未だ独身。きつい性格で、いわゆる昔のキャリアウーマンタイプの女性である。

大先輩に失礼かもしれないが、彼女のようには決してなりたくない。咲良はいまのポジションで、充分満足しているのだ。

それに27歳のいまは、出世するより結婚したい気持ちの方が断然強い。半年前に彼氏と別れて以来、これという人に出会えず焦っていた。

―出世より、まず結婚したいなぁ……。

そんなことをぼんやりと考えていると、母親から電話があった。




「もしもし、咲良ちゃん?」

咲良の実家は碑文谷にあり、祖父の代から不動産事業を営んでいる資産家である(いま咲良が住んでいる広尾のマンションも、その一つだ)。

バブル期に事業を広げたことで経営が傾き、その後持ち直したものの、母親は未だそのときの辛い記憶を引きずっていた。咲良は20歳を過ぎた頃からずっと「絶対ちゃんとした結婚相手を見つけなきゃダメ」と、呪文のように言われ続けてきたのだ。

そして心配性の母親がこのたび、見合い話を持ち込んできたのである。明日はその顔合わせがあるため、連絡を寄越してきたのだろう。

「咲良ちゃんにぴったりな人を探してもらったんだから、明日は絶対頑張るのよ。お洋服は、もう決まっているの?ママが見てあげようか?」

「うん、うん……。大丈夫だから。分かったって」

その他にも、ハンカチを忘れないようにとか、大口を開けて笑っちゃダメとか、散々母親からの注意事項を聞いたあと、咲良はやれやれと電話を切った。

―明日はお見合い、来週はビジネススクールか……。

いままでのほほんと平和にOLをしていたはずの自分の人生が、大きく動きだすような気がしていた。



お見合い、当日。

いつもより薄めの化粧を施し、今日のために買ったクロエのワンピースを着て、全身鏡で自分の姿をまじまじと見つめた。

きゅっと引き締まったウエストから広がる裾はフレアになっていて、ほっそりした咲良のスタイルを際立たせている。さらに上品にカッティングされた丸襟から覗くデコルテは、色白の肌を美しく強調し、今日の咲良は満点に近い仕上がりだった。

しかし完璧に決まった自分の姿を見ても、お見合いへのテンションはなかなか上がらなかった。

―やっぱりいまどき、お見合いなんて……。

母親の猛プッシュで仕方なく承諾したものの、直前になって途端に面倒な気持ちになってしまった。

しかし相手の男は祐一と言って、横浜にある開業医の長男らしく、客観的に見れば好条件なのは間違いない。11歳も年上で、見た目がタイプじゃないことを除けば―。

咲良は何とか自分を奮い立たせ、帝国ホテルのロビーに足を踏み入れた。


お見合い当日、まさかの展開に…?


「じゃあ、あとは若いお二人で、ね」

お見合い開始早々、仲人の女性が席をたち、咲良は祐一とともに帝国ホテルのラウンジに取り残された。突如訪れた沈黙に気まずさをぬぐえず、ぬるくなったコーヒーを静かにすする。すると祐一は、こう切り出した。

「咲良さん、今日はありがとうございます。こんなに綺麗で若い方が来られるとは、思ってもみませんでした。…お見合いなんて、気が進まなかったでしょう?」

意外なことに、祐一は体も引きしまっていて38歳には見えないし、写真で見たダサい眼鏡を外しているおかげで、好みの雰囲気とも言えた。

咲良は、祐一の砕けた口調に、少しだけ本音を話す。

「いえいえ。うちは母が心配性でして……。祐一さんのところは?」

すると祐一もふっと笑い、こう言った。

「うちも似たようなものです」

そう言って二人で笑い合うと、ぴんと張り詰めていた空気が一気にほどけた。

「もしよければ、このあと軽く食事でもしませんか?」

緊張が解けたせいか、途端にお腹がぐるぐると鳴る。食事の誘いを断る理由は、特に見当たらなかった。



そのまま銀座に移動し、中華の『レンゲ』のカウンターで、二人は夕食をとった。




上海蟹みその麻婆豆腐の美味しさに、自然な笑顔がこぼれる。それに、祐一の気さくな人柄と病院で起きた面白い話の数々で、いつの間にか「大口を開けて笑わないように」という母親の言葉をすっかり忘れ、終始笑いっぱなしだった。

温かいお茶と合わせて、デザートの盛り合わせを食べていると、ふと時計を見た祐一の手元に、咲良の目は釘付けになった。四角くレトロなフェイスが特徴的な、パテックフィリップのノーチラス。祐一は服装含め、咲良好みのいいセンスである。

全て食べ終えたところで、咲良は少し突っ込んだ質問をしてみることにした。

「祐一さんは、どういうご家庭が理想ですか?」

「うーん……。ありきたりだけど、温かい家庭が良いですよね。奥さんには、家庭を守るのも大事だけど、何かで成長していってもらいたいなぁ。ゆくゆくは、実家を継ぐことになると思うから、経理とか手伝ってもらいたくて。

…ってごめんなさい。いきなりこんな話しちゃって。咲良さんは、今のお仕事どうですか?」

「そうですね。いま入社5年目で、仕事はかなり任せてもらっていまして…楽しいです」

祐一はうんうんと頷いて微笑む。

「そういえば今度、昇進のお話をいただいていて、ビジネススクールの研修に行くことになりました。一般職では珍しいみたいなので、頑張りたいと思っています…!」

この数時間で少なからず祐一に好意を抱いた咲良は、「何かで成長してもらいたい」と言う彼に少しでも気に入られたいと思い、あまり気の進まない研修への意気込みを語ってしまったのだった。

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ビジネススクールが、ついにスタート!