フロリダ州マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で起きた発砲事件では17人の若い命が奪われた。事件が起きた地域は、フロリダ一安全な地域だった(写真:Angel Valentin/ロイター)

2月14日、フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、アメリカ中を震撼させる銃乱射事件が起こった。容疑者は19歳の元生徒。アメリカでは合法入手可能な「AR-15」タイプのライフル銃に加え、複数の弾倉で武装し犯行に及んだとされ、17人の尊い命が奪われた。

銃が社会にあふれていない日本の視点で見れば、このような凶悪な事件が学校で起こること自体信じがたいだろうが、こうしたことがしょっちゅう起こるのがアメリカなのだ。その証拠に事件当日の時点で、今年学校で起きた発砲事件数はすでに18を上回っている。週に2回はどこかの学校で発砲事件が起こっている計算だ。これを異常と言わず、何と言えようか。

「安全な場所」で起こった

子どもを持つ親であれば、こうした事実は無視できない。結果、住む場所を選ぶ際、発砲事件などが起こらないなるべく安全な場所を選ぼうとするのは、当然の流れでもあるだろう。しかし、この事件は、アメリカには真に安全な街などないということを示す結果にもなってしまった。

なぜなら事件の起こったパークランドは、比較的裕福な層が暮らす、フロリダでいちばん安全な街でもあったからだ。どこに住もうが銃が合法的に出回っている以上、こうしたことは起こりうる。しかも、銃はすでに社会に流通してしまっているし、誰がそれを手にするかも管理しきれない。問題は簡単になど消えないのだ。

事件後アメリカでは、銃の所持および規制問題について、いつになく会話がなされるようになっている。特にトランプ大統領が、教師やその他の学校職員に対し、自らの身や子どもたちの安全を維持するためには、武器の携帯を検討すべきと発言したのをきっかけに、教育関係者を中心にさらに議論は白熱状態だ。

筆者の暮らすワシントン州シアトル近郊においても、毎日のようにその是非を問う会議があちこちで行われているが、そもそもリベラル思考が高く、銃所持には反対という人が多く住む州でもあるので、大統領の発言には否定的な人が大多数だ。周囲には数人教職についている友人もいるのだが、私も彼らの意見に近いし、自分の子どもたちが通う学校で先生たちが銃を持つなど考えたくもない。当然ながら、個人的には銃には嫌悪感しか抱けない。

しかし、大統領の意見に賛成する人の意見を聞くと「なるほど」と思う部分も確かにあるし、身内にさえもこの意見に賛成する人物もいる。それは(以前も別の記事で書いたことだが)、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のベイエリアで、初めて定年の年齢まで勤め上げたという筋金入りの女性刑事でもあった義理の母である。

事件後彼女と話をしたところ、「子どもを守るために、学校の教員や職員が銃を持つという意見は、あらゆる意味で的を射ている」という、想定していたとおりの反応が返ってきた。

確かに大統領が述べているように、「銃器の取り扱いに慣れた教師がいれば、襲撃にも早急に対処できる」というのは一理あるかもしれないとは思うが、それでも学校で子どもの教師たちが銃を携帯している姿は想像できないと述べたところ、義理母には「あなた、そんなのんきな感情論を銃反対の理由にするなんて、甘いわよ」と一撃されてしまった。

規制に効果を期待できない人たち

銃を規制する側の言い分は多くの場合、銃へのアクセスが制限されれば、犯行に及ぶ人たちが、それを入手することが困難になるだろうという理論に基づいている。これはある意味正しい理論だと思うし、本当にそれが実現できるのであれば、いちばん平和的な銃犯罪事件を減らす方法にもなりうるだろう。


銃乱射によって17人の尊い命を奪ったニコラス・クルーズ容疑者(写真:REUTERS/Mike Stocker/Pool)

しかし、銃を使って何らかの犯行に及ぶ人というのは、そもそも法律を遵守するような輩ではない。そのため、必ずしも銃の規制と実際に期待できる規制効果の「結果」は、比例するわけではないと言う点は考慮しなくてはならないだろう。義理母があっさりと「あなたの考えは甘い」と言い切るのはそのためだ。

それではなぜこんなにも、アメリカには銃が浸透してしまったのだろうか。ドイツの大手データベース会社「Statista」が発表した昨年のデータを見ると、2017年現在、アメリカの一般家庭の約40%が少なくとも銃を1丁は所持していることがわかる。同社は1972年よりデータを収集し続けているが、その間、銃所持率が40%を下回ったのは、わずか5年だけだ。

アメリカにおける銃所持率が高い背景には、「合衆国憲法修正第二条」の存在があると言える。これが制定されたのは独立戦争終了から数年後の1791年。そのためいまの時代にはそぐわないという意見もあるものの、自ら勝ち取った「独立」がこの国の成り立ちをそのまま反映しているという点も手伝い、いまでも大変重要視されているものだ。

そこには、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを冒してはならない」という一文がある。この文書が物語るように、銃所持肯定派にしてみると、法律を遵守している普通の市民が、自衛のために武器を保有することを奪うことは違憲であるという結論になるわけだ。

ではいったいどのくらいの人たちが、自衛のために武器を生かしているのだろう。首都ワシントンに本部のあるケイトー研究所の発表によると、殺人、強姦、暴行、強盗など自己防衛のために一般の人が銃を利用する件数は、毎年数万から最大200万に及ぶ範囲とされている。

つまり、銃があったおかげで自衛できたという数は、決して少なくはないのだ。毎年これだけ多くの人たちが、銃を所持していたおかげで自己防衛ができているとするなら、単純に「銃は廃止すべきだ」とは言えないと主張する人の言い分も簡単には否定できない。

出掛けるときは銃2丁しのばせる

もっとも銃の所持率が上がるほど、犯罪率が上がるというデータも存在する。それはボストン大学のマイケル・シーゲル教授らが2013年に発表した研究結果だ。1981年から30年間にわたり行われた全米50州を対象とした調査において、銃の所持率が1%上がるごとに、銃器による殺人の発生率が0.9%上昇した地域もあったという。ちなみに同研究発表では、州ごとの統計は発表されていない。

先述の義理母は元刑事なので、悲惨な現場を数限りなく目にしてきている。そのため「この世は表面上見えているものがすべてではない」と会うたびに語る。ある意味「職業的トラウマなのだ」と本人も認めてはいるが、彼女は24時間いつでも銃へのアクセスがないと、不安になってしまうらしい。

夜寝るときでも、枕元には必ず銃。近所に買い物に行くときでさえ銃1丁。そして都市部など、犯罪率が高い地域に行く場合は持っていく銃の数が増える。一度2人で出かけた際に、一瞬バッグを持ってほしいと頼まれたところ、手渡されたバッグがあまりに重いので理由を聞いたら、中から銃が2丁顔をのぞかせていたことがあった。

これには思わず腰を抜かしそうになってしまった。しかし彼女にはあっさりと冷笑されてしまい、「あなた、好き好んでアメリカに移民してきたのだから、アメリカの現実は受け入れなさい。銃社会が嫌だのなんだの言って、子どもたちを守る責任を放置したら、母親失格。子どもと出かけるときは必ず銃は携帯しなさい」と脅されてしまった(もちろん彼女のアドバイスは無視している)。

保守派が多く住むような州では、銃の携帯は「常識」というような人もいるが、それでも義理母は少し極端だと思う。しかしその極端な義理母が、現在「銃を持たねばならない世の中自体を変える活動」を始めたというのを聞いて、驚いてしまった。

彼女は現在ワシントン州の刑務所に、定期的にボランティアにいって読書指導などを行っているのだが、凶悪犯などとも日々触れ合う中で、「これさえなければ、世の中はよくなる」と思うことに気づいたらしい。彼女曰く、刑に服している犯罪者たちの多くは、「あるもの」から凶悪なアイデアを得ているというのだ。その考えを友人たち数人にしたところ、「そのとおりだ」と共感を呼び、近く活動を本格的にスタートするのだという。

銃より危険なのはハリウッド

その驚きの活動というのは「暴力映画製作をハリウッドに廃止させる運動」なのだそうだ。ゲーム会社などに対しても銃を使うような設定のゲーム制作をやめるよう、働きかけるつもりらしい。即効性はないだろうが、10年、20年、暴力映画やゲームに触れることを人々がやめれば、多くの人の頭の中から銃乱射などの犯罪につながるコンセプト自体が消える、というのが彼女の主張だ。彼女はこう語る。

「リベラルの人たちが大好きなハリウッドが、そもそも諸悪の根源なのよ。映画による洗脳ほどの狂気は存在しない。銃より危険なのはハリウッド。あとはゲーム会社も恥を知るべきね。こんな世の中に生きている以上、いますぐ銃を規制するのは間違っているし、その廃止を訴える中心がハリウッドの人たちだなんて、とても滑稽でしかない」

「『銃反対』と聖人顔をしながら銃犯罪が生まれることに加担し続けている人たちが、暴力シーンのある番組や映画、ゲーム制作を完全にやめるのであれば、そのうち銃を持たないでいい時代が来るかもしれない。そうなったら私だって銃を持ち歩くのはやめるわよ」

なんとも驚く持論であるが、確かにそういう考えもあるとも思えてしまう。彼女は「その日」が来るまでは、銃は必要悪と語る。そして私にもつねにそれを持つことを勧め続けるのだろう。彼女のこのアドバイスに背き続けてはや10年が経った。この会話が、義理母との間でなされることがなくなる日は、やってくるのだろうか。