幼い頃虐待を受け続けた記憶に苦しみ続ける43歳女性の現在とは…(著者撮影)

その写真を見たとき、ぎょっとしました。これは、私か――? 

顔は写っていないのですが、首や肩のシルエット、髪形、着ている服の雰囲気が、自分とそっくりだと思ったのです。「撮影されたっけ……?」と、一瞬考えてしまいました。


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東京・墨田区、下町にあるフォトギャラリー。それは写真家・長谷川美祈さんによる、虐待を経験した子どもの内面の叫びを表現する作品展の一枚でした。

長谷川さんの写真は、静かな力に満ちています。被写体となった人物に、いったい何が起きたのか? 声高に語るのではなく、見る人自らが耳を澄ませずにはいられなくさせます。

私と似たこの女の人は、親に何をされたのか? 吸い寄せられるように見ていたところ、そっと声をかけられました。

「これ、私なんです」

力のある、穏やかな目をした女性が立っていました。まさか本人に会えるとは。「話を聞かせてほしい」と思っていたのを見抜かれた気がして、内心動揺しながらも連絡先を交換し、日を改めて会う約束をしてもらったのでした。

どこにも居場所がなかった

秋本蓮さん(仮名、43歳)。西日本の、とある小さな町で生まれ育ちました。幼少期は主に身体的な虐待を、その後は主に精神的な虐待を受けており、後になって多重人格の症状に悩まされることにもなりました。

強く印象に残っているのは、3、4歳の頃、泣きやまない蓮さんのノドに母親が指を突っ込み、血が止まらなくなって、いつもと違う病院に連れて行かれた記憶。蓮さんの身体に母親が馬乗りになり、口にガムテープを貼り付けられた記憶。泳げるようになるようにと、水の入った洗面器に顔をつけられ、力ずくで押さえ続けられた記憶。


長谷川美祈さんの写真展で展示された秋本蓮さんの写真(写真展の写真:Miki Hasegawa)

そのため蓮さんは、大人になって治療を受けるまで、ガムテープや洗面器を触ることがほとんどできませんでした。それらを不用意に目にするだけで、フラッシュバック(時間や場所が“そのとき”に飛ぶ、鮮明な記憶のよみがえり)を起こし、意識を失ってしまうこともよくあったのです。

生後8カ月のとき洗濯機に入れられたことは、蓮さんは覚えていませんでしたが、大人になってから母親自身の口から聞かされました。

小学生の頃は、ひたすら勉強を強要されました。母親には学歴のコンプレックスがあり、蓮さんを「エリートにしたい」と考えていたのです。特に高学年になってからは、中学受験のため夜中の3時頃まで勉強をさせられ、蓮さんが寝ると「よく分厚い辞書で頭を殴られた」と言います。

父親は遠洋漁業の仕事をしていたため、家にはほぼ不在。たまに帰っていたときは、夫婦仲は悪くないように見えましたが、蓮さんが小学校高学年になった頃から父親がだんだんと家にいることが増え、母親とけんかをするようになりました。

蓮さんが中学校に入り、母親がパートに出て現在のパートナーの男性と知り合ってからは夫婦仲がいよいよ悪くなり、酔った父親が包丁を振り回す光景を、蓮さんはよく見ていました。

「それまで母親は私に『勉強しろ』しか言わなかったのが、急に『離婚したい』としか言わなくなりました。毎日、何時間も父親の悪口を聞かされて、『そんなに嫌なら離婚したらええやん』と私が言うと、『離婚したいけど、あんたが未成年やからできない』と言う。

私はいつも自分を責めていました。いつも怒られて、『あんたのせいや、あんたが悪い』と言われていたので、『全部私のせいなんやな、生まれてこんかったらよかったね』と思っていた。学校でも浮いてしまって、どこにも居場所がなくて、『なんのために生まれてきたんだろう』と思っていました」

その後、県外の大学に進学したのを機に、なんとか家を出ることに成功。母親は間もなく父親と離婚し、それからすぐ現在のパートナーと同居を始めました。

蓮さんは最初の職場でひどいパワハラとセクハラに遭い、一時はやむなく母親とパートナーの暮らす家に身を寄せましたが、看護師の資格をとり、再び家を離れることができたということです。

おかしいのは、私?

蓮さんが自らの虐待経験と向き合うようになったきっかけは、3年前の夏に、メニエール病(激しい回転性のめまい)を発症したことでした。これを機に母親の過干渉が激しくなり、以前から兆候のあった摂食障害が急激に悪化して、一時は体重が35kgに。治療のため心療内科に通ううち、親子関係の問題に気づいたのです。

「小さい頃からずっとそうなんですが、母親はいつも『あんたはこうやもんね』と決めつけ、私が『本当はそうじゃない』と思っても言わせません。まるで別の私と会話をしているみたいで、私が返事をする前に『そうしよう、そうしよう』と自分で納得してしまう。

摂食障害になった私に、大量の食べ物の差し入れを繰り返したときも、『やめて』というのに、まったく聞いてくれなくて。

『もしかしたら、私がおかしいのかな?』と思って、(心療内科の)先生に聞いてみたら、『いえいえ、あなたではなく、お母さんがおかしいんですよ』と言われて。ようやく納得して、過去のいろんな出来事がつながり始めたんです」

話を聞きながら、漫画家・田房永子さんの『母がしんどい』(母親との関係に苦しむ作者自身の体験を描いた作品)に出てくる病的な母親の姿がまざまざと思い出されました。蓮さんの母親も典型的な、いわゆる“毒母”でしょう。

蓮さんが幼い頃からの虐待の記憶に向き合い始めたところ、以前からときどきあったフラッシュバックが頻繁になり、しだいに人格交代も起こるようになりました。多重人格の症状です。

多いときは、蓮さんのなかに3、4人の人格がいたといいます。はっきりと認識できたのは、虐待を受けた本人である「B子」、そして蓮さん本人、さらに、感受性の強い蓮さんに代わってつらい記憶に向き合う感情が希薄な人格「fs(free styler)」の3人。さらにもう1人、蓮さんが把握しきれない人格もいたようです。

当時の蓮さんのブログを読むと、時々、fsがそれを書いていたことがわかります。fsは、蓮さんには読むのが耐えがたそうな虐待の本を一晩かけて読み通したり、片付けが苦手な蓮さんに代わり部屋を整頓してあげたりする、とても優しくて強い人物なのですが、今こうして蓮さんと話をしていると、fsもまた蓮さんであることを自然と納得できます。蓮さんにも、fsと共通する優しさや強さを感じるのです(片付けは今でもできないそうですが)。

しかしそれは、とても不安な状態でした。人格交代が起きるたび、記憶が途切れてしまうのです。蓮さんは自治体の精神保健福祉センターを通して、その地方で唯一、複雑性PTSD(虐待などの長期反復的なトラウマによる心的外傷後ストレス障害)の治療を行う専門医にたどり着きました。

実際に治療を受けられたのは、2017年の春〜初夏。そこで蓮さんは「変わることができた」と言います。

許さないけど、怒りは消えた

治療のなかでは、大量の宿題が出されました。1つの出来事をいくつもの角度から切り取って、感情の気づきのトレーニングをしたり、時間が経過するなかで「こうしておいたらよかった」と思うことを振り返ったり。医師からの指摘を受けつつ治療を進めるうちに、蓮さんに変化が起きました。

「治療を受ける1年くらい前に母親に送った絶縁状を読み返すと、『私をこんな状態にして、どうしてくれる』という感じで、すごく怒っていました。でも今は『どうしてくれる』ではなく、『どうでもええけど、私にかかわらんでね』みたいな感じです。許さない、という点は変わらないけれど、憎しみや怒りはなくなっている。それは治療の影響がいちばん大きかったですね。

治療を受ける前は『(母親から)理不尽なことをされた』と思いながらも、自分を責めてしまうところがあったんですけれど、『責めなくていいんだ』とやっと思えるようになりました。あの人(母親)と私は違う人間なんやとわかって、線を引くことができた。先生が『親を許すか許さないか、今後、親と連絡をとるかどうかも、全部秋本さんが決めていいことなんですよ』と言ってくれたのも、大きかったかもしれません」

最近は怒りが消えた分、以前と比べ活動意欲が落ちたことを、蓮さんは不安に感じているのですが、怒り続けるのも疲れることです。国内で数カ所しか行われていないこの治療を蓮さんが受けられたことは、やはりとても幸運なことだったでしょう。

ただし、治療が成功したのは、蓮さん自身の力も大きかったようです。

「最初から『効果を疑うのはやめよう』と決めていたんです。看護師をしていたとき、患者さんをみていると、『これ、ホンマに効くんかな』という不信感が強い人は、うまくいかないケースが多い。本人の治りたい気持ちとか、医師を信用する気持ちがないと経過が悪いのを見ていたので、『ここは、乗っていこう』と思って。

タイミングもよかったと思います。虐待に向き合い始めてから少し時間が経っていたし、(写真家の)長谷川さんの取材を受けたり、自分でブログを書いたりして、気持ちを整理してきました。そのため、その先生の言うことが、割とすっと入ってきたんです。その後はフラッシュバックもほとんど起こしていませんし、人格交代も今のところ起きていません」

一連の治療を終えた蓮さんは地元を離れ、昨年の夏、東京に出てきました。このとき古い知人が力を貸してくれたことも、蓮さんにとって大きな支えになったということです。

「親が嫌い」って言うくらい、いいじゃない

蓮さんは虐待の問題をもっと広く世間に知らせるため、自分の体験を語っていきたいと考えています。しかし、そこにはいくつかの壁があると感じています。ひとつは、虐待を受けた“仲間”からの攻撃です。

「誰かが虐待の経験を話すと、ほかの虐待経験者が『それくらいで虐待と言うな』とか『人前で話すのがエライわけじゃない』などと、ネット上でバッシングするのをよく見掛けるので、そこが難しいなと思います。自分が穏やかに過ごせればいいと思っていて、この世から虐待がなくなってほしいとは思っていない人も、いるのかもしれないですね」

もうひとつの壁は、「親を悪く言うべきでない」という世間からの圧力です。蓮さんはこの圧力があまりにも強いため、虐待の問題がよりこじれてしまうのだろうと考えています。

「『親にこういうこと(虐待)をされた』と言ってはいけないような風潮もありますよね。『育ててもらったのに何を恩知らずなことを言っているんだ』というような。その風潮のせいで、自分がされたことを“アウトなやつ”(しつけではなく虐待)だと気づけない人や、(後遺症を)長くこじらせてしまう人がとても多い。虐待が明るみに出ないのも、その風潮のせいもあると思うので、そこはとっぱらわないといけないのかなって思います。

別に『親を好き』という人を批判しているわけじゃないんですよ。『私は親にこういうことをされているから、好きになりようがないんだよ』と言うだけなのに、非難されてしまうのはなぜなのか? 『私は親のことが大好き』と言うのと同じように、『うちはね、嫌いなんだ』と言える世の中になれば、(虐待された人の)その後の生きづらさみたいなものも、ずいぶん減らしていけるんじゃないのかな。

親を『嫌い』って言うくらい、『殺す』より、よっぽどましやと思うんですけれどね。なかには本当に親を殺してしまう人もいますけど、そこまでこじらせきって自分の人生を台ナシにするくらいやったら、『親が嫌い』って言って、離れて暮らすほうがずっといいじゃないと思います」

「親が嫌い」と口にできず苦しんでいる人は多い

私もこれまでに取材などで聞いてきた話を思い返すと、蓮さんの言うように、「親が嫌い」ということを口にできず苦しんでいる人は、実はとても多いと感じます。それを言える世の中になれば、犯罪が減少する効果すらもあるかもしれません。

「虐待被害者の中には、『世の中の幸福なやつ、みんな不幸になれ』と思っている人がときどきいます。生きづらさを抱えて、どこにも居場所がなくて、誰のことも信用できなくて、そういう破壊的な思考に走ってしまうのかもしれません。でも、もしもうちょっと早い時点で、そういう人の気持ちを汲み取る人が誰かいれば、修正も不可能ではないのかなって思うんです。

昨日ニュースを見ていたら、虐待の通報件数がどんどん増えているのに、児童相談所の職員が足りなくて、一人ひとりの子どもの話を聞く時間がとれない、という話をやっていました。話を聞くだけで、その子どもの心の負担がぐっと軽減されて、精神状態が落ち着くケースはたくさんあるんやけど、聞き役の人手が足りていないっていうんです。私もいつか、そういうことをしてみたい気がします」

蓮さん自身も幼かった頃に、誰か話を聞いてくれる人がいてくれたらよかったと感じているのでしょう。

「たぶん私は幼い頃、(虐待を受けて)尋常じゃない泣き声をあげていたと思います。誰も気づいてくれんかったのかなーとか、今の時代だったら通報してくれた人おったかなーとか、思うときはあります」

今もどこかで、親から虐待を受け、大きな泣き声をあげている子どもたち。自分ができることは何かあるだろうか? 蓮さんは今、考えているところです。

本連載では、いろいろな環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。(例/犯罪被害者家族の方、加害者家族の方、自死遺族の方、等々)