高学歴・高収入・男性に引けを取らない仕事への情熱。

都内の高級エリアに住み、欲しいものは何でも自分で買うことが出来、食事は本当に美味しいものしか食べたくない。

にゃんにゃんOLのように自分の生活を誰かに変えてもらおうと、必死で結婚相手を探す必要もない。

そんな無敵のような女に訪れた苦難。あなたは、どう感じるだろうか?

上司から突然のNYへの赴任辞令を言い渡された可奈子。夫である清も可奈子がNYへ行くことに納得してくれ、仕事を続けながら子作りにも取り組んでいくことになった。

可奈子と清は、日本とNYの遠距離での別居婚となったが、毎日の電話は欠かさず、ふた月に一度はどちらかが会いに行く生活を続け、充実した結婚生活を送っている。




可奈子がNY拠点に着任してから、1年近くが経とうとしていた。

住まいは、アッパーイーストのアパート。

オフィスから遠いのが難点だが、可奈子は以前この辺りを訪れた時から閑静な雰囲気が気に入っており、住まいは絶対にこのエリアにしようと決めていたのだ。

NYのアパートは造りが粗くて悩まされることも多いが、高い天井やディテールに拘ったデザインは洗練されており、家にいるだけでドラマや映画で見ていた世界にいるようで、気分が上がるのだった。

毎朝ドアマンに見送られると、会社へ向かう道すらも特別なものに感じられ、この街に住める喜びを噛み締めながら出社している。

生活は最初から順調だったが、職場では新しい同僚からカルチャーショックを受けてばかりいる。


外国の職場で目の当たりにした文化の違い


初めてNYオフィスに到着した朝は、新入社員のように緊張していた。

もう長い事、こんな感覚は忘れてしまっていた。

この歳になってもまたこうやって、緊張感を持つ環境に置いてもらえる事が、可奈子は単純に嬉しかった。

新しい上司はKateという40代半ばの女性で、彼女は二人の子供を育てながら今の仕事をしている。

可奈子は最初こそ、ローカル社員の強い口調に圧倒されることもあったが、慣れてくるとこんなに女性が働きやすい環境はないのではないかと思うようになった。

Kateは勿論そうなのだが、同僚の男性もローカル社員は全員、家族を第一に生活しているように見えるからだ。

毎日のように子供の送り迎えをし、子供に何かあれば躊躇なく早退する。

どこの家庭も夫婦で働いているため、その時々で対応できる方が早く帰っているらしい。そこに性別は関係ないようだった。

そんな同僚に対して、文句を言う人は誰もいない。駐在の日本人だけが、それを見て呆れた顔をしている。

Kateは仕事ではかなり厳しく指導をしてくるが、基本的には気さくな女性で、よく面倒を見てくれる。

「可奈子、帰りに軽く飲んで帰らない?」

金曜の夜、二人で遅くまで残業しているとKateからそう声をかけられ、可奈子は「ぜひ」と答えた。

金曜ということもあり、活気溢れるミッドタウンの『The Smith』。そこでワインを飲みながら、Kateのプライベートな話を、可奈子は初めて聞くことになった。




Kateは大学卒業後から30代前半まで、バルジ・ブラケットの大手金融機関を転々として経験を積んでいたらしい。

それはもう髪も抜けそうなほどの大変さだったらしいが、30代前半で結婚したのを機に日系の金融機関へ転職したそうだ。現在の職場は、彼女にとっては2社目の日系企業になる。

可奈子はなんとなく、彼女の転職の背景にあるものが想像できた。

おそらく日系企業という環境は、金融のグローバルファームで経験を積んだ彼女にとっては、容易い職場だろう。だが、その分給料も下がったに違いない。

それでも転職を決断したのは、子供が欲しかったのではないかと可奈子は思った。

これまで培った経験を武器に一段下のランクで、今は仕事と私生活のバランスを保ちながら働いている。

彼女にとっては昔に比べると楽に感じる仕事でも、今の職場からは十分に必要な人材とされている。

きっと子供が大きくなった時、また彼女は仕事でも挑戦をしていくのだろう。


産まれて初めて出会った憧れのワーママ


自然と可奈子も、自分が今何を不安に感じているのかをポロポロとKateに話し始めていた。

自分にとって一番重要と思われる今のタイミングで妊娠をしたら、仕事を失ってしまうのではないかと思っていること。そもそも子供を育てながら今の激務をこなせるのかわからないこと。日本の職場には、女性が子供とキャリアの両方を追求することを面白く思っていない同僚がいること。

話し始めたら堰を切ったように溢れ出て、気がついたら涙が出ていた。

今までずっと心の中で、一人抱えていた不安だった。誰にも分かって貰えないから、口にすることもなかった。

同性同士であっても、可奈子の悩みと周りの友達の悩みは違う。

それぞれに仕事と子育てで悩んでいるが、求めるキャリアや子供を欲しいと思う気持ちはそれぞれ違っていて、同じことで悩んでいる訳ではないのだ。

正解のない悩みについて、互いに自分を正当化しようとして批判的になる。

だから結局、みんな一人ぼっちで悩み続けて疲れ果てている。

「可奈子が悩んでる内容はよく理解できるわよ。私は、前の会社に転職してすぐに妊娠したけど、可奈子みたいに妊娠して申し訳ないとは思わなかったな。誰でもいつかは妊娠する可能性があるし、その後何年も働くことを思えば、ここで取る数ヶ月の産休も後で取るのも同じだと思うし。

可奈子が仕事で成果を出したからここにいるとしたら、数年後だって重要な仕事を任されているはずだし、いつだって休みづらいことには変わりないと思うけど。」

Kateは、時折ワイングラスに目を落としながら、さらに言った。

「要は休んだとしても自分はいずれ必要とされる、と思えるかどうかなんじゃない?自分の代わりはいくらでもいるのは間違いないけど、それでも失うには惜しいと思われる実力があると思えれば、そんなに不安なんて感じないのよ。」

可奈子は、Kateの言葉にじっと耳を傾けていた。そんな可奈子に、Kateは最後にこう言った。

「肩身の狭い思いをして子供育てながら働くなんて、嫌じゃない?子供がいても会社に“居てもらいたい”と思われるような人間になる方が、悩むより楽なのよ。」

Kateの回答は、可奈子の悩みの核心をついていた。

それはきっとかつて彼女も、出産に対して同じ不安を感じたからなのだろう。

物理的な大変さについては、実際にその立場になってみないとわからない。こんな大変だなんて聞いてないと泣きわめく日が来るのかもしれない。

だが、今悩んでも仕方ないことなのだ。

可奈子が長いこと漠然と感じていた、子供を産むことへの不安。

それは、今の自分が子供を産んだ後に、職場でこれまでと同じように必要としてもらえるのか?ということだったのかもしれない。

Kateは自分の実力で、子育てをしながらでも働いて欲しいと言ってもらえる職場を手にしている。周りの同僚も彼女が子供のことで早退しようが突然休暇を取ろうが、何も言わない。

それは、助け合いの精神というよりも、彼女にはそれだけの価値があると感じているからだ。

彼女は可奈子にとって、産まれて初めて出会った、キャリアと子育てを両立するロールモデルだった。

―私もそんな風になりたいな。他の同僚にはなくて、私にあるものってなんだろう?

少なくとも、このNYという場所で働く経験をしている人は、社内でもまだ少ない。

この環境を活かして、自分で働く場所を選べる実力をつけるように、もはや1日も無駄には出来ないと、可奈子は気を引き締めた。

ーくよくよ悩むよりもその方が、大変なようで楽なのかもな。




そんな事を思いながら家に着き、何気なく携帯を見てハッとした。

気づけばもう1週間以上も生理が来ていなかった。

この半年ログをつけているが、こんなにずれたことは一度もなかった…

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可奈子、とうとう妊娠か?