毎日雪遊びを楽しみ、健康そのものの救ちゃん。でもこの男の子の町は、長い間産科医に悩み続けている(筆者撮影)

流氷が接岸するオホーツク海の町、北海道紋別市。私が出会った男の子は、周りから「救ちゃん」と呼ばれていた。お産が早かったので間に合わず、救急車の中で生まれたからだという。ただし、単なるニックネームではない。救ちゃんは本名を「救太」くんという。

都会と地方の産科医療格差

同じ日本なのに、こんなに違うものなのか――都会と地方の格差拡大は産科医療についてもどんどん進行している。


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出産施設が不足している地域の窮状については国も学会も一通りのことを把握しており、産科医の働き方改革などを通じて解決をはかろうとしている。

一方、1月に日本産科婦人科学会が開催した産婦人科医療改革公開フォーラムでは、国や学界の発言に対し、地方から参加した医師たちが相次いで挙手した。フロアから「長時間労働をするなと言われても、それは無理だ。それでは、目の前で苦しんでいる患者を見捨てることになる」と訴えた。

たった今、産科医不足が深刻な地域では、人々はどんな出産をしていて、何を求めているのだろうか。前後編2回に渡りレポートしたい。

毎日雪遊びを楽しみ、健康そのものの救ちゃん。救ちゃんは今、豊かな自然の中でのびのびと育っている。だが、この町は、日本各地に在る産科医不足が特に深刻な地域のひとつだ。

車中分娩になった救ちゃんは、母親・富井右芽子さんにとって2人目の子である。家から10分の距離にある広域紋別病院は産科を閉鎖したり再開したりしていたが、そこが市内唯一の出産施設であり、当時は分娩を扱ってはいた。しかし「医師が1人しかいない」という理由で、リスクのかなり低い経産婦しか受けていなかった。

富井さんは身長が140センチと小さい。このような女性は難産の可能性が少し高まるため「ハイリスク妊娠」とされる。そのため富井さんは、経産婦だが地元病院には受けてもらえず、片道約1時間の距離にある隣町・遠軽町にある遠軽厚生病院に受け入れてもらった。こちらの病院には当時3人の産科医がいて、中程度のハイリスク妊娠を受け入れていた。

富井さんは、最初の出産では札幌に住む姉のところに身を寄せての宿泊分娩だったが、今度は上の子もいるので、隣町の病院で産むことにした。

陣痛の波が5分間隔に

富井さんの出産は進みが早く、夕暮れ時、用事で夫と町にいると「陣痛か?」と思われる張りがやってきてみるみる間に強くなってきた。時計で測ってみると、陣痛の波は、きっちり5分間隔で繰り返しやってくる。

「まさか」

富井さんは気が動転してきた。陣痛は、予定日が近くなると軽い陣痛が不規則に来ることが多いが、10分以内の間隔で繰り返すようになると「本格的にお産が始まった」というサインだ。

「このままだと生まれてしまう! どうしよう」

不安にかられた富井さんは近所にある実家に行き、実母が付き添って、救急車で遠軽に駆けつけることになった。

救急車はすぐにやってきたが、富井さんはもう動けず、 隊員に何か聞かれてもうめくことしかできない状態だったので救急隊員のストレッチャーで車中に運ばれた。

救急隊は、いざという時に備えて分娩介助の知識は学んでおり、最低限の器具も積んでいる。とはいえ、選べるものなら、医師や助産師がいるところに行くまではお産にはならないほうがいい。ましてや富井さんは「ハイリスク妊娠」に分類される妊婦。そもそも地元の病院で受けてもらえなかったぐらいだ。

陣痛の勢いは止めようもなく、まもなく車内に産声が響いた。窓の外は、山並みが遠くにうっすらと見えるだけの暗闇だ。実母が聞いた。

「ここはどこ?!」

「湧別(ゆうべつ)町です」

混乱の中、せめて、わが孫が生まれた場所は確かにしておきたかった。湧別町は病院への道のりを半分ほど走ったところで、ブリザードの中、父親が娘をかばい亡くなったいたましいニュースが全国に流れた町でもある。幸い、救ちゃんの出産は北国にも春が訪れる4月末のことだったが。

救急隊も、この1件には危機感を持った。富井さんが出産した救急車を出した紋別地区消防組合では、その後、妊婦を模した人体模型を使った本格的な分娩介助演習が3度に渡って実施された。担当した警防係・千葉裕文さんによると、同署は紋別市の周産期医療の現状を考慮し、以前から分娩介助法についての講習を繰り返してきたが、さらなるレベルアップを図った形だ。

紋別市は、妊娠の届け出に来た妊婦に「母子手帳」を交付する際、本人の承諾が得られたら消防署にその女性の住所や出産予定施設などが登録される仕組みも作っている。

しかし、車中分娩は、そもそもそうなること自体が不安だ。富井さんはこの騒動に懲りて、救ちゃんの次の子は再び札幌で宿泊分娩をすることを選んだ。3児の母になった今も、陣痛のクライマックスのさなかで味わった不安を忘れることができない。


筆者が1月に走った紋別から遠軽に至る道路。冬は雪と氷が消えることはなく、気温は零下20度を下回る日もある(筆者撮影)

私は今年1月、富井さんが出産中に走った紋別―遠軽間を走る機会を得た。

行きかう車はほとんどなく、どこまでも白い世界が続いていた。紋別では、本当に雪がひどい時の救急搬送では、雪かき車が先導して救急車が走ることもあるという話も聞いた。

冬は雪と氷が消えることはなく、気温は零下20度を下回る日もある。その日の最低気温は零下11度だったが、地元の人たちは誰も寒いとは言わない。オホーツクでは、零下10度後半にならないと、寒い日には入らないらしい。

どこに住んでいる人でも、現代医学の恩恵を受けながら産みたいのは同じだろう。かといって医療が高度化し、産婦人科医・新生児科医のなり手も少ない今、それが可能な人員と設備を備えた病院をたくさん作ることは不可能だ。

「集約化」は現代における出産医療の基本的な構造

そこで大学の医局は各地の病院から医師を引き揚げ、大学病院もしくはその他の基幹病院に人員を集める「集約化」を進めてきた。医療資源は限られているので、そうして効率化を図るしかない。そして、基幹病院以外の病院は、リスクが小さい妊娠のみを扱う。これが現代における出産の医療の基本的な構造だ。

しかし、都市部で出産施設を集約化するのと、オホーツク地域のような気候も地理的条件も厳しい地域で集約化を進めるのとでは住民の負担がまったく違う。病院が遠い女性は、妊娠にそれなりの覚悟が要る。


3人の子を遠距離通院と帝王切開で出産した川口さん。病院が遠い女性は、妊娠にそれなりの覚悟が要る(筆者撮影)

3人の子どもを持つ川口とも子さんは、最初のお産が緊急帝王切開だった。帝王切開をした女性はそれ以降「ハイリスク妊娠」とされ、地元の紋別では受けてもらえない。そのため2人目は、隣の遠軽町で産んだ。

そして3人目の時は、その遠軽町の病院も、産科医が引き上げられ、産科が閉鎖されていたので、片道約2時間かけて旭川まで行った。

自治体からは補助が出るが…

北海道では、川口さんのような妊婦さんはそう珍しくはない。だから、長距離通院の経済的負担を助成する制度を設けている自治体が増えた。紋別市では、1回の出産につき5万円が支給される。それでも妊婦健診は、予定日が近づくにつれて半月に一度、さらに週に一度と頻繁になっていく。小さい子どもをかかえた母親にとって往復5時間も車に乗って通院するのは大変なことだ。

貧血気味だった川口さんは、子どもたちを乗せて運転していたら意識が薄れるという怖い体験をした。妊娠した女性は、生理的な作用で血液が薄くなるため貧血を起こしやすい。以後、妊婦健診の日は、夫が休暇を取って運転していくことにした。

「私の夫は自営業なので都合をつけることができたのですが、夫が休めない会社に勤めている女性はいったいどうしているのでしょう」

この地域では、妊婦健診の日に夫が休暇をとれるかどうかは切実な問題だ。

基幹病院が遠い時にいちばん困るのは、「陣痛中、突然に胎児の心音が弱くなる」という風に、それまでローリスク妊娠だった人が急変するケースだ。こういう場合に救急車で大病院に向かうのは命がけで、本人はもちろんのこと、医療者にとっても寿命が縮まりそうなストレスである。そうなれば、だんだん「ここでは、責任をもってお産を扱うことはできない」ということになってくる。かくして、そうした地域はますます医療過疎が進む。

転勤族で2年前に紋別に引っ越してきた山田純子さんは、2017年11月に妊娠6カ月の妊婦健診に行ったところ、医師から「私が不在になるので転院を」と言われた。3人目を妊娠中でリスクも低い山田さんは地元・紋別での出産を予定していたので、衝撃を受けた。

産む病院に困るなんて…

「産む病院に困るなんて。そういうことはテレビの中の話かと思っていました」

隣町の、約1時間かかるものの最も近い遠軽厚生病院は分娩件数の制限があるため、紹介状の宛先は自宅から90キロも離れた北見の病院となった。


転勤族で2年前に紋別に引っ越してきた山田純子さん(筆者撮影)

90キロとはどういう距離かというと、たとえば東京の中心部である霞が関から東名に乗って車をそれくらい走らせたとすると、横浜も、鎌倉も超えて、何と小田原まで行ってしまう距離である。

山田さんは夫と北見へ初めての健診へ行ってみたが、往復約5時間の雪道ドライブとたくさんの検査でくたくになってしまった。家を出たのは早朝なのに、帰宅時にはもう、あたりは真っ暗だった。

分娩は出産回数が増えるほど早まる傾向があり、三人目の出産は進みが早い人が多い。山田さんがいいタイミングで入院できるといいのだが。

山田さんが紋別に来て出会った、やはり二児を育てている転勤族のママ友は、三人目が欲しと思いながら「紋別にいる間は産まない」と決めているという。

日本は広く、都市生活者には想像もつかない厳しい自然の中でも女性たちは子どもを産む。産科医の人数が増えるまで、地域の「生の声」に基づいて妊婦本位の細やかな対策がとられる必要がある。通院費用の補助も大切だがそれだけではなく、たとえば母親たちが「途中で生まれてしまわないか不安」「次の子を妊娠する勇気が出ない」といった悩みを助産師などの専門家にじっくり相談できる場も必要ではないか。

そして何よりも自治体、地域一帯の医療、保健、救急に関わる組織が、母親のために、壁を超えて密な関係を築くことが不可欠だ。日ごろの通院に便宜をはかることから一刻を争う緊急事態への対処まで、さまざまな場面の対応を地域全体で考えていってほしい。そうしなければ、産み控え、未受診の出産、若い世帯の流出などさまざまな問題が広がっていくだろう。

それは誰よりも地元の人々がわかっていることでもある。実は私が1月末に帰京するとすぐに、いい知らせがあった。前述の、自宅から90キロ離れた北見へ転院した山田さんが、隣町・遠軽町の病院に再度の転院を希望したところ受け入れられたのだ。そこなら、移動距離は約半分になる。紋別の事情が厳しさを増していることを察しての配慮だった。その後まもなく、北海道新聞、民友新聞紙上で広域紋別病院の産婦人科医常勤医の退職と分娩中止が公表された。

もはや周産期医療は、従来の枠組みでは立ちゆかない。後半は、このオホーツク地域の北部一円の出産を担うべく産科医療の強化政策を進めてきた、遠軽町の奮闘をレポートする。