専門誌では読めない雑学コラム
木村和久の「お気楽ゴルフ」連載●第144回

 本題に入る前に、少々宣伝をさせていただきます。


3月5日発売の『ヘボの流儀〜叩いても楽しいゴルフの極意』

 みなさま、お待たせしました。この連載をまとめた単行本『ヘボの流儀〜叩いても楽しいゴルフの極意』(集英社インターナショナル)が、3月5日に発売されます。

 表紙は『89ビジョン〜とにかく80台で回るゴルフ』(集英社)と同様、漫画家の福本伸行さんにお願いしました。巻末にラウンド後の対談も収録してあります。

 すでにアマゾンをはじめ、ネット書店では予約を開始しているので、ぜひオーダーをお願いいたします。アマゾンは発売前から順位が出るので、今が大事なときなんです。

 ぜひ、清き一票を!

 というわけで、今週のコラムにいきましょう。

 ゴルフを始めて、はや30年近く経ちましたかな。昔から、耳にたこができるほど言われてきた言葉が、「あるがままに打て」と「平等の精神」ですか。

 あるがままに打つのは、クラブ競技などに参加したこともあって、実際にそうやっています。例外は、ボールを多少動かしてもいい「スルーザグリーン・オール6インチ・リプレース」を採用したコンペなどに参加したときですかね。

 問題なのは「平等の精神」という、抽象的な題目です。

 ゴルフのルールを決めるような、偉い人たちが言いたいことは、たぶんこんな感じでしょう。

「ゴルフはハンデキャップ制度により、うまい、ヘタ関係なく、同じように楽しむことができる。もちろん、プロとだって、ハンデを多めにもらえば、勝負ができるんだ。これぞ、平等の精神じゃないか。実に素晴らしい」と。

 建前はそうですけど、本音を言えば、ゴルフって不平等にできているゲームで、ヘタな人やお小遣いの少ない人たちは、圧倒的に不利です。それをはっきり言うと、ひ弱なゴルファーが逃げてしまうから、あくまで「平等なゲーム」だと、まことしやかに囁(ささや)くんですな。

 具体的に不平等な例を挙げますと、こんな感じです。

(1)ハンデキャップは、うまい人が決める
 ハンデキャップの語源って、ご存知ですか? もともとは「ハンド・イン・キャップ」という言葉が縮まった、という説があります。意味は、みんな仲よく手をつないで……って、それはアリスの『ハンド・イン・ハンド』だっちゅうの。

 ゴルフが大ブームになった頃のスコットランドでは、プレーが終わったあと、勝った者や負けた者、あるいはお金持ちやお金がない人、誰もがパブに集まってお酒を飲んだそうです。そのとき、帽子の中に各人が出せる範囲のお金を入れ、みんなの飲み代にしたそうです。

 つまり、帽子の中に手を入れることで、誰がどのくらいお金を出したのかわからないようにして、己の良心のもとにお金を供出。そして、ラウンド後の楽しい時間を誰もが平等に分かち合う――これが”平等の精神”を表す、ハンデキャップの始まりらしいのです。

 もちろん、他にも諸説(競馬説、物乞い説など)ありますから、”都市伝説”ということで聞き流してください。

 ともあれ、やっぱりハンデキャップは「崇高な精神じゃん」と思うでしょ。昔はね、確かにそうでした。しかし、現代の日本ではハンデキャップ制度を悪用する輩がほとんどです。

 というのも、プライベートのラウンドにおいて、「ハンデはうまい人がレートを決める」という取り決めになっていますから。プレーの前、ニギリの相談をすると、「キミにハーフ、2枚あげるから」といった具合に。

 その「あげる」って言葉もいやらしいですよね。要は、「おまえはヘタだから、特別にハンデをくれてやる。ありがたくいただきなさい」という意味ですから。

 ゆえにハンデをくれる人は、決して自分が負けるようなハンデを与えてはくれません。

 どうです? どこが平等やねん。

 ヘボ野郎はなんぼハンデをもらっても、ほとんど勝てません。ただ、それじゃゴルフが嫌になってリタイヤしてしまうから、5回に1回ぐらい、うまいヤツがわざと少しだけ負けてあげるんです。

 すると、ヘタクソ君は機嫌がよくなって、再びニギリに参加するのですが、その後はまた4回連続で負けるわけです。そうやって、たまにしか勝たない人を、世間では「カモ」と呼びます。

(2)プレー自体、下手なほうが疲れる
 うまい人って、ミドルホールなら2回打って、あとはパターを打つだけでしょ。歩くところもフェアウェーの平らなところばかり。

 一方、ヘタクソ君はまず打数がうまい人の倍。しかも、崖とか、谷とか、バンカーとか、ボールは打ちづらいところにばかり飛んでいって、体がつんのめりながら移動します。

 たぶん、万歩計で計ったら、ヘタクソ君はうまい人の1.5倍ぐらいは歩くことになるでしょう。これは、どう考えても不利です。

 アプローチやパットにおいても、うまい人はたっぷり時間をかけてライを読み、これぞというショットをして「オーケー」なんかもらっちゃったりします。

 片や、ヘタクソ君はそこまで来るのに時間がかかっていますから、ライを見たり、グリーンを読んだりする時間も与えられず、うまい人にうながされるままに打って、カップをオーバー。また、その返しもオーバー……と、「どよよ〜ん」の繰り返しです。

 そんで、最後に「おまえ、せわしないな」とかうまい人から言われたりして……って、好きであたふたしているんじゃないってば。


ヘタほど疲れますからね、ゴルフって決して「平等なスポーツ」じゃないですよね...

(3)経済面の不平等
 ゴルフは所詮、そこそこの小遣いと時間に余裕のある人がする遊びです。そこは、否定できない事実です。

 だから、平等と言っても、ゴルフ場の土俵に上がらないと話になりません。まさか「ホームコースは神宮外苑です」って言えないでしょ。そこは、練習場だっちゅうの。

 この選ばれし者の平等って、ローマ時代の市民階級(奴隷制があったから、市民は楽に生活できた)の、平等みたいなものです。

 そういう意味でも、個人的には最初から「(ゴルフは)不平等なゲーム」と言ってくれたほうが、なんぼ清々しいかって思いますけど。

(4)絶対的ヒエラルキーの存在
 結局、日本の名門コースなんて、会社の社長や役員などのVIPな連中がクラブハウス内で親睦を深めているだけです。昔から言われているでしょ、「金持ち、喧嘩せず」ってね。

 そういうメンバーの集まる場所に、ネットで申し訳なさそうに予約して、プレーさせてもらっている我々ビジターは、完全によそ者です。井上雄彦先生の作品名を借りれば『バガボンド』、イーグルスの歌で言うと『デスペラード』ですよ。

 いつか暴動を起こして、革命をしてやる……って、それはやりすぎでしょう。

 というわけで、日頃のゴルフのうっぷんを晴らしたい人は、『ヘボの流儀』を読んで、スカッとしてください。不思議と、下手でも幸せな気分になれる本ですよ〜。

◆潰れそうなゴルフ場をまるごと1億円で買うと、どうなっちゃうのか?>>

木村和久(きむら・かずひさ)
1959年6月19日生まれ。宮城県出身。株式をはじめ、恋愛や遊びなど、トレンドを読み解くコラムニストとして活躍。ゴルフ歴も長く、『週刊パーゴルフ』『月刊ゴルフダイジェスト』などの専門誌で連載を持つ。

『ヘボの流儀〜叩いても楽しいゴルフの極意』3月5日発売
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